サンデー毎日でお笑い芸人・水道橋博士の『藝人余禄』というエッセイが始まった。5月の号に一度、単発エッセイが載り、これが好評だったため、月1本のペースで連載になったらしい。あいにく前の記事は見ていないが、今回の一文『天敵文化人「佐高信と猪瀬直樹」とボク』はなかなかにスリリングだ。


 お笑いタレントでありながら、活字の世界にも造詣のあるユニークな存在。大上段に人物評を書くスタイルではないのだが、身辺雑記風の文体の随所に毒が散りばめられ、ついつい引き込まれる。今回改めて感じたのは、一家言を持つうるさ型の懐にも躊躇なく飛び込む行動力を持つ一方、低姿勢は保ちつつ常に批判的に相手を見る矜持もあることだ。


 こういう人は、いそうであまりいない。いわゆる辛口・毒舌の論者でも、たいていはホームとアウェイを持つ。自分は自分、と個に徹するスタンスは、下手をすると四方がアウェイになってしまう。今回の記述で、思わずニヤリとなったのは、博士と佐高氏との「再会」の場面だ。その昔、ニュース番組で共演した間柄だが、福島原発事故のあと、佐高氏は博士が過去、原発PRの雑誌広告に出たことを問題視、ある雑誌記事で博士を名指しして「原発芸人」と批判したという。


 博士が偉いのは、この記事で一度は落ち込んだものの、「事実がベースであり、甘んじて受けよう」と決めたことだ。そして、山形空港でばったり佐高氏と会った際、素知らぬ顔をした彼に自ら近寄って、「ご批判ありがとうございました、正直こたえましたよ」と告げたらしい。佐高氏はバツが悪そうな顔をして博士の肩を抱いたという。事実が博士の書く通りなら、ここでは自分から声をかけなかった佐高氏の「負け」である


 今回のエッセイには2本、『「クレーマー論客」はなぜボクを「原発芸人」呼ばわりしたか』『「元都知事」はなぜオリンピックに熱狂するのか』と副題が打たれ、これ自体が記事をピリつかせる。


 猪瀬氏のくだりは、自身のユーチューブにゲスト出演したときの話。このとき、滔々と五輪開催の「正しさ」を説く猪瀬氏に、博士は「そうは思えない」と異を唱え続けたという。そして、このあとの描写に博士は「悪意」を忍ばせる。「ボクは人の悪口を書いたことがない」と主張する猪瀬氏に、「そうですかぁ?」と疑義を挟み、すると猪瀬氏は「オレは佐高信みたいなものは書かないから」と口走ったという。読む人が読めば、続く行間に「(文章で書かなくても)あなたは今、人の悪口を言ってんじゃん」というツッコミが浮かぶ。意地の悪い巧みな書き方だ。


 タイトルにもあるように、猪瀬氏と佐高氏は知る人ぞ知る犬猿の仲。佐高氏は過去、雑誌記事や書籍でボロクソに彼を書いているし、猪瀬氏も大昔の話だが自ら原作を書いたマンガに、どう見ても佐高氏と思わせる人物を登場させ、クソミソにけなしている。まぁ、どっちもどっちの関係だが、博士はこれらの因縁をみな承知したうえで、チクチクと揶揄するのだ。


 こんな調子だと「味方」はつくりにくいだろう。誰もがみな対談に及び腰になってしまう。と、似たタイプに田原総一朗氏の名がふと浮かんだ。最近は老いが著しく司会ぶりもボロボロだが、この人がすごかったのは全盛期、与野党の政治家をどんどん番組に引っ張り出し、「出演しても叩かれるが、しないともっと叩かれる」という力関係を持ったことだ。ジャーナリスティックな見識は正直、かなり怪しいが、ハッタリひとつで渋々にでもみなを土俵に上げてみせた。その一点だけは見事なものだった。水道橋博士にもぜひ「忖度の時代」を打ち破る胆力・厚顔さを期待したい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。