●次代は医療システムが国際商品


 この連載は、戦後から現在までの経済に関する日米間の対立、協調の連続をみながら国際化する市場経済の中で風圧が強まる日本経済システムの構造改革要求が、最終的には医療制度の根幹、つまり国民皆保険制度を軸とする日本の医療システムの変革を促すとの予測を、最終的には示してみたいという目的を持っている。


 具体的な「風圧」は、現在はTPPに象徴されるが、それを近い将来、どのような形で乗り越えるかは(特に医療制度に関して)、実際はまだ不透明だとしか言い様がない。しかし、医療が国内経済システムの変革の枠外として、現状のままで推移していくことはあまり実感できない。その意味で、皆保険制度は瀬戸際に立たされていると言っても過言ではない。


 医療担当者(主要な医療団体)のTPP反対論は、経済的趨勢からみれば遅れた議論にみえるし、経済のグローバル的協調時代の中で、突出した鎖国的見解と断じられる場面も増えてきそうな予感が大きい。日本の医療制度は、確かに日本国民にとっては素晴らしい制度だ。特にフリーアクセスという、身近な受療を保証している点では、世界に冠たる制度であることは間違いない。


 しかし、それを残すためには、医療制度を経済的関与からまったく切り離し、いわば制度自体をガラパゴス化させるしか方法はないかもしれない。古いままに残せる可能性はある。しかし、そこにはある意味、卓越した人道的、哲学的、文化的な理論武装が必要であり、現医療担当者の反TPP論のような、ネガティブキャンペーンで対応できるのかは、かなり疑わしい。それほど、世界経済が、ことに米国が主導する新自由主義的グローバル経済体制の構築へと向う求心力は大きい。


 世界の趨勢は、そうしたグローバル経済の仕組みを構築する中で、大きなエネルギーを蓄え始めている。そこに対抗して、国民皆保険制度をあえてガラパゴス化させるには、最近、亡くなった宇沢弘文氏のような高邁な思想に裏打ちされた医療経済論を新たに確立し、世界遺産として残していくような取組みが必要になるだろう。京都や奈良、富士山のように。 


●介護のシステムに吸収されるリスク


 しかし、最近の国内政策、とりわけ医療、福祉に関する政策の経済官庁からの干渉ぶりをみると、日本の医療保障体制をガラパゴス化させるのは、悲観的にならざるを得ない。第一に、議論のステップが極めて産業政策的だ。例えば、介護制度の確立によって、いったんは切り離された医療と介護が、地域包括ケア体制の確立という名目の中で、また統合化されようとしている。介護制度は、保険システムでの導入はあったが、営利企業の参入は自由(それを誘導してきた)であり、報酬のシステムもいわゆる出来高ではなく、時間が価格の単位であることを原則とした。


 乱暴に言えば、技術ではなく労働の時間に報酬を払うというシステムであり、技術とそれによってもたらされる治療という成果を評価するシステムとはまったく違う方向性を持って、制度が設計されている。そのため、介護の現場は非正規労働者の有力な受け皿となり、「時給」が幅を利かせている。


 コンビニ、飲食店などサービス産業の労働実態が非正規雇用で占められる経済システムはすでに構築されてしまった感があるし、介護もそうしたシステムで成立しかけている。製造業の世界でもこの体系がシェアを拡大し、社会経済のシステムがそのようなベクトルで推移される中で、地域包括ケアという美名のもとで、旧来型医療システムと介護の報酬システムに、社会はどちらに効率性を見出すだろうか。結論は見えている。地域包括ケアを本質的に社会保障という枠組みの中で閉じ込めるのなら、医療的システムの中で「包括」を果たさなければ、医療担当者の敗北である。しかし、たぶん難しい。


 薬価と診療報酬に関して、あるいは社会福祉法人叩きを理由にした介護報酬の引き下げなどを繰り出してくる財務省の姿勢は、巨視的にみれば医療保険制度の根幹に周縁から手を伸ばし、統制経済的制度からの脱却、いわゆる日本の医療(ケア)のガラパゴス化を阻止する意欲と見て差し支えないのではないか。


 薬価に関しては参照価格制度が表舞台に出るのも近いかもしれない。医療と介護の融合に時間がかかるとみれば、介護は経済産業省主導の産業政策部門に再編されるかもしれない。在宅ケアの進展は、介護作業という直接的なケアを指すのではなく「高齢者の全般的な生活支援」と括れば、宅配流通業者をはじめ、飲食店、小売店(コンビニ、スーパーなど)のシェアを高めるし、それによってシステムのそうした産業分野への依存度は必然的に高まっていく。


●医療担当者は安倍政権経済政策ウォッチ必須


 医療制度が高齢化という現実の前で、経済システムの変革の中に取りこまれつつあることが、医療関係者の中にはまだ実感されていない印象がある。「風が吹けば桶屋が儲かる」議論のように聞こえるかも知れないが、医療担当者は、現政権の特に経済問題に対する対応を注意深く見守る必要が大きい。


 例えば、安倍晋三首相は、10月16日にイタリア・ミラノで開かれたアジア欧州会議(ASEM)で、「この15年間で賃上げ率は最高」とアベノミクスの効果を自画自賛し、本当にそうかという日本国内の疑問の声に対しては、「国内の構造改革を進め、競争力を高め、同時に経済連携によって広い経済圏に打って出る。内外の一体改革は深刻な人口減少に直面する日本が持続的成長を実現する唯一の道」(17日付朝日新聞)と反論し、TPPの実現などに取り組む意欲を改めて示したとされる。


「内外の一体改革は深刻な人口減少に直面する日本が持続的成長を実現する唯一の道」が具体的に何を指すかは自明だが、その具体的過程で何をなすべきかを、すでに財務省などが手を打ち始めているとみるのが相当だろう。「内外の一体改革」は、TPP後に向けて、内政の制度改革も聖域はないことを改めて示しているのだろう。メディアはこうした問題を、ガット・ウルグアイラウンド以降、農業分野で反応することが倣いだが、実際には農業に関しては一定の方向性は定まっているとの印象は強い。現実に、内側の問題として残るのは50兆円の医療介護市場の自由化だ。 


●ウルグアイラウンドからWTO


 TPPまでの流れの中での「内外の一体改革」のうち「内」は基本的には、グローバリズムである新自由主義的な経済構造構築に対応するための政策の潜行的なベクトルを注視すべきだ。


 そして、特に日米が世界で主導権を握ろうとしているツールがTPPだとすれば、90年代から始まった日米構造協議の流れをさらっておく必要がある。日米構造協議は、国内への情報発信は80年代からの日米経済摩擦の残滓で語られることが大きいが、協議自体は金融分野を含めて幅広く行われ、その道中で新自由主義という国際的な経済戦略を生み出したワールドワイドな背景を持つに至った。そこは分析しておく必要がある。


 欧米でも医療費は、現在でも国内経済問題の範疇から出ておらず、それぞれの制度的独自性は確保されてはいる。しかし、速度の差こそあれ、戦後70年を経る中で先進国はいずれも高齢化という問題に直面しており、また中国、インド、ブラジルといった新たな経済大国の成長という共通の対応を余儀なくされる課題もつくっている。また先進国の高齢化、すなわちそこから起因する社会保障政策という大きな難題を、後から来た経済大国ももうすぐ抱え込むことになる。社会保障は国際商品化する可能性を孕み、実は日本をはじめとする先進国はそのスタディを通じて、国際商品で途上国を食いつぶす可能性もある。国際商品として流通するには、すなわち「標準化」は避けて通れない。


 日米構造協議を語る前に、国際的な経済協調の流れをみておく。少し乱暴ではあるが、要約の形で80年代以降の世界経済を早足でみていくと、米国は世界の貿易市場の中で、輸入大国だった。世界では圧倒的な消費市場国であり、そのため米国内産業は全般的に疲弊し、産業側からの不満は高まった。中学校レベルの教科書的に言えば、構造的に高い商品しかつくれなくなった米国産業に比して、良質で安価な輸入製品が市場で優位な立場を得るのは当然である。これまでの連載で触れたように、日本からの土砂降り輸出の好例である「ワンダラーブラウス」はその象徴だ。このため、70年代から米国は通商法301条を折りに触れて繰り出し、相手国との摩擦を繰り返した。301条は、大体の場合当該商品の輸入規制を行いつつ、相手国の市場の弱い分野の開放を求めるという方式とみていい。


 こうした流れに変化が加わったのが、ガット(GATT=General Agreement on Tariffs and Table)ウルグアイラウンドだ。ガットは自由貿易の推進、世界貿易の拡大を目指して第2次大戦後の1948年に発足している。IMF、世界銀行とともに、グローバルな経済秩序の構築を目指したものだ。ガットの意味が「関税及び貿易に関する一般協定」であり、ウルグアイラウンドは、自国の利益のみを考えた「非関税的政策」から、「例外なき関税化」へと統一する働きを果たした。


 しかし、一律にこうしたルールを100ヵ国以上の国が合意するのは難しい。実際、ウルグアイラウンドは86年から始まり、94年に一応の決着をみるまで8年間を要している。そして、ウルグアイラウンド以降、ガットはWTO(World Trade Organization)に引き継がれた。単純に言えば、こうした動きを経ることによって、一方的な輸入停止などの制裁措置をとる古典的な「経済紛争」から脱し、関税での調整で各国間の利害調整を図る方式が定着したといっていいだろう。


 一方、日米間の貿易交渉は、80年代の、分野を拡大したいわゆるたすき掛け的な報復的交渉から、92年以降は「日米構造協議」の時代に入った。これも、ウルグアイラウンドの動向、WTO創設にみられる国際的調整の時代背景を反映して、実質的で具体的な交渉が継続され、国内規制にも微妙な変化を与え続けた。日米構造協議と、90年代の世界経済の動向がどのようにリンクし、21世紀に入ってTPPにみられるようなFTA的な経済環境整備に向っていったのか、そしてそのエネルギーとしての下支えが新自由主義に基づくとすれば、今後、どのような政策判断につながっていくか。


 次回は、90年代の日米構造協議を眺めながら、WTOを軸とする世界的背景をみることにする。(幸)