コロナの重症化を招く要因にもなるという喫煙の悪習を何とかしようとして約1年前、禁煙治療にトライしたところ、3ヵ月ほどは順調だったのだが、途中、どうにも衝動を抑え切れない日があって、「1本だけ」と禁を破ったら、たちどころに元の木阿弥になってしまった。「騙し騙し節煙から完全喫煙へ」という粘り腰は見せられなかった。


 長時間パソコンに向かって原稿を書く。タバコなしにそのストレスに耐えられない、というのが私なりの言い訳で、実際、心底そう思っている。あの悔やまれる「1本だけ」の衝動も、原稿に行き詰まりイライラが昂じて沸き起こったものだった。


 今時、くわえタバコでパソコンに向かえる職場など、どこにもないはずだが、独り暮らしのフリーランサーだとこれができてしまう。新聞社に勤めていた最末期が、職場が禁煙に切り替わる端境期で、タバコなしの執務習慣を完全には体得できなかったのだ。書き手はたぶん作家の山本一力氏だったように思うのだが、海外旅行中、手持ちのタバコが切れ、買い出しにも行けない状況下、翌日締め切りの原稿をそれでも書き上げて「タバコなしに原稿は書けない」という思い込みを吹っ切ることができた、というコラムを読んだ記憶がある。たぶん、そんな極限状況にならないと、「仕事のため」という言い訳はなかなか捨てられないものなのだろう。


 そんな思いがふと蘇ったのは、10月1日にまたタバコの値上げがあると知ったためだ。これに合わせ、週刊新潮の巻末グラビアに『傑作は紫煙の中から生まれる』という筒井康隆氏のロングインタビューが載った。聞き手は若手評論家の古谷経衡氏。高校時代から約70年にもなる喫煙歴を楽し気に回想する筒井氏は、強まる一方の「禁煙圧力」に反発を露にするかと思いきや、「行政はコロナでたばこどころじゃないんじゃないですか」「喫煙率も低くなってたばこを吸う人のほとんどは分煙の意識があるんだから、敵視する必要がない」と、あくまで淡々とぼやく程度だった。


 私はと言えば、街なかからどんどん喫煙所が減っていく風潮や値上げ値上げで喫煙者を追い詰める外堀から埋めてゆくやり口には腹立たしさを覚えるが、筒井氏ほどの確固たる喫煙への肯定感も持たない身としては、国はいっそのこと真綿で首を締める方式をすっぱりやめ、タバコ販売を全面禁止するくらいの「究極のタバコ対策」に踏み切ってくれたほうがいいのに、と夢想する。コアな愛煙家はもちろん猛反発するし、国家賠償の訴えも相次ぐに違いないが、昭和期まで国策としてタバコを売り、全国にニコチン中毒者を広げた責任をとる意味でも、政府は社会的混乱を一手に引き受ける覚悟を見せてほしいと思うのだ。


 ちなみに、新潮のこの対談を隅々まで読んでしまったのは、私自身が中高生時代、熱烈な筒井ファンだったことに加え、何年か前、元ネトウヨメディアのスタッフ・編集者だった異色の経歴を持つ古谷氏の『愛国商売』というパロディ小説を読み、その文体に筒井作品の影響を色濃く感じ取ったためだ。


 対談の冒頭では、30年以上前の筒井氏の話題作『残像に口紅を』がこの夏、SNSで突如若者の人気作品となり、累計部数85万部もの大ヒットとなっている話題にも触れられた。


 ただ、「ロングインタビュー」と銘打った割には、トータル3ページの対談ではやはり物足りない。この2人の組み合わせなら、今の世相から文学の話まで、10ページ程度の分量はじっくり読ませてほしかった。メインテーマにしたタバコの値上げ云々は、触れても触れなくてもどうでもいい余談だったように感じた。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。