前回はフィールドワークにおけるとても意味深な食事のお話を披露したが、どこに行っても食事は欠かすことができないものなので、さまざまな思い出がある。今なら、毎食、食べ始める前にスマホで写真に撮って保存するのだろうが、20年以上前のフィールドワークではそういうわけにはいかない。写真はフィルムを装填した写真機で撮影するもので、撮り直しもできなければ、撮影した画像をその場で確認することもできなかったのである。


 今回はもっと楽しい飲食にまつわる話を書こうと思って、古い写真を探したのだが、強く記憶に残っている飲食の場面が写ったものは、探してもほとんど見つからなかった。撮影していないのである。おかしいなあと思いつつ振り返れば、写真は研究材料を記録するための手段で、研究に無関係なものは基本的に撮影してはいけない、と言われていた、ということを思い出した。写真はお金がかかる贅沢な手段のひとつだったのである。



 写真を撮るときは、慎重に撮影対象を選び、ファインダーを覗きながら構図を考え、焦点を合わせてシャッターを切る。この一コマ一コマが貴重なものだった。ピンボケ写真なんてもってのほかだが、それは、帰国して写真屋さんにフィルムを持っていって、数日後に印画紙に焼き付けられたものを受け取るまで、確認はできなかったのである。もっとも、中古の一眼レフカメラを手に入れてからは、調査の写真はポジフィルム(スライドフィルム)で撮影すべし、と言われて、すべてポジフィルムで撮影していた。これは、フィルム自体のコマとして残した方が、色が変わりにくいのと、数が膨大になる写真を整理するのに、マウントしたスライドのコマのほうが都合がいいから、だったらしい。なので、撮影した写真の確認は、光に透かして小さなコマをひとつひとつ見ていくという、首が痛くなる作業であった。



 さて、現地調査に持っていくフィルムの数には限りがある。これは、空港での荷物のX線検査でフィルムは感光してしまうので、X線を通さない鉛でできた袋に入れてスーツケースに入れるため、この鉛の袋に入るだけのフィルム数しか持っていけないからである。フィルムはけっこう嵩張るので、エコノミークラスしか使えない我々のスーツケースの容量では、ほかの調査用具も入れるとそんなにたくさんは入らないのである。滞在最終日より前にそれを使い切ってしまうわけにはいかない。だから、いつも残りの滞在期間を睨みながら、なるべくフィルムを減らさないよう、節約節約で撮影していたのだった。研究のために撮影していたのは、採集した植物とそれが生えていたまわりの様子。だから、食事はほとんど撮影対象になっていなかったのである。


 さて、そのフィルムカメラの時代のフィールドワークで特に印象に残っているのが、カザフスタンの草原で飲んだ馬乳酒である。お酒は、ちょっと近しくなった人同士をより親密にするのにたいへん効果があるツールであるので、可能な場合は、言葉が通じなくても盃を酌み交わして親交を深めることが多い。飲み比べで勝ったら情報がもらえるが、負けたら手ぶらで退去、という場合も少なくない。そんな状況が頻発するので、筆者はお酒は飲める方ではあると思うが、この時の馬乳酒は、まったくアルコールっぽくない割に、強いお酒であった。


 それは、だだっ広い草原で、4名ほどのグループで調査に出ていたものの、あまりに草原が広くて、4人が一緒に歩いていては効率が悪いと、車を止めたちょっと高くなった場所から、4名がばらばらになってヒトかモノかを探し、時間を決めて集まって成果を報告し合い、それを元に次の行動に移ろう、という計画になった。1時間ほど後に集合、と決めて、それぞれの担当の方角に歩いて行ったものの、日差しは強いし、日陰は無いし、だんだん喉が乾いてくるし、もうそろそろ踵を返そうか、と思い始めた頃に、羊飼いと思しき初老くらいの年齢に見える男性にであった。「アッサラーム・アレイクム。」(イスラム教系のエリアでは共通語のように使われる挨拶語)とこちらから声をかけると、にこやかに近づいてきて、手招きするのである。話しかけてくれるのだが、ロシア語ではなさそうで、単語のひとつも拾えない。一瞬、どうしようか、と迷ったが、ええいままよ、とそのおじいちゃんについて行った。


 結構な距離を歩いたように感じたが、到着したのはそのおじいちゃんの住処のようであった。羊飼いは移動しながら生活するので、住まいは簡素であるのが常だが、そのおじいちゃんの家も、おそらく移動式と思われる簡単なつくりに見えた。おじいちゃんはなにやら話しかけてくれるのであるが、残念ながら、筆者には理解できなかった。わからない、ことを日本語で話しかけながら身振り手振りで表現すると、おじいちゃんが家の方に向かって声をかけた。するとおじいちゃんの家族と思しき人が、コップに白く濁った液体を入れて持ってきた。一見して、トルコ系民族の家庭でよく飲まれている甘くないドリンクヨーグルトにそっくりで、それまでにも、インタビューの際にインフォーマントの自宅を訪問してドリンクヨーグルトをご馳走になったことはよくあったので、筆者はこれもドリンクヨーグルトだと思った。暑い時に喉が渇いていて、ちょっと小腹も空いていた時に、ちょうどヨーグルトを水で薄めたような感じの、わずかに塩味のするドリンクヨーグルトは最高の贅沢といってもいい飲み物である。


 ドリンクヨーグルトは家庭ごとに味もにおいも違っていて、時々、舌を刺すような味のものがあったり、生乾きの雑巾のようなにおいのものがあったりする。この時も、そういうドリンクだったらどうしよう、と思いながら、恐る恐る口をつけたのだが、甘酸っぱいにおいは心地よく、ひとくち飲んでみると、軽くてまろやかでとても美味しい。一気に半分くらい飲んだだろうか、「美味しい!」と言うと、同じものをちびちび飲んでいたおじいちゃんが、ニコーっと微笑んで、もっと飲め、という仕草をする。夢中で最後まで飲み干して、ふと気づいたら、集合の約束の時間までもうほとんど時間がない。仲間を呼んできて、このおじいちゃんにインタビューすべし、それには、戻ってくることをおじいちゃんに伝えて、いったんここを離れなければいけない。でも、言葉がわからない。腕時計を指さして、身振り手振りを加えていくつかのロシア語の単語を並べて、ともかく、そこを離れて集合場所へ向かった。


 が、時間がないので走ろうとして、でも草原の斜面はかなり急で危なっかしく、おりょ!と思ったら、なんか、足元が少々ふらふらした感じがするのである。あ〜!とそこで気がついた。さっきの白濁した飲み物は、ドリンクヨーグルトではなく、アルコール飲料だったのである。「わお!」と思って振り返ると、おじいちゃんと家族は、にこやかに見送ってくれている。やーだー、仲間にどう説明したらいいのぉ、と思いながら、一番下っ端が集合時刻に完全に遅刻である。しかも、酔っ払っての遅刻である。



 集合場所にたどり着くと、案の定、ほかの3人が心配顔で待っていた。すべての段取りや下働きをするのがその頃の筆者の役目だったので、それまで集合時刻に遅れるということはまずなかったのが、時刻を過ぎてもなかなか戻ってこないので、かなり心配した、ということだった。「申し訳ありません!」と謝ったあと、「でもね」と、一気にくだんの出来事を話し、今からすぐにそこへ一緒に行こうと提案した。


 筆者の話を聞きながら、大きな声で笑い出し、わかった、わかった、と言わんばかりに肩を叩いてきたのは、カザフスタン人の共同研究者だった。「それは馬乳酒だ。」とも教えてくれた。カザフスタンの草原の遊牧の民は、水代わりに馬の乳を飲むのだそうで、飲みきれなくて余ったものを袋に入れて持ち歩いているうちに馬乳酒になるのだそうだ。そんな成り行きでできる馬乳酒なので、味やにおい、アルコール度数もさまざまで、当たり外れが激しい飲み物なのである。「美味しいと言えるものではなかったろう。」と言われたが、いえいえ、本当に美味しかったのである。


 それから4人でおじいちゃんのところに行ったのだが、残念ながら、おじいちゃんの使う言葉は、同行のカザフスタン人研究者にもわからない地方言語で、部分的には意思疎通ができたものの、薬用植物についてのインタビューには至らなかった。


 このおじいちゃんが、あのときどうして筆者に馬乳酒をふるまってくれたのか、今となってはそれを聞いてみたい気もするが、それは案外考えすぎで、あのとき、飲み物としてふるまえるものは馬乳酒しかなかった、つまり、新しく搾った馬乳も、遠くの沢から汲んできた水も無かった、というのが案外正解なのではないかと思ったりしている。写真も標本も残っていないが、筆者の記憶に残る、自分だけが味わった、美味しい馬乳酒の記憶である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。