このところ、国内外で美容整形をカミングアウトする著名人が増えてきた。時代とともに周囲の受け止め方が変わってきたのだろうか。スポーツの世界では、ドーピングに関連する規制は厳しくなり、国家ぐるみの不正が明らかになったロシアは、2019年12月に東京五輪ほか主要国際大会への参加を4年間禁止された(個人資格での参加は可能)。それでも時折、ドーピングの規制に違反した選手のニュースが報道される。


 病気やケガを元の状態に戻そうとする治療ではなく、能力や機能の「増強」を目指した心身への医学的介入、「エンハンスメント」はどこまで許されるのか? 肯定派、反対派の視点からさまざまな見方、考え方を提供してくれるのが『心とからだの心理学』である。


 全体は3部構成で、第Ⅰ部では、美容整形やドーピングなど「身体」のつくりかえ、第Ⅱ部では、認知能力の向上や気分や性格といった「心」のつくりかえ、第Ⅲ部では、遺伝子操作や道徳的能力の向上など「人間」のつくりかえがテーマだ。


 難しいのは、〈実際には治療とエンハンスメントとはつながっていて、簡単に切り離せるものではありません〉という点だろう。技術的に関係しているものは多い。例えば美容整形の技術は、もともとは戦争で傷ついた兵士を治す医療技術だった。極端な例をあげれば、誰もが○○はOK、××はダメとなるが、どこまで認めるか、線引きの境界は微妙な問題だ。


 美容整形のように、一見、本人がよければそれでよさそうな問題でも、例えば〈美容整形が当たり前になって、美容整形を受けていなければ就職がないとか、容姿を整えることが人前に出るときのマナーだとかいった事態になってしまった〉らどうか?(近い分野では、女性の化粧はマナーに近い状態になっている)。


〈身体の機械化をする〉はこれから大きく伸びる分野だろう。治療としては、古くから義手義足はあったし(最近はプロレスラーも義足でリングに上がる)、植込み型ペースメーカーも1958年の開発だ。


 注目はブレイン・マシン・インターフェイス(BMI)、ブレイン・コンピュータ・インターフェイス(BCI)と呼ばれる装置。脳に電極を差し込み、脳内で流れる電気信号を読み込むことで、人が機械を動かしたり、家電や照明をコントロールすることができるようになる。病気やケガで手足を動かせなくなった人のQOLは大きく改善するはずだ。


 では、〈脳をネットワークと接続することで、膨大な情報を瞬時に引き出したり、離れたところにある機械を動かしたり〉〈超絶技巧のピアノを弾くために六本目の指を付け加える〉といったエンハンス的に機械を使うことの是非は?となると、別の問題になる。


 さらに進んで、人間のサイボーグ化をどう考えるか?『銀河鉄道999』の世界はすぐそこに来ている。


■究極のエンハンスメント「遺伝子操作」


 心的側面と身体的側面が関係する〈性についての介入〉も複雑なテーマだ。改名、戸籍変更など、社会的な問題も関わってくる。性に関連する数々の論点は、今や企業や官庁、学校にとっても避けては通れないテーマである。


 難題も多い。例えば、東京オリンピック・パラリンピックの少し前に話題になっていた〈女性競技へのトランス女性の参加〉。男性から女性に性別変更したトランス女性が女性競技に参加することへの批判の声があがり、さまざまな大会への出場機会を失ったり、辞退を促されるケースも生じている。国際オリンピック委員会では一定の条件のもと参加を認めているが、現状の基準がいいのか、見直すならどう変えるのか、答えを出すのは難しい。


 性別への違和に関しては、〈治療の対象を経て、現在ではアイデンティティの問題と理解されることへ向かいつつあり、今後はそこからも離れていく可能性があります〉という。介入技術や社会が変わるなかで、状況も変化していくが、一個人の接し方としては〈時間をかけてその人そのものを見ようとする〉が普遍的な考え方だろう。


 簡便なゲノム編集技術の登場で、遺伝子操作によって容姿を整えたり、運動能力や認知能力を高めたりといったエンハンスメントが現実味を帯びてきた。著者いわく〈究極のエンハンスメントということができるかもしれません〉。本書では、遺伝子を操作することに関して、倫理的側面からアプローチしている。


 遺伝子がいいほど得をする社会→誰もが遺伝子操作をする→操作しない自由を失う――という社会をどう考えるか? 遺伝子の変異が原因となる難病の治療など、最低限の操作のみ可能とする場合、その線引きはどうするか?


 2018年には中国で遺伝子操作された双子も誕生するなど、現実が先を行く部分もある。〈何の規制もしなければいつの間にか私たちの日常を変えてしまうかもしれないような事柄〉だ。遺伝子操作は、優れた人間だけを増やし劣った人間を排除しようとする「優生思想」とも結びつきやすいだけに、どこまで認めて、どこから認めないのか、絶えず検討していく必要がある。


「結構、先入観があった」が、読み終わっての感想。エンハンスメントに関連して、抜け落ちていた視点や人々の存在を気づかせてくれた(考えてみれば、徹夜作業で飲んでいたカフェイン飲料もエンハンスメントにつながる合法的なドーピングだ)。


 どれもすぐに答えが出るテーマではない。本書を“脳内ディスカッション”の相手にしてみてはどうだろうか?(鎌)


<書籍データ>

心とからだの倫理学

佐藤岳詩著(ちくまプリマー新書1078円)