ドイツの連邦議会選挙が終わり、事前の予想通りSPD(社会民主党)は第1党には慣れたものの過半数を取れず、どの党と連立するかに移っている。メルケル首相はCDU・CSU(キリスト教民主・社会同盟)の後継者を必死に応援したが、SPDの後塵を拝してしまった。
それでもメルケル氏の人気は高い。とくに日本のマスコミには人気がある。その理由にはドイツを好景気に導き、EUを引っ張ったこと、イラク戦争やシリアの民主化を巡る混乱による中東、アフリカからの難民、移民の受け入れに積極的であったこと、アメリカファーストを主張するトランプ大統領(当時)に一歩も退かず、ドイツの立場、EUの立場を主張したこと、などが挙げられる。
しかし、マスコミが絶賛するほど凄いのだろうか。確かに外交で信を通す強さを見せた。トランプ大統領に真っ向から修正を求める態度をとった。とくにG7ではトランプ大統領の机の前で対峙し、その脇というか、真ん中で安倍首相が腕組みする写真がテレビに登場し大いに話題になった。
日本人の心情としてはトランプ大統領の「盟友」とされる安倍首相に腕組みではなく、両者の間を取り持って仲裁してほしいと思うのだが、「盟友」にはそんな気力、いや、考えはなかったようだ。世界の人々の目にはメルケル首相の迫力だけが強く映った。
ギリシャの経済危機ではEU主要国が渋々財政支援を了承したが、メルケル首相は緊縮財政を約束しなければ、財政支援は行わないと主張し、筋を通した。さらに先進国間で問題が起こると、常にフランスを交渉国に加えることを主張。経済力が落ちかかっていることで主要国から陥落しそうなフランスに対して配慮するかのように振る舞い、マクロン大統領を喜ばせ、その裏、フランスをドイツの味方にさせる外交力は大したものだった。日本の外交と比べると雲泥の差だ。
たとえば、つい最近の中国と台湾のTPP加盟申請に対する発言だ。茂木外相は中国が加盟申請するという発表に対し、「多くの問題がある」と否定的発言をし、台湾の加盟申請に対しては「歓迎する。台湾は十分な条件を持っている」と大賛成した。
だが、これは本心をハッキリ言った下手くそな外交である。外交というのは常に自国が有利になるように運ばなければならない。中国に対しては「TPP加盟を望むことを歓迎する。ただし、TPPは開かれた自由貿易であり、多くの規制を撤廃し開かれた体制にすることが必要だ。さらにTPPは隣国との間で国境紛争を抱えていないことが条件になっている。国境問題を解消して申請することを望む」などと、尖閣諸島の領有権を主張しているようでは認められないよ、と釘を刺しておくべきなのだ。中国はベトナムとの間でも国境紛争を抱えているから、ベトナムを前もって味方につけておくことを忘れてはならない。
一方、台湾に対しては無条件で賛成するよう発言すべきではない。「台湾の加盟申請を歓迎する。ただ水産物の輸入などに対して若干の規制があり、それを解消してほしい」と言うべきである。台湾は韓国、中国とともに福島県と東北地方、新潟県などの水産物の輸入を禁止している。放射能の問題だが、福島県産の水産物はすべて放射能検査をしていて問題はない。アメリカも禁止していたが、バイデン政権になってから輸入禁止を撤廃しているのだ。台湾に対してもやんわりと規制の撤廃を主張するとともに、韓国、中国に対して日本は福島県産水産物を規制している間は開かれた自由貿易国とは認めないぞ、と牽制すべきなのだ。
どうも自民党政権は、輸出企業が主導権を持つ財界ばかりに目が行き、政治献金をしない一般国民に目が行き届かない。実にがっかりする。あまりにもメルケル氏の外交との落差が大き過ぎる。
しかし、だからといってメルケル首相が立派だったとは思わない。マスコミはメルケル氏が16年間も首相を務めたことを挙げている。だが、この16年間のうちの12年はCDU・CSUとSPDとの2大政党の大連立という挙国一致内閣である。本来、挙国一致内閣というものは侵略を受けた、受けそうだという国家非常時に行うべきものであり、平常時に行なうべきものではない。にもかかわらず、大連立を行うというのはいかがなものだろうか。
実は、メルケル首相の大連立政権の間に、誕生した政党が市民運動の「緑の党」と、右翼政党の「ドイツのための選択肢」だ。国家が非常時ではないときに挙国一致内閣をつくると、不満を持つ人々は、政府を批判する政党がないために極左、極右に走りやすい。それは健全な民主主義を壊しやすくするのである。
ドイツではナチス党による独裁政治を排するために投票率が5%に満たない政党は議員を出せない仕組みになっている。ところが、緑の党もドイツの選択肢も5%ルールを超えて第3党、第5党に躍進している。メルケル首相による12年間の大連立の裏側の果実であり、安直に立派だったと評価できない。アメリカでもイギリスでも2大政党の交互による政治が続き、大連立政治を行わないため、極左、極右が生まれていないのがその証左である。
「メルケル首相になってからドイツ経済は発展した」という説にも疑問がある。前にも書いたことがあるが、メルケル首相の父は、東西冷戦の象徴であるベルリンの壁が建設されたとき、西側から東ドイツに移り住んだことから「赤い宣教師」と呼ばれた。メルケル氏自身は幼かったが、彼女は社会主義の東ドイツで真面目な人物として優秀な成績を収めたといわれている。東ドイツで政権に反発したり、西側に亡命しようとしたりしたことはない。
ベルリンの壁が崩壊するや、いち早く西側に移りCDUに入党。優秀な彼女は党内で頭角を現して当時のコール首相に抜擢されて出世している。秀才の歩む道である。東西統合後、旧西ドイツでは東側の生活水準を引き上げるために10年間に亘り特別税を課して財源を確保した。当時、旧西ドイツ国内では「東を助けるために、こんなに税金を負担しなければならないのか」という不満が強かったが、ドイツ統一の代償の結果、景気が落ち込んだ。しかし、その苦労が実り、ドイツ経済が大きく浮上しそうになったときに、メルケル首相が誕生したのである。決してメルケル首相の手腕でドイツ経済が復活したわけではない。
中東や北アフリカらの難民に寛容だったという姿勢を挙げる人もいる。確かにメルケル首相は難民問題が起きたとき、「ドイツは60万人の難民を受け入れる」と宣言し、喝采を浴びた。だが、その1週間ほど前、日本の経団連に相当するドイツ産業同盟が「賃金の安い労働者が60万人不足する」という声明を出している。メルケル首相の難民受け入れ人数が産業同盟の主張する人数と同じなのに驚いた。要は産業界の主張に合わせただけなのではなかったか。もちろん、60万人と言ったら、その10倍の難民がドイツを目指し、ヨーロッパ全体に難民問題が拡大してしまったのだが。
最近では「ノルドストリーム2」というロシアからのLNG輸入パイプライン問題がある。この計画にバイデン大統領とウクライナが反発している。バイデン大統領にはどうにかドイツの立場を主張して納得させたようで、さすがドイツの利益を優先させたと感心する。
メルケル首相はいち早く環境問題に言及し、世界をリードしている。しかし、原発は廃止に向かっているが、ドイツの電力の32%は石炭火力に依存している。ドイツにとっては暖房のためにも発電のためにも、ロシアからのLNG輸入の拡大が必要だった。今までのロシアからのLNG輸入はウクライナを通してのパイプラインに大きく依存していた。結果、ウクライナ紛争でロシアはパイプラインの栓を閉めたり細くしたりして西側に圧力をかけてきた。メルケル首相は、ドイツがLNG不足に陥らないように、という意味でも、ノルドラインドリーム2は必要だった。
だが、ウクライナ情勢を巡り、西ヨーロッパはロシアに対して経済制裁をしている。そのなかでロシア産LNGを恒久的に輸入するパイプライン建設というのはいいのだろうか。まして当のウクライナを見殺しにしてドイツの利益を優先することはいかがなものだろうか。環境、人権を主張する裏で、自国の利益第一主義は素晴らしいのだろうか。
もちろん、自国第一なのは当然である。問題は立派なことを言う裏で、こっそり自国第一にしていることなのである。これは立派とは言えないのではなかろうか。マスコミとジャーナリズムは必ずしも同じではないから構わないのかもしれないが、少なくとも正しい見方をするべきではなかろうか。
確かに、メルケル首相は卓越した政治家である。が、ドイツの利益確保に卓越していただけであって、マスコミが絶賛するような首相ではない、と思うが、どうだろうか。(常)