総選挙が終わって1週間余が過ぎた今週、週刊文春のトップ記事は『岸田首相衆院選応援で違法「集団買収」』という特集。茨城6区の自民党候補の応援で岸田首相が現地入りした際に、地元運輸業界が街頭演説会場に聴衆を動員、参加者に5000円ずつの日当を払い、領収書まで出していたという告発だ。続く2番目の記事は『維新3回生が議員会館で“マルチ化粧品セミナー”』というもので、両記事とも「相変わらず」という感想しか、もはや浮かばない半ば日常化した日本の政治風景だ。


 議席減を最小限に食い止めた自民党の健闘と、逆に議席減の憂き目を見た立憲民主党、そして大阪府の小選挙区をほぼ独占した維新の会の躍進という結末に終わった総選挙だが、サンデー毎日『倉重篤郎のニュース最前線』の解説がわかりやすい。倉重氏は政治記者歴が長い毎日新聞の専門編集委員である。その「総括」によれば、「野党共闘は戦術的には成功したが、戦略的には課題を残した」と言えるという。


 立憲は共産などとの候補者一本化によって小選挙区だけを見れば、公示前に比べ9議席を増やしたが、比例区で敗北した。しかし、この比例区も前回選挙より総得票数は41万票多い1149万票に達していて、問題は旧民主党系・希望の党の消滅で浮いた967万票にまったくアクセスできなかったことだった。倉重氏によれば、この1000万票弱の「旧希望票」のうち、約100万が自民に、450万が維新に、200万がれいわ、残り250万が希望の党を引き継いだ国民民主党に流れた計算になるらしい。


 つまり、「共産党との共闘が裏目に出た」と盛んに指摘されている問題は、比例区においてこの旧希望支持層=中道右派層に対しては確かに当てはまる分析だが、選挙区では共闘はむしろ有効で、立憲の敗北は後者の影響が大きく響いたせいだった、というのである。


 それにしても、と個人的に改めて思うのは、現代の右派と左派を分ける「線引き」のことである。今年還暦になる昭和世代の私の感覚では、右派と左派、昔で言う保守と革新は、後者が広義の社会主義(社会民主主義から共産主義までのさまざまな体制)にシンパシーを寄せる人々で、前者が資本主義を支持する層、という色分けであった。左右の強権政治を拒む意味合いのリベラルは、自民党ハト派の支持層から旧社会党支持層まで保革双方に及んでいた。


 ところが、今や資本主義・社会主義という対立軸は消え、かつての自民リベラル派のスタンスまで「左派」とされる世の中になった。今回、維新の波に飲まれ落選した辻元清美氏は「立憲の立ち位置、主張が明確でなかった」と反省の弁を語ったが、言い換えればリベラルの定義・スタンスを当事者の彼らが見失い、明確な自己認識をできずにいる点に、最大の弱点があったように思う。


 今日の保守・リベラルを分けるのは、結局は「権力」への捉え方の違いだと私は考える。世のさまざまな理不尽の解消を望むのか、それとも人の世に理不尽はつきものだと考えるのか。前者の立場では、権力のあり方は常に正さねばならないテーマだが、後者の立場ではそんな建前に意味はなく、個々人は与えられた条件下で努力すべきだと考える。それぞれの目に反対勢力は「現状追随の利己主義者」「現実逃避のお花畑」と映る。


 実際のところ、大半の人の内面に2つの価値観は混在し、理想と現実の狭間を人は生きてゆくものなのだが、政治的対立の時代には、この差異が際立って先鋭化してしまう。ともあれ「反対ばかり」と批判されがちなリベラル勢力は、自らの価値観をよりわかりやすく言語化し、具体的政策として提示するところから始める必要があるのだろう。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。