●社会への注意喚起も企業責任


 薬害と製薬企業の責任に関して、これまで薬害だけではなく、医薬品の適正使用、あるいは医薬品への安易な依存についても複眼的にみてきた。直接的な医薬品副作用被害は、それを防止するためには、当然ながらそれを排除すべき姿勢とコンプライアンス、それを担保するためのレギュレーションが必要なことは言うまでもない。


 しかし、ここで語っておきたいのは、医薬品処方というタイミングで、それを処方する医師、調剤する薬剤師、服用する患者それぞれに、医薬品に対する警戒心、畏怖のようなものがあってもいいのではないか、ということである。それによって薬害が防げると短絡しているわけではない。


 まさに大きな薬害は、製造した企業による検証の手薄さであったり、守られるべき規範を逸脱した行為などが原因で起こる。しかし、それでもなお、医薬品に対する一定の警戒を医療者も市民も怠っているのではないかとの懸念を感じる。企業の社会的責任は、まさにそこへの注意喚起、振り返りを促すことも重要なのではないか。


 現在、後発医薬品の供給問題が浮上している。この原因を作ったのは、後発医薬品企業のコンプライアンス違反である。その影響は大きい。医薬品は過量に供給されても問題だが、供給が止まることはさらに問題を大きくする。


 例えば10月に大阪府薬剤師会が、会員アンケート調査結果を公表しているが、9月半ば過ぎの時点で納品が滞っている品目数が4品目以上に上る薬局は約87%に達している。6月に行った東京都薬剤師会の64%を大きく上回って、影響は日を追うごとに拡大していることがわかる。大阪府薬の幹部は、「円滑に調剤できている薬局は1%にも満たない。90日処方を30日にするなど薬局薬剤師による分割調剤対応などで乗り切っていくしかない」と薬局の苦衷を訴えているし、調査結果レポートも災害にも値すると厳しい評価を明らかにしている。


●災害に匹敵する供給不足


 薬局薬剤師に聞くと、薬剤選択に関する研究や考察の日々の努力、裁量の幅が狭められたことの不快感は大きいという。また、多数の薬局が、院内処方しかしていなかった医療機関からの処方箋を受け始めていることも明らかになっている。


 筆者は20年以上にわたって受診している「かかりつけ医」がいる。しかし、この問題が浮上してから、院内処方から院外処方に切り替えられた。別にどちらでも構わないのだが、診療所医師の変更の説明は当初なかった。医薬品卸との取引がうまく行ってないのか、と質問すると、ようやくその医師は「調剤薬局への供給を優先していると卸から言われた」と不愉快そうに語った。


 薬剤師も困っているが、医師にも微妙な波紋を広げている。そして図らずもこの筆者と医師のやり取りから、医薬品を扱う職能として、薬剤師が市民に常識として普遍化し、逆に薬剤師は調剤者以上の責任が明確化されてきたことがおぼろげながら筆者には見えてきた。前述した供給不足によって、自らの「目利き」ができなくなった薬剤師はその意識が十分にあるということなのだろうが、筆者には医薬分業の浸透のなかで、患者とコミュニケーションをとるのはいったい誰になったのかという問題も炙り出されたような印象もある。


 一方、大阪府保険医協会が行った診療所医師へのアンケート調査では、薬剤の切り替えに伴う患者への説明、薬局との対応、代替薬の検討などの業務過多が診療に影響しているという回答が目立った。他剤への切り替えによる弊害があったとする回答も多く、効能に対する不安が隠せない状況もみえる。休薬を余儀なくされたことや、先発への切り替えで患者負担が増えたケースもかなりの多数にのぼっている。


 医師の回答で目立つのは、後発医薬品使用促進政策そのものを見直す見解も大きいことだ。国の積極策が拙速だったとの認識は、医師のなかに後発医薬品の品質に対する不安がまだかなり大きく内在することを裏付けている。


 この状況からみえるのは、医薬品と患者を結ぶラインが多様化し、複線化するなかで、何か起きた場合の対処策が何もできていないことだ。供給不安という状況に立ち会わされて、医師も薬剤師も、アンケート調査では国に何らかの対策を求める声が強い。筆者には、医療者側のそうした姿勢はやむにやまれぬという側面はあるものの、製薬企業の社会的責任を追及する矛先を鈍らせているような印象につながる。まず医療者は、医薬品企業の全体的なサプライチェーンそのものに懐疑の声を挙げ、その責任を問わなければならないのではないかと思う。


●オールトライアルズ運動の必然


 医薬品企業の社会的責任は、薬害を出さない体制づくりは無論だが、安定供給、適正使用への促し、ポリファーマシーの抑制など実は多岐にわたる。そして、最近、再び批判の矛先が尖り始めているのが、研究開発や営業費用のなかで生まれる不透明な資金の流れ。その透明性をいかに確保していくか。市民への説明責任は重い。


 ここでは、製薬企業や医薬品の承認審査を行う規制当局は、申請された新薬、あるいは発売後の医薬品に関する治験、臨床試験などのデータをすべて開示すべきだ、との主張を基本として英国で2012年頃から展開されている運動、「オールトライアルズ」について活字を追ってみる。対象は2015年に刊行された、オールトライアルズ運動のリーダーであるベン・ゴールドエイカー著の『悪の製薬』。


 この運動を進める人々は「オールトライアルズ・グループ」と呼ばれている。むろん、医薬関係者には広く知られた話ではあるが、その影響は日本でも拡大し始めている。激烈なタイトルのこの本は、サブタイトルも「製薬業界と新薬開発がわたしたちにしていること」と刺激的だ。


 ただ、著者の批判の矛先はむろん、データ開示に対する製薬産業の姿勢に対して多くが向けられてはいるが、その周辺、医師、規制当局、学会、医学雑誌と編集者、メディカルライター(同書ではほとんどゴーストライターと称されている)や、メディア、患者団体の問題にも言及している。医薬品のデータに関わるすべての関係者、関係先の課題、将来に向けて何をすべきかの主張が語られてはいる。


 とはいえ、この著書のタイトル、サブタイトルは、製薬産業にとって大変厳しい。ほぼ500ページに及ぶ同書の内容は、製薬企業や規制当局のデータ隠し、あるいは都合のいいデータのみの公表による情報バイアスと、その影響の大きさなどの事例と検証が続き、何度も同じ趣旨の説明と問題点の指摘が繰り返される。科学という基本的な立場からの医薬品データのレビューを、それもそれが不完全にしか行えないという告発を伴っているから、そうした詳細で重複する記述が示されるのは必然だと了解するが、それでも筆者のような素人には難しい話も多い。著者はそうした読者のうんざり感を読み取って、まえがきで「忘れてほしくないことがある。それは、これが一般向け科学の本だということだ」として、こう続けている。


「(これから述べる)ごまかしや歪曲は、細部は見事で、入り組んでいて、ほれぼれするほどだ。(中略)良質な科学は産業規模で歪められてきたが、それは長い年月でゆっくり起こり、自然に進行した」。企業関係者には「悪意」の存在は実はなかったかもしれないとの認識を語り、基本的に、彼が言う良質な科学が歪められてきた具体性は、業界から資金提供を受けた臨床試験は資金提供者の薬をほめそやす結果を生みがちであるということであり、その検証のために著者たちはシステマティック・レビューという考え方で、主張を進めていくことを明らかにしている。


 彼は同書のなかで、何度か医薬品は臨床世界において欠くべからざるものであり、(本来は)良質な科学で生み出され有益であること、同書が特定の薬の良し悪しを述べたり、特定の企業を中傷する目的ではないと述べる。だが、製薬企業には往々にして、公表した臨床試験データの不完全性、恣意的な情報操作の疑いが生まれ、同書にはそれらに対する辛辣な批判が例示とともに重ねられている。


●医療費への影響も懸念


 例えば、第4章の「あくどい臨床試験」は、まさにオールトライアルズ運動の中核となる批判の山。「代用の結果」、「サブグループ試験」、「種まき臨床試験」などの指摘は、読者には相当な説得力を持つことは確かだ。とくに「種まき試験」は企業のマーケティング戦略の一環だとの指摘は厳しい。マーケティングとして計画されたことを証明できないために、これに抗えない研究者にも容赦はない。


 種まき試験はPMSの目的もあり、ビジランスの一環だとの反論もできそうだが、製薬企業が当該試験の設計に際してマーケティングを目的とするとの内部文書の暴露においては、反論は説得力を失う。「種まき試験」が持つリスクは、「患者と医師が誘導される」という点が著者の主張だ。


 業界の支援を受けたいわゆるシステマティック・レビューでは「偽装」も疑っている。外部資金に頼らないコクラン共同計画レビューと、業界支援のレビューを比較したケースでは、治療効果に関する数値上の報告には何も違いはないのに、総説論文の結論部分では叙述がすっかり変わってしまったことが明らかにされる。


 同書では、新しい薬、開発された新薬と既存薬の比較試験が不十分だったり、いわゆる「代用」結果での臨床試験報告にもいくつかの疑問、「ごまかし」の疑いが相当数の事例で述べられている。彼の主張の底に感じられるのは、安価でまだ多くの患者に有用であるとみられる薬が、高価な新薬に変わる(実際に具体的な市場の変遷も述べられている)ことが、正しい臨床試験、それもすべてが公表された試験の結果かということだろう。医療費の課題にも一部切り込んでいると私には思えた。


 マーケティングに関しても、多くの医師や研究者、規制当局関連の研究者らがいかに多彩な状況で業界から資金提供を受けているかが、何度も具体的な事例を通じて報告されている。英国では透明化の流れもでき始めたと述べる一方で、業界団体の指針や当局の施策が「みせかけの解決策」と遠慮なく言及する。


 また著者は、利益相反に関して「禁止」より、情報公開させるほうが有効だとの考え方を示しているのも興味深い。その情報公開は相当に詳細なものを要求、誰がどの臨床試験、レビューに(資金的に)関わったかを示すことで、医薬品選択に変化を期待するものだ。


 今回でこのシリーズを終えたい。次回からは、再度、世界的には先行きがまだみえない新型コロナウイルス感染症に関する活字を追ってみる。(幸)