このところ、精神疾患を意識する機会が増えてきた。年老いた親戚の認知症はもちろんのこと、統合失調症、適応障害、うつ病、不眠症……と、職場の同僚、知人レベルまで含めれば、かなりの数の顔が浮かんでくる。医学用語ではないが、「コロナうつ」という言葉も流布するようになった。


 あらためてこうした“こころの病気”を学びなおそうと手に取ったのが、『はじめての精神医学』である。


 若年層や初級者を意識した「ちくまプリマー新書」だけに、精神医学の全体像が、わかりやすく、平易な文章で解説されている。症状、発症しやすい年齢、治療法といった概要は本書を参照してほしいが、原因については、よくわかっていないものも多いようだ。


 2022年度からは高校教育で「精神疾患の予防と回復」「精神疾患への対処」といった項目が学習指導要領に含まれるようになる。サブテキストとしても有効に活用できそうだ。


 感心したのは、メジャーな病気を押さえつつ、精神医学の課題についてもきちんと言及されているところである。


 例えば、「過剰診断」の問題。〈精神科の病気にすべてに共通することですが、正常と病気の境界線がほとんどの場合があいまいです。(中略)そのため、自閉スペクトラム症の診断は、これまで過剰になりがちでした〉という。


 不眠症の治療に多量の睡眠薬を処方する医師は少なくないが、著者は依存性のある医薬品として注意を促す。最近の睡眠薬は依存性が落ちているとは言え、リスクはある。単なる不眠症なら、〈まずは薬を使わない方法〉を試してみるべきだろう。


■治療法ができると病気が増える!?


 精神疾患は、がんと並んで近年、多くの製薬会社が新薬開発に力を入れている分野だ(昨今は新型コロナ関連も盛り上がっているが……)。2010年から認知行動療法が保険適用になるなど、心理療法も着実に普及している。2017年には国家資格として「公認心理師」も誕生した。精神科を標榜するクリニックも大きく増えている。


 新しい治療薬、治療法、治療施設の増加……にもかかわらず、精神疾患の患者は大きく減る様子はない。むしろ2002年から2017年の15年間で、6割以上増えている。高齢化に伴う認知症患者の増加があるとはいえ、尋常ではない数値だ。


 かねて感じていた謎は本書で解けた。病気と医療の間には、病気に対する治療法ができるという関係のほかに、〈医療が対応できる状態がある。それに応じて「病気」の範囲が決まっていく〉という関係も存在する。精神医療に限った話ではないが、〈「病気が先で医療が後」という常識的な理解とは逆〉ということが、しばしば起こるのだ。これにより、病気の範囲が拡大する。


 治療法(薬)ができる→疾患啓発が行われ広く認知される→新たな患者が発見され患者が増えると考えればわかりやすいだろう。


 身体の病気と違って、精神疾患の場合、完治せず症状を見ながら長く付き合っていく病気も多い。新たな患者が増えると、積み重なっていく。


〈未来の世界〉として、ディストピア的に病気の範囲が拡大する模様が描かれている。イメージとして取り上げられているのが、「緊張しやすい人」。緊張をほぐしてくれる新薬が開発されたことで、従来ちょっと緊張しやすい人として扱われていた人が、「社交不安症」と診断され、治療の対象になってしまう世界だ。本書の例は想像に過ぎないが、同様のケースは実際に、生じていないだろうか?と考えてしまった。


 目を引いたのが、いくつか取り上げられている国際間比較のデータである。


 昨今、「自殺」は交通事故より多いとして問題視されている。2020年、日本ではコロナ禍での不況もあったためか、前年を上回る2万1081人が自ら命を絶った。人口比で考えるとイタリアの3倍程度。ただ、日本よりさらに多い国もあって、例えば韓国は日本の2倍程度になるという。


 日本はアルコールに寛容な文化のため、「アルコール依存症は世界有数だろう」と考えていたのだが、実は〈有病率は世界平均の半分程度〉。ロシアは日本の10倍近く、イスラム圏は逆に日本よりも成績がよいという。


 精神疾患の中には、社会や文化、宗教の影響を大きく受けるものがあるということだ。


 かつてレズビアンとゲイは精神科の病気とされていたが、米国精神医学会の精神疾患の診断分類(DSM)では第3版(1980年公表)で病気から除外された。昨今、日本でも特別の存在ではなくなりつつある。


 こころの病気の中には、人々の理解を深め、社会や習慣を変えることで、苦しむ人を減らしたり、病気ではないという認識にできる(=病気の範囲の縮小)ものもあるのではないか?そんな気持ちにさせられた。(鎌)


<書籍データ>

はじめての精神医学

村井俊哉著(ちくまプリマー新書902円)