薬はどんなものでもそれが使われるべき対象の傷病があって、何にでも効果があるという薬ほど、うさんくさいものはない、と現代の日本人であればたいてい知っている。でも伝統薬には、万病に効く、といわれて使われ続けている薬が存在する。中央アジアでの現地調査でも、そんな万能薬があった。


 ムミヨとかムミヤとか、地域で呼称は少しずつ異なっていたが、いずれもよく似た発音の名称で、ブツは濃い黒褐色の粘稠度の高い液体。いかにも稀少なものだと言わんばかりに、数ミリリットルずつプラスチックシートで分包されて、1包または数包単位で店先に並べられていた。



市場の中の薬売り、台の上の手前側にムミヨの包みがいくつか並んでいるのが見える


ムミヨ


 ウズベキスタンの薬用植物の研究者に通訳してもらいながら、売っているおじさんやおばさんに聞いてみたところ、このムミヨは、遠い山の洞窟の奥に染み出しているタール様の物質で、少しずつしか採れないので貴重なのだという。腹痛や頭痛、下痢、風邪など、なんにでもよく効く薬なのだそうだ。見た目も効能も、かつて筆者が子供の頃によく飲まされた梅肉エキスにそっくりだなあと思いながら、薬草で作ったエキスではなく、洞窟に染み出している物質を集めたものであるということに興味をもった。それで、このムミヨの採集場所へ連れて行ってくれと頼んでみたが、結局は連れて行ってもらえなかった。でも、ブツは購入できたので、機器分析を駆使して含有成分を明らかにすれば、どういう代物であるかは判別できそうだったが、現地調査から得られるサンプルにはもっと科学的に興味深いものがたくさんあり、ムミヨは後回しになっていくうちにプロジェクト期間が終了し、謎は謎のままとなった。


 ウズベキスタンやカザフスタンの市場では、その当時、野菜や果物の売り場の近くに薬草売りが売り場を構えていることが多く、乾燥品だったりナマだったりの、色とりどり、形もさまざまな薬用植物がそのまま並べられていた。野生のものを野山から集めてきて売ることが多いようだが、特に生のものは花が咲いている時に集めて売ることが多いので(種類を間違ってとらないように、種の鑑別が最もしやすい開花期に採集する)季節性が強く、販売する期間は短い。市場に固定の売り場を占有しようとすると、それなりに対価を払う必要がでてくるので、こういう季節ものを扱う薬草売りは、屋根の下の販売台があるスペースには出店できず、場外の通路に商品を並べていることが多いようだった。


市場の外周部で店を広げていた薬草売り。売られていた薬用植物類は高山性のものが多い。


 薬草売りが居るのは市場だけに限らない。草原地帯の高山性の植物はお花畑を形成し、ごく短期間に一気にすべてが開花する。この時期は、ヒト様にとってもピクニックに出かけるのにちょうど良い時期で、家族連れやカップルが多く山を訪れる。そういう人たちが車を駐車するスペースや、湧水があって食事をしたり休憩したりするのにふさわしい場所などの近くに、にわか薬草店が出現する。その周辺地域で集められる新鮮な薬草類を山積みにして売るのである。里山とは異なる種類、またそのエリアにしか生えていない固有種なども多く並べられる。これらは、なにもない山岳地域にレクリエーションとしてやってくる人たちの、いいお土産になっているようだった。


ウズベキスタン、タシケント市の初夏の市場の外周の様子。


 売り手、つまりそれらを野山から採集してきた者たちの多くは、年端もいかない子供たちからせいぜい中高生くらいまでの年齢の者たちである。身軽なので、大人では採りに行けないような、急な斜面に生えたものや、通路としての道がついていないようなエリアにあるものも、普段その山を遊び場にしている子供達なら、たやすく集められるということらしい。最初に調査したのは1990年代後半で、地域の固有種も含めて植物資源は豊富にあるようにみえた。しかし、自然の循環よりも、子供たちの小遣い銭稼ぎの採集スピードのほうが、当然ながらはるかに早く、環境保護や生物多様性などが声高に言われるようになる前に、これらの高山性薬用植物の多くは絶滅危惧種になってしまった。残念な現実であるが、子供たちを責めるわけにもいかないように思われる。


山の中の湧水場の横で売られていた薬草類。

左の黄色いのが固有種のオトギリソウの仲間で、ウォッカに浸けてうつ病などの精神疾患によく効くとして人気が高かった。

今は絶滅危惧種。

その上にちょっと載せてある緑の薬草は、ジジフォラ属(シソ科)で、香りがよく、

これもウォッカに浸してリラックス効果などを期待して使う。

その右がヨモギの仲間で、日本で過去に回虫駆除剤として使われたミブヨモギに近い仲間。

その右の黄色い束が、ヘリクリスム属(ムギワラギク属)で、お湯で抽出してハーブティー等にする。


 今では立派な高速道路が開通して、高山エリアと首都エリアを乗用車で簡単に行き来ができるようになっているらしいが、25、6年前にはあちこちにあった、かわいいにわか薬草店は、もうどこにも出現しないんだろうなあと思うと、ちょっと寂しい気分になってしまった。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。