「新しい資本主義」を掲げた岸田文雄内閣がスタートしてすでに2ヵ月半。アメリカでは大統領就任後の90日間はハネムーン期間としてマスコミは批判しないのが礼儀だそうだが、わが岸田内閣では政権発足直後からボロが出てしまっている。


 最初は与党自民党の幹事長人事だ。新内閣、党役員人事決め、総選挙に臨んだら、新幹事長が小選挙区で野党統一候補に負け、比例で復活当選した状態に世間からだけでなく、自民党内からも批判が出て、急遽、外務大臣だった茂木利光氏に交代させざるを得なくなった。


 外務大臣とは価値が低いんだなぁ、という気がしたが、これがケチのつき初めで、次は南アフリカで発見された新型コロナのオミクロン株の対処だ。欧米に倣ったつもりだろう。ところが、世界各国からの入国を禁止するという「画期的な」先手の対策をとったのはいいけど、年末を迎え、海外にいる邦人が帰国できないではないか、という声が上がり、慌てて「首相は聞いていなかった」と言い訳をして微調整したことだ。


 国土交通相が独断でやってしまった、という言い訳だが、そんなことが通用するのだろうか。各大臣が首相に相談はおろか、知らせもせずに勝手に行動している訳はない。もし勝手に行動していたのなら、閣内不統一、いや、バラバラ内閣だとでも言うしかない。


 3つ目は選挙の公約である「10万円の給付」である。18歳未満の子供のいる家庭に10万円を給付するというもので公明党の主張を汲んだものだが、5万円を現金、残る5万円はクーポンだということが大批判の的。クーポンでは現金配布の手数料の3倍の1000億円近い手数料がかかることが判明して批判が加速。


 言い出しっぺの公明党は「クーポンによる支給とは言っていない」と弁解し、岸田首相は当初「残りの5万円は新年度予算の成立後になるため」とか「6月支給が難しい場合は現金でもいい」とか言い繕っていた。


 が、批判が強まるばかりなのに押されて、結局、残りの5万円は現金給付でもいいし、クーポンでもいい、また10万円全体を現金給付でも構わない、自治体の判断で行なってよい、ということに後退した。だが、これって自治体に丸投げしただけのことだ。


 そもそも来年7月は参議院選挙がある。クーポンによる給付は参議院選挙対策だ、ということは一目でわかる。新年度予算になるとか、6月とかの区切りも選挙対策だと察しが付くし、またクーポンにすれば、印刷会社もクーポンの対象の商店も潤うから喜んで自民党に投票するだろうという目論見なのだろう。


 おまけに、先の総選挙で落選した石原伸晃氏を内閣参与に任命したことも批判材料に加わった。落選議員の再就職先としたことだけでなく、石原氏の政治事務所がコロナ助成金を受けていたことも明らかになり、結局、引責辞任。政治事務所がコロナによる収入減だと言い張って助成金を申請し、受け取るとは驚くしかない。国会議員はみみっちいなぁ。


 昔、ある財界人が献金を求めてくる国会議員を「まるで乞食だ」と言っていたが、今も変わらないようだ。最近、「上級国民」とか「高級国民」とかいう言葉があったが、このデンで言えば、国会議員とは「高級乞食」なのだろうか。石原氏の政治家としての見識を疑わざるを得ない。オヤジ殿の石原慎太郎氏はどう思うだろう。そんな人物を内閣参与にした岸田氏の見識も問われる。


 こう見ると、岸田内閣は菅義偉前首相よりも問題が多いようにさえ見える。問題になると、慌てて人事を替えることで繕っているようにしか見えない。菅義偉前首相が腹の中で笑っているかもしれない。大丈夫なのだろうか。


 それにしても、岸田首相が掲げた「新しい資本主義」とは何なのだろう。そんな発言をしていた経済人やエコノミスト、経済学者がいたかなぁ?と思った。


 かつてバブルの時代、「ニューエコノミー」という言葉が登場したことがある。アメリカの経済学者やエコノミストから「現在の繁栄は永遠に続く。ケインズはもちろん、景気循環説など過去の遺物に過ぎない」という主張だった。バブル時代はそんな風潮だった。私自身、週刊誌時代に編集長から「君はバブルだ。そのうち破裂すると言っていたが、2年経っても一向に破裂しないではないか」と言われたこともある。


 しかし、サブプライムローンが行き詰まった結果、リーマン・ブラザーズの破綻でバブルは崩壊した。どうも新しい言葉には要注意なのかもしれない。


 ともかく、岸田首相が唱える新しい資本主義とは「成長と分配」だという。経済成長を進め、その果実をみんなに分配することだという説明だ。宏知会出身らしく、大先輩の故池田勇人元首相が唱えた「所得倍増論」も持ち出した。故池田元首相は野党の質問に「貧乏人は麦を食え」と言ったことでも有名だ。


 話は飛ぶけれど、日本の女性に大人気のフランスの王妃、マリー・アントワネットはフランス革命前夜、市民から「明日、食べるパンがない」と言われたとき、「パンがなければ、ケーキを食べれば」と答えたことでも有名だ。故池田元首相はケーキではなく、直接的に「麦を食え」と言ったのが不人気になったのかもしれない。


「成長と分配」とは確かに心地よい言葉である。首相は「経済成長することで給料分配が増える」と解説し、「成長なくして分配なし」なんていう言葉も加えている。だが、成長と分配とは別に新しい言葉ではないのではないか。資本主義の原則ではなかったか。親しいエコノミストに聞くと、「ウン、資本主義の原則は経済成長することで、それを給料として分配することになる。別に新しいものではない。新しいのは『新しい』という言葉をくっつけたことでしょう」という。


 なかには「資本主義の始まりは産業革命が起こったイギリスですが、当時、イギリスでは賃金が上がり、低賃金だったフランスやオランダ、ベルギー、ドイツ、オーストリアなどに対抗できなくなった。その解決手段として蒸気機関を利用した産業革命が起こった。つまり、賃金が上がることで規制改革、技術の進歩が促され、経済が成長する」と言い、「成長と分配ではなく、分配と成長だ」と説明するエコノミストもいた。岸田首相の言う「新しい資本主義」とは昔からある資本主義と変わらないらしい。


 ともかく、批判されることを心配したのか、それとも、迅速な行動を示したかったのか、財界に賃金の引き上げを要望し、賃金を引き上げた企業には法人税の減税をするという。


 だが、これも評判はあまり華々しくない。そもそも日本では6割の企業が赤字で、法人税を払っていないのだ。赤字企業の中にはトランプ前大統領のように法人税を払わないようにするため経費を増やして赤字にしている企業もある。赤字の企業も社会インフラを利用しているのだから法人税を課すべきだ、という少々、乱暴な意見すらある。少なくとも賃金を上げられそうな企業は4割しかないのだ。


 こうした黒字の企業は法人税の減税を得るため、賃金を上げてくれるだろうが、その代わりに住宅補助や通勤費補助などの厚生費を削る可能性もある。そうなると、われらサラリーマンは賃金が上がっても、手取りはちっとも変わらないことになりそうだ。ひょっとすると、所得税だけが上がったなんていうことにもなりかねない。


 だいいち、賃金を上げたら法人税を減税するという方針に財務省は何も言っていない。総選挙前に各党の政策は「ばら撒きだ」と雑誌で批判した役人もいたが、財務省が法人税減税を批判しないということは、大した税収減にはならない、と見ているのだろう。首相の政策に大した効果はない、という意味なのだろう。


 すでに岸田首相の「新しい資本主義は期待外れ、アベノミクスの続行になりそうだ」なんていう記事もちらほら出ている。やはり「新しい資本主義」とは選挙向けの看板に過ぎず、期待外れになりそうだ。(常)