「世界のKAKIOKA」――八郷に電車が通らなかったわけ――

 

 石岡市が属する土浦地域医療構想区域(二次医療圏)は、茨城県内では比較的、医療資源が豊富な地域です。「茨城県地域医療構想」によると、2015年度は県内の高度急性期病床の37%を土浦構想区域で占めており、2025年度には500床が過剰になると予測されています。回復期病床は552床が不足するものの、全体では332床の過剰となります。


 ただし、高度急性期病床があるのは土浦市だけで、石岡市単独の医療資源は決して豊富とは言えません。


 2018年の「茨城県医師・歯科医師・薬剤師統計の概況」によると、土浦二次医療圏の人口10万人あたりの医師数は223.2人で県平均(197.5人)を上回っていますが、石岡市単独では123.2人。精神科病床を除いた人口10万人あたりの病床数は817.5床で、こちらも県平均を下回っています(2018年「茨城県医療施設調査・病院報告の概況」)。


 石岡市は、2005年10月に旧石岡市と旧八郷町の合併によって誕生しました。2018年当時、市内には病院9軒、診療所が35軒ありましたが、その多くは旧石岡市側の市街地に集中しています。旧八郷町側(八郷地区)には、病院が3軒、診療所が3軒しかありません。しかも、3軒の病院はすべてが精神科病院で、一般診療を併設しているのは1軒だけ。同じ市内でも医療機関へのアクセスに格差が生じていました。


 こうした医療格差を埋めて、誰もが安心して医療にかかれる提供体制の構築を目指して始まったのが「石岡地域医療計画」でした。『医薬経済』本誌の12月15日号では、石岡市が公立病院設立を目指したきっかけについて、前石岡市長の今泉文彦さんにインタビューしているので、こちらも合わせて読んでみてください。


 医療資源の乏しさは提供体制の根幹の問題ですが、石岡市のような地方で、もうひとつ医療へのアクセスを阻害する要因となっているのが、公共の交通機関の少なさです。


 八郷地区の面積は約155㎢で、東京の山手線2.4個分の広さに相当します。東京とは人口密度が違うので、一概に比較できませんが、山手線2.4個分の広さのなかに一般診療を行っている医療機関が4つしかないというのは、かなり心細い状況であることは想像できると思います。


 市境界の地域から、診療所のある柿岡(八郷地区の中心地)までは10㎞程度あるので、徒歩や自転車で移動するのは厳しいものがあります。鉄道はなく、公共の交通機関はバスのみです。ただし、バス路線がない地域も多く、あっても便数が少ないため、車が日常的な移動の手段です。


 自分で車を運転できるか、運転してくれる家族や友人がいなければ、体調を崩しても医療機関に行くことはできません。地方で医療の提供体制を構築していくときは、移動手段を考えることも重要なポイントで、石岡市では乗り合いタクシーの導入などで解決を図っています。


 タラレバの話になりますが、もしも八郷地区に鉄道が走っていたら、こうした問題は起きていなかったかもしれません。もちろん、人口密度の低い地域では、鉄道の路線を望むのは無茶な話かもしれませんが、八郷地区は、土浦市、つくば市といった県内の産業を牽引している大きな市と隣接しています。鉄道が通っていれば、ベッドタウンや工業地帯として開発された可能性もなきにしもあらず。


 なぜ、八郷地区は開発に向かわなかったのか。それは、今から109年前、柿岡に気象庁の地磁気観測所が置かれたことで、鉄道とは無縁の地となることが運命づけられたからです。


石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所。大正14年に竣工された本館(撮影:筆者)


 地球は自転することで電気を発し、巨大な磁石になっています。この地球がもつ磁気の状態や変化を観測しているのが地磁気観測所です。


 日本の地磁気観測は、第1回国際極年期間中の1883年(明治16年)3月に、東京赤坂区(現在の港区)の臨時観測所で始まりました。1897年(明治30年)1月に、東京麹町区(現在の千代田区)の旧本丸にあった中央気象台構内に観測機能が移されましたが、明治の末、市電の路線延長計画が浮上。電車から生じる人工雑音磁場が地磁気観測の妨げとなることが予想され、移転を迫られることになりました。


 その移転先として白羽の矢が立ったのが、柿岡町(現在の石岡市八郷地区)だったのです。観測所の建築は急ピッチで進められ、1912年(大正元年)12月、木造の変化計室、絶対観測室、事務室兼宿舎が完成。翌1913年1月1日から、柿岡町での観測が始まりました。以来、太平洋戦争中も休みなく観測が行われ、100年以上たった今でも継続されています。


 世界に15カ所ある地磁気観測所のなかで、地球を取り巻く赤道環電流の強さを表す指数を決めるDST指定観測所は、世界に4カ所しかありません。八郷地区の柿岡にある地磁気観測所は、そのひとつで、「世界のKAKIOKA」として国際的にも重要施設として注目されています。そして、ここで蓄積されたデータは世界中の研究機関に提供されているのです。


 地磁気を正確に観測するためには、人工的な磁場の影響を避けなければいけないので、電車や車によって発生する人工的な磁場ノイズ、巨大な鉄骨の建物など、地磁気観測に障害を及ぼすものは遠ざける必要があります。


 そのため、電気事業法に基づく「電気設備に関する技術基準を定める省令」の第6節では「電気的、磁気的障害の防止」として、「地球磁気観測所等に対する障害の防止」を次のように定めています。


 第四十三条 直流の電線路、電車線路及び帰線は、地球磁気観測所又は地球電気観測所に対して観測上の障害を及ぼさないように施設しなければならない。


 つまり、観測所の周辺地域には、観測の妨げとなるような構造物をつくることが法律で規制されているのです。なかでも、地磁気観測の強い障害となるのが、一定方向に流れる直流の電流です。電車を走らせるときに使われる電流は、レールから地面に漏洩して周囲に広がっていきます。そして、漏洩した電流が磁気をつくり、地磁気の観測にも大きな影響を及ぼします。電流には交流と直流がありますが、漏洩電流の広がりが大きくなるのは直流で、その距離は約35㎞に及びます。


 明治から大正にかけての八郷は、一面に田んぼと畑が広がる農村地帯で、地磁気観測の妨げとなるものは何もありませんでした。柿岡村が選ばれた理由は、「将来にわたって電車が通りそうもないところ」というもので、地磁気観測にはもってこいの場所だったことになります。以来、八郷地区は鉄道とは無縁の地となったのです。


 ところが、時代とともに、八郷地区の周辺地域を走る鉄道にも電化の波が押し寄せてきます。旧石岡市側の市街地には常磐線が取っていますが、1953年(昭和28年)に、たいら(現在のいわき駅)までの電化計画が浮上します。とはいえ、地磁気観測の妨げとなるため、観測所から半径35㎞以内では、直流電化方式の電車は走らせることができません。


 そこで、関係者が協議を重ねた結果、地磁気観測の妨げにならないように、観測所付近の鉄道は、交流電化方式に変換することで電車を走らせることになったのです。その規制は現在も続いており、常磐線の取手駅と藤代駅の間で、切り替えが行われています。対象区間を通るとき、以前は車内の灯りが一時的に消えていましたが、これは直流と交流の切り替えが行われているからです(現在は、バッテリーによって電源のバックアップが行われているので、車内の消灯はない)。2005年に開業したつくばエクスプレスも、守谷駅とみらい平駅の間で、電流が切り替えられており、八郷地区に近いみらい平駅の以北は、地磁気観測に影響の少ない交流電化方式が利用されています。


 こうした直流電化規制によって、明治以来、八郷地区には鉄道が通ることはなく、今に至っているというわけです。


 もしも鉄道があれば、日常生活における移動手段が増えて、住民は今よりも便利に暮らすことができるかもしれません。そのため、生活の利便性を追求する人からは、つくばエクスプレスの延長や常磐線の増便のために、直流電化規制の原因となっている地磁気観測所の移転を求める声も上がっています。


でも、別の見方をすれば、地磁気観測所があったからこそ、これまで八郷地区はむやみやたらの開発から免れ、日本の原風景さながらの里山が残すことができたとも言えます。


 都市がもつ便利さの影には、自然の豊かさを切り捨ててきた負の側面もあります。もしも、八郷地区から地磁気観測所がなくなってしまったら、開発の魔の手が忍び寄り、田畑が潰され、山が削られ、今まで守られてきた豊かな自然環境があっという間に破壊されてしまうかもしれません。


 一度、壊れてしまった自然環境は、そう簡単に取り戻すことはできません。生活の便利さと引き換えに、開発から八郷地区を守ってくれた地磁気観測所を手放してしまっていいのか。利便性だけに捕らわれることなく、歴史を踏まえたうえで、未来をよりよいものにする議論を期待したいと思います。


参考資料:「八郷町史」(2005年3月25日発行)

     気象庁地磁気観測所HP