最近やたらと聞く「老害」という物言いは、60代に入った我が身には苛立たしく、不快に響くのだが、このところ立て続けにテレ朝の『朝まで生テレビ』を見て、司会者・田原総一朗氏の衰えを他人ごとながら痛感する。さすがに「害」とまでは呼ばないが、「言葉のキャッチボール」を滑らかにさばくべき司令塔が、やり取りのたびにボロボロと落球してしまう。耳が遠くなったのか、数分ごとに他者の発言を「えっ」と聞き返すし、呑み込みがあまりに悪いため、「そうじゃないんです」と居並ぶパネリストがしばしば司会者に論点をかみ砕く。そんな痛々しい光景が繰り返されるのだ。


 同じ高齢司会者でも田原氏の1歳上、88歳になる『徹子の部屋』の黒柳さんは、口調こそたどたどしくなってきたものの、ゲストとの掛け合いにほとんど支障はない。ところが朝生では、パネリストがみな田原氏のために、わざわざゆっくりと平明に話をする。「激論を交わすディベート番組」とはほど遠い「高齢者をいたわる介護者のおはなし会」になってしまっている。


 今週の週刊朝日をパラパラと見ていると、その田原氏による『宰相の「通信簿」』という新連載に目が留まった。今回が第2回目、田中角栄元首相を取り上げていた。87歳にして新企画に取り組む気概には感心するのだが、文章は彼自身のものでなく、語りの再構成。正直内容にも新味はなく、たとえば若き日に角栄氏のインタビューをした退出時、100万円の「小遣い」を渡されたが「受け取れない」と突き返したこと、同様にカネを押し付ける政治家が多々いたが、角栄氏のことを引き合いに出し、断りやすくなったこと、そんな清廉潔白さをさる右翼の大物に「君が初めてだ」と称賛されたこと……。要はテレビでもさんざん語ってきた自慢話の焼き直しだ(さらに言えば、「妙なカネ」を断固として拒む取材者は、別に田原氏ならずともたくさんいる)。


 先週号はどうだったかとひもとくと、扱っていたのは安倍晋三氏。「政権を長続きさせたければ、靖国参拝は二度とせず、『戦後レジームからの脱却』も二度と言うな」。田原氏の直言を安倍氏は「わかりました」と素直に聞き、その結果8年もの大長期政権となったという。「ほんまかいな」とツッコミのセリフが口を突く。田原氏が実際にそう言ったとしても、安倍氏の返答は相当に疑わしい。そういった危うさは、朝生の番組中、田原氏が「それは違う!」と他者の発言を断ち切って反論をかぶせる光景にもよく見られる。田原氏は他者が「言ってもいないこと」を「言った」と思い込み、しばしば大声で反応する。「そんなことは言っていませんよ」と周囲になだめられ、ようやくクールダウンする。誤解・曲解のオンパレード。角栄氏や安倍氏との記憶も、そんな田原氏の認識に過ぎないのだ。


 元代議士の亀井静香氏をはじめ、現代やポストによく載っている80~90代の御大による昔話の放談には、たいてい似たような怪しさが付きまとう。多少でも裏付け取材をするならまた別だが、近ごろの雑誌編集部にそこまでの余力はおそらくない。


 私より5歳上の65歳。この年齢はまだ現役世代に含まれると見ているが、『コリアン世界の旅』などの力作で知られるノンフィクション界の重鎮・野村進氏が、久しぶりに週刊現代で大型連載を始めている。タイトルは『丹波哲郎は二度死ぬ』。私自身、昭和スターの取材を手掛けていて、ケチはつけづらいが、それにしてもあの硬派・社会派の野村氏が、よりによって「霊界タレント」の丹波氏を描くとは……。野村氏自身、この人物を書く「周囲の微妙な反応」から第1話を書き起こしている。


 もちろん、前半生は銀幕でそれなりの活躍をした名優のひとりだった。そんな若き日の活躍を振り返る第3話までを見ても、正直なぜ丹波氏を描くのか、という疑問は読み解けない。野村氏の筆力なら、読者はやがて「なるほど」と膝を打つ展開になるはずだが、それにしても万が一の失望が怖い。野村氏ほどの作家には、最低でもあと10~15年、「衰え」を見せてほしくない。ファンとしてはそう願うばかりである。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。