2021年11月に悪性神経膠腫(脳腫瘍)の治療薬「デリタクト注」(製品名。一般名:テセルパツレブ)が発売された。ピーク時の予測販売額は年間12億円と発売元の第一三共の年間売上高、約1兆円から見ればインパクトは小さい。
しかし、病気に苦しむ患者にとってはもちろんのこと、創薬やがん治療の観点からみても、この薬が登場した意味は大きい。『がん治療革命 ウイルスでがんを治す』は、デタリクト注の誕生までの経緯や日本の創薬、製造販売承認体制の課題を明らかにする1冊である。
デタリクト注はウイルスを使って、がん細胞を破壊するウイルス療法薬。〈ウイルスの遺伝子を操作して、がん細胞のみで増殖するウイルスを人工的につくり、腫瘍内に投与して感染させ、ウイルスにがん細胞を攻撃させる〉新しいタイプの薬だ。一方で、〈正常細胞に感染しても増殖できない仕組みを備えている〉。
新しいメカニズムだけに、世に出るまでの道程は平坦ではなかった。
〈遺伝子組換えウイルスを使ったウイルス療法の臨床試験は日本では初めて〉。かつ、〈脳腫瘍を対象としたウイルス療法薬が承認されたのは、世界初〉でもある。規制当局も前例がない取り組みに対しては慎重になる(医療分野では慎重なことは必ずしもマイナスではないが……)。
しかも、臨床試験は異例ずくめ。
まずは「医師主導治験」。通常、臨床試験は製薬会社が主導して行うが、デタリクト注では医師である著者らが治験を企画・立案し実施した。2006年春に原案を持って厚生労働省に相談に行ってから臨床試験のゴーサインが出るまで約3年を要している。医師主導治験は2003年に導入されていたが、実績が限られていたことも影響したのだろう。ちなみに、アカデミア発で、医師主導治験を経て製造販売承認に至った医薬品は国内初だという。
方法も通常とは異なる。通常、臨床試験は新薬の治療を受ける治療群と標準治療を受ける対象群に分け、被験者がどちらの群かわからない「二重盲検法」で実施される。しかし、デタリクト注では、対象群のない「オープンラベル」と呼ばれる手法で実施された。一定期間後に必ず死んでしまう悪性脳腫瘍の治療薬で、頭に孔をあけて腫瘍に注射する必要があるからだ(対象群を設ける場合、治療薬の代わりに何をうつか問題が起こる)。
■異例の臨床試験「有効中止」
臨床試験の結果は良好。〈もうこれ以上試験をしなくても、被験者の四割が治療開始後一年生存するのは確実〉(=有効性は十分)として第Ⅱ相臨床試験が「有効中止」(非常に稀なケース)になるなど、十分な効果が発揮された。
デタリクト注に用いられるウイルス「G47Δ」をがん治療薬として完成させるため、筆者が2002年に帰国して約19年、条件・期限付きの承認ながら、発売に至った。
著者は開発を踏まえて、いくつかの課題を挙げている。
筆頭は、日本におけるアカデミア発の創薬を発展させる仕組みづくりである。〈化学医薬品からバイオ医薬品へ〉というここ10年ほどの潮流を踏まえて海外ではアカデミア発の医薬品も増えている。一方で、日本では開発者の大学の教授が自らベンチャーを立ち上げたり、資金集めをする基盤がない(スタートアップ側の知財や財務の専門家も不足しているため、基盤づくりは容易ではなさそうだ)。
〈遺伝子治療の研究開発を迅速に進められる環境が整備されていないこと〉も重要なポイントだ。なかでも遺伝子組換え生物の取り扱いへの規制「カルタヘナ法」が医薬品まで対象としていることで、〈被験者側にとっても医療従事者側にとっても負担が非常に大きい〉という。規制は野生生物の生物多様性の保護を目的としたもので、通常、海外では医薬品は規制の対象外となっている。
ピーク時でも年間12億円と見積もられているデリタクト注だが、ポテンシャルは大きい。〈G47Δは将来、すべての固形がんに使われる可能性があります〉という。
〈治療困難とされている腫瘍内への投与としては、悪性脳腫瘍のほかに、頭頚部がん、食道がん、悪性黒色腫、乳がん転移、肺がん、腎がん肺転移、多発性肝細胞がん、転移性肝がん、膵がん、胆管がん、再発前立腺がん、膀胱がん、肉腫などに適応範囲が拡大することができる〉という。がんの転移を防ぐ可能性についても言及されている。
実際の医療現場で使われるには、臨床試験の結果を待つしかない状況だが、バイオマーカーや遺伝子変異に基づいて治療を選択する新しい概念の臨床試験などを用いることで、承認までの時間が早まる可能性もある。
現在、国内でも複数のがんに対するウイルス療法薬の開発が進んでいる。過度な期待は禁物だが、将来、がん治療の新たな選択肢として、ウイルス療法が存在感を増してくるかもしれない。(鎌)
<書籍データ>
藤堂具紀著(文春新書1265円)