新春にふさわしい記事はないものかと各誌の見出しを眺めると、『2022年大展望』とうたったサンデー毎日巻頭の『寺島実郎の眼力 「日本埋没」脱出元年』という記事が目に留まった。執筆者は毎日新聞専門編集委員の倉重篤郎氏。バブル期のあと、先進各国から取り残される一方の日本の「資本主義」、そして民主か専制かで米欧と中ロの両極に世界が二分されるなか、米欧サイドにいるはずの日本で現実には、公文書の改竄などモラルハザードが止まらない「民主主義」をめぐる問題と、2つの視点から評論家の寺島氏にこの国の「現状と課題」を尋ねている。


 前者に関しては、一時期アベノミクスによる円安・株高で「そこそこうまくいっている」と楽観的な見方が広まったが、その後ワクチン国産化の遅れやMRJ(中型ジェット旅客機国産化プロジェクト)の頓挫など、「問題を体系的に解決する総合エンジニアリング力の欠如」という日本の致命的弱点が浮き彫りになったという。MMT(現代貨幣理論)的な国債乱発を危険視する寺島氏は、国債価値の下落により、金利上昇→利払いの増加→財政のさらなる悪化という負のサイクルが到来するリスクにも警鐘を鳴らしている。


 個人的には後段の「民主主義」をめぐる議論が興味深かった。米国にさまざまな人脈を持つ寺島氏は、米識者の多くが実際には、日本を「真の民主主義国」とは見ておらず、ディベートを交わすと端々にその本音が垣間見えるという。軍事的な同盟強化は重視するが、民主的価値観はとくに語らない日本政府。むしろ戦前の国家神道的な価値観への「回帰願望」が透けて見える近年の日本を、彼らは懐疑的に見ているという。


 サンデー毎日で続いている評論家・保阪正康氏の連載『「世代」の昭和史』では今週から『戦後民主主義の弱点 「良心派」の狡猾な生き方について』と銘打って、関連するテーマの議論が始まった。巻頭記事で寺島氏は「現代日本の民主主義」を論じるが、こちらの論考では78年前、敗戦によって日本にもたらされた「民主化」の内実にメスを入れている。


 今週の記事はまだ導入部で、議論の行方はわからないが、戦争中勇ましく軍国主義を称揚した多くのインテリが、敗戦後しれっと民主主義に鞍替えした違和感を語っている。少年期の保阪氏はとくに疑念を持たなかったということだが、改めて振り返ると、「日本に民主主義の根が根付かなかったのは、(世渡りのため安易に転向する)そういう人たちのご都合主義の結果だった」と痛感するという。例えば、皇民化教育をあっさり捨て、民主主義を称えるようになった教育者たち。教え子を戦場に送った責任を本当に悔いるのなら、軽々しく回心するのでなく、潔く教壇を去るべきではなかったか。保阪氏はそう言うのだ。


 あまりにも軽々と豹変する日本人の「カメレオン体質」(そういえば維新後の尊王攘夷→文明開化の変わり身も呆れるほど早かった)。そんな保阪氏の指摘に触れ、ふと浮かんだのは、1972年の本土復帰を境とする沖縄での保革の「入れ代わり」だ。日本復帰を切望し運動を続けたのは米軍支配に抵抗する「革新勢力」で、米軍サイドにつきこれを妨害していたのが「保守勢力」だった。いざ本土復帰が実現すると、彼ら保守勢力はあっさり東京に「帰順」した。何のことはない、強大な力にとにかく付き従う事大主義こそが彼らの行動原理なのだ。


 将来万が一、沖縄が中国の支配下に置かれたなら、真っ先に中国の旗を振るのも彼らだろう。鬼畜米英を叫びながら敗戦後は一斉に親米派に転向した本土の多数派も同じである。米欧と中ロが対峙する新冷戦の時代にも、情勢によって適応する。民主的価値観など、本当は重視していない。寺島氏が指摘する米識者の猜疑の目はとどのつまり、米欧と異なるこういった「ご都合主義体質」を見抜かれてのことなのだろう。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。