東京五輪の公式記録映画がつくられる過程を追うNHKのBS1スペシャル『河瀬直美が見つめた東京五輪』という番組が年の瀬に放映され、その内容をめぐって年始にかけSNSが炎上、今週の週刊文春に『NHK密着番組が捏造 クローズアップ五輪公式監督河瀬直美』というタイトルで報じられた。
コロナ禍での開催をめぐり大きく二分された事前世論。その状況への河瀬監督の立ち位置があまりにバランスを欠いて見えるためなのだが、具体的に批判を浴びたポイントは2点。ひとつは番組で河瀬氏が述べた「日本にオリンピックを招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはず。だからあなたも私も問われる話」という反対世論を無視したような言葉だった。ツイッター上では「五輪を招致したのは私たちではありません」というハッシュタグをつけた投稿が拡散し、河瀬氏による「総責任論」に反発する声が上がったのだ。
もう1点はより深刻な問題で、公式映画の製作スタッフがモザイクで顔を隠した男性を公園でインタビュー。NHKクルーが遠巻きにその取材風景を追う場面で、「五輪反対デモの参加者」を自称するという男性の映像に、「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」と字幕がつけられた。本人による発言の音声は出てこないが、テロップの文言だけでそう説明されたのだ。
あたかも反対デモ参加者がカネ目当ての人々、と言わんばかりのこの場面に、ツイッターでは「この男は本当にデモ参加者なのか」と、捏造を疑う声が噴出した。そしてNHKは今月5日、当該人物を再取材した結果、当人の記憶があいまいで五輪デモに参加した事実は確認できなかった、と謝罪する事態に追い込まれた。
まっとうな取材者なら、もし金銭の受領を打ち明ける証言者がいたならば、金額や日時、誰からどのように、などと詳細を確認するはずだし、番組で証言を取り上げるにあたっては、本人の肉声を必ず使うはずだ。あまりにもひどい取材だが、文春の記事ではNHK関係者のコメントを引く形で、スポーツ番組の取材歴が長いディレクターだったため、「報道系の経験が乏しく『証言の裏を取る』という意識がなかったのでしょう」と説明されている。
それにしても、ディレクター個人のミス、で片づけられる話ではない。プロが見れば一目瞭然の問題シーンなのに、幾重にも内部チェックのあるNHKでなぜ、これが見過ごされてしまったのか。そう考えると、「政治的デモの参加者にはカネ目当てで集まる人もいる」という一部ネット右派の偏見が、報道機関内部にまで侵食し始めている状況を懸念せざるを得ない。普通に考えれば、何の利益も生まない五輪抗議デモに、いったいどこの誰が動員資金を出すのだろう。そんな素朴な疑問さえ持たずにデマを信じるのだ。
より広く流布するデマとして、米軍基地反対デモに日当が支払われるという話をネットで見かけるが、恐らくそんな環境による悪影響もあるのだろう。沖縄の日当デマの話は「現場で2万円と書かれた茶封筒を拾った」と主張する人物が発信源として特定されていて(本人は後日「日当とは言っていない」と発言をごまかすようになった)、この同じ人物の別情報を真に受けた産経新聞が「米軍人人命救助デマ」という虚偽報道をしてしまい、謝罪に追い込まれた事例もある。
ほんまかいな、と驚く情報に出会ったら、事実関係を確かめる。そんな基本中の基本さえ身につけない記者の存在に、報道の劣化を痛感する。また上記2点目の問題に関しては、河瀬監督のあずかり知らぬNHKのミス、と説明されているが、彼女自身は炎上直後に寄せられた「誹謗中傷に負けずに」という激励ツイートに短く「はい」と答えていて、視聴者の批判を「誹謗中傷」としか捉えなかった節がある。彼女の念頭にも「偏見」が居座っている疑念を拭えない。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。