交渉期限とされる現地の日没は、日本時間の深夜11時30分。繰り返し伝えられるそんな言葉に引きずられ、昨夜も遅くまでニュースを見てしまった。本稿の執筆段階で、時々刻々、緊迫の度を高めているイスラム国事件の話である。 


 あの浅間山荘事件もペルー大使公邸占拠事件もそうだったが、人質の生命がかかる息詰まる攻防は、メディアにとって紛れもなく最大級のニュースである。凄惨でショッキングなニュースは他にも多々あるが、基本的にそのほとんどは「すでに起きてしまった出来事」であり、人々は悲劇の結末を最初に知る。 


 人質事件はそうではない。グリコ森永事件などごく一部の例外を除けば、“同時進行で”事態が進んでゆく数少ない「劇場型の事例」だ。最悪の事態に陥るのか、それを回避できるのか。事件が起きているさなかにこんなことを語るのも不謹慎な話だが、現実に今、人々は固唾を飲み、ことの成り行きを見守っている。 


 皮肉にも、現地の取材現場では、テレビ局に雇われた日本人コーディネーターが交通事故で亡くなってしまったという。人質か否かで、天と地ほどに違う“命の注目度”。これもまた、何ともやるせない話である。 


 そのようなわけで、今週の週刊誌は、月曜発売の現代、ポストから、木曜発売の文春、新潮へと、後発の雑誌になるほどに、イスラム国関連の記事が膨れ上がっている。 


 残念なことに、その中には苦々しい思いを掻き立てる記事も少なくない。人質の後藤健二さんやその母親に対するネガティブな報道だ。ネットに溢れかえる「自己責任」という言葉もそうなのだが、「なぜ、今、それを言う?」という思いを、私は禁じ得ない。 


 片や、政府は早くから人質問題を把握していたのに、あまりに不用意にイスラム国を刺激してしまったのではないか、という指摘に対しては、「救出に全力を尽くすべき時に、言うべきことではない」という批判が浴びせられている。その通りだと思う。だからこそ、人質やその家族を貶めたり、最悪の事態を先取りし「自業自得だ」と言ったりする人たちにも、そっくり同じことを言いたいのだ。 


 例えば文春の『「10分300万円」に命を懸けた後藤健二さん 書かれざる数奇な人生』という長文の記事では、後藤さんのイスラム国行きが、湯川遥菜さんの救出より、報道でカネを稼ぐ“商魂”が動機だったのではないか、と論じられている。現実にそうだったのかもしれない。その昔、ベトナムの戦場で殺されたピュリッツァー賞カメラマン沢田教一氏も、「展覧会に出せる写真を撮りたい」と語ったと伝えられている。命を賭し戦場に赴く記者や写真家に、名声や報酬への願望がまるでない、と言ったらウソになるだろう。 


 だとしても、それを今、大々的に書く必要が本当にあるのか。そちらの“動機”のほうが、私には気になってしまう。現実以上に人質を美化する報道(これもまたありがち)もいかがと思うが、命の瀬戸際に置かれた人を今、“いかがわしい人間”であるかのごとく、描き出す理由が、私には、到底理解することができない。 


 特集のすぐ次のページには、池上彰氏がコラムで「I AM KENJI」と題した文章を書いている。それによれば池上氏は中東取材の際、後藤さんのサポートを何度も受けているという。現場の危険度を見分ける後藤さんの判断力について、池上さんは「的確なアドバイスだった」と評価して感謝している。 


 そのうえで池上氏は、フリーランサーの戦場取材について、《「金を稼ぐ」というには、対価はあまりにもささやかです》と言い、《「誰かが伝えなければならないから」という使命感に突き動かされている》と強調する。少なくとも、事件が完全に終結するまでは、私は池上氏の語る後藤さんの人物像を信じたいと思う。

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。