大学入学共通テストが始まった1月15日、その会場のひとつ、東大弥生キャンパスの前で17歳の少年が72歳の男性と受験生2人を刺し、殺人未遂容疑で逮捕された。少年は名古屋の有名進学校・東海高校に通う2年生。東大理科Ⅲ類(医学部)への進学を切望し、周囲にもそう語っていたのだが、昨年9月、進路を話し合う学校の3者面談で「理Ⅲは無理」と通告され、「人を殺し罪悪感を背負って切腹しよう」と絶望のなかで「拡大自殺」を図ったという。今週の週刊文春は『東大死傷犯“神童”は授業中に手首を切った』、週刊新潮は『“東大前3人刺傷”「エリート高校生」母が洩らした「息子の異常」』と銘打って、いずれもトップ記事でこの事件を扱った。
東海高校は昨年度、東大、京大に31人ずつの合格者を出し、国公立大医学部への進学実績でも14年連続全国一(昨年度は計93人)を誇る名門だが、東大理Ⅲの合格者はさすがに年1~2人。一方で容疑者の少年は1年生のうちは学年15位の好成績を収めたが、2年生になると130位まで成績を落としていたという。
家庭環境はごく普通、取り立てて親からのプレッシャーはなく、理Ⅲ合格はあくまでも本人の夢だった。しかし、なぜ理Ⅲ以外はダメなのか、本当に医師になりたいのか。そういった疑問に答える記述はなく、記事全体から受ける印象では、あくまで偏差値最高位への挑戦という意味合いにしか、彼のこだわりは向いていなかった。
他の学部なら東大生・京大生になることも夢ではなかったし、医師になりたければルートはさまざまある。「理Ⅲか死か」というナンセンスな2択は不可解極まりなく、脳内に棲みついた強迫観念がいつの間にか「モンスター化」してしまったようにしか受け止めようがない。受験戦争の悲劇、というよりは、ストーカー殺人のような「盲信・狂信の末の犯罪」に分類されるケースに思われる。
文春記事によれば、少年は毎日寝るまでの勉強予定をびっしりメモ帳につけ、学校では弁当を食べる時間をも惜しみ、イヤホンで授業の録音を聞き続けていたという。少なくとも人一倍の努力をする集中力、ストイックさは持ち合わせていた。しかし、その「過剰な集中力」こそが、もしかしたら、精神の「疲労骨折」を引き起こした原因だったかもしれない。
極限への挑戦、という点では、アスリートの世界にも相通ずる部分がある。ふとそんなことを思ったのは、1ページめくった文春の次の記事に『妻は33キロに激ヤセ 内村航平モラハラ離婚トラブル』というタイトルがあったからだ。大概のゴシップ記事は斜め読みする私だが、体操界のレジェンド・内村選手にまつわるこの記事には、得も言われぬインパクトがあった。そこに描かれた家庭内の内村氏(妻の側から見た像)がまるで、冷血動物のように温もりのない人物に感じられたからだ。
夫人が衰弱した原因は、姑からの敵視。彼女はやがて精神を病み、姑と出くわす可能性がある夫の試合日程が近づくと、眩暈や震え、吐き気に苦しむようになる。しかし、げっそりとやせ細る妻を疎ましく思ったのか、内村氏は彼女を徹底して無視、やがて一方的に離婚の意志を告げ、担当弁護士の名刺をLINEで送りつけてきたという。
もちろん、内村氏の側にも言い分はあるのだろう。しかし、救急車が必要なほど妻が衰弱していても無関心、身の回りから娘たちも排除してひとりゲームに興じるなど、記事で描かれる内村氏は徹底して無反応・無感情の人なのだ。
アスリートとしての氏の努力は万人が認めるところだが、過剰にストイックな極限状態には、他の部分の感情を干からびさせてしまう「精神的副作用」もあったのではないか。突飛な想像かもしれないが、隣り合わせに並んだ2本の記事を読み、私は「精神面の追い込み」という点で共通するそんなリスクを思ったのだった。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。