今週は、NHKに対する批判記事が各誌に集中した。口火を切ったのは週刊現代である。『籾井会長は正月早々、公用車で私用ゴルフに出かけていた 「みなさまのNHK」が「オレさまのNHK」になった日』という記事で、籾井勝人会長の公私混同ぶりを暴いている。私用でハイヤーを使ったのではないか、というこの疑惑は国会でも追及されたから、籾井会長が気色ばむ場面をニュースで見た人も多いに違いない。 


 執筆者の森功氏は「NHKと政府の蜜月については繰り返すまでもないが、籾井体制になってそれが顕著に表れている」と、この“困った会長”を支える環境を解説する。籾井氏は、先にNHK経営委員を辞任した百田尚樹氏と同様、安倍首相の肝いりでその地位についた、とされる人物だが、首相周辺には人材が枯渇しているのか、就任当初から慰安婦問題で不用意な失言をしたり、理事全員に辞表を書かせる芝居じみた振る舞いをしてみたりと、日本を代表するメディアのトップらしからぬ“馬鹿殿様ぶり”をさらしている。 


 週刊ポストは『籾井NHK会長が国会で本誌報道を追及され、委員長にも怒られた』と銘打って、前々号で打ったスクープ記事の続報を掲載した。ここで問題視されたのは、「NHK関連団体ガバナンス調査委員会」という新設の第三者委員会。前々号のスクープでは、NHKが1年前、関連出版社の架空外注費問題など、相次ぐ不祥事の対策づくりのため、「ガバナンス委員会」という組織を設置したことを取り上げて、そのいかがわしさを指摘した。 


 委員長には、籾井会長や安倍首相と親しい弁護士が選ばれ、他の2委員も同じ法律事務所の弁護士たち、という安直な人選。しかも、委員会がまとめた報告書は要旨しか公開せず、彼らに支払った報酬も明かさない、ということで、衆院予算委員会で民主党議員の追及を受けることになった。しかし、会長は「私はタッチしていない」と曖昧な答弁ではぐらかし、業を煮やした予算委員長から注意を受けた、という話である。 


 週刊文春には“会長ネタ”とはまた異なる、より深刻なスキャンダルが載った。『「記者に頼まれ、架空の人物を演じた」出演者が告白 NHK「クローズアップ現代」やらせ報道を告発する』。記事が指摘した問題の番組は、昨年5月に放送された「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」という特集で、多重債務者を形式上、出家させることで別人にしてしまう、という詐欺の手口を取り上げたものだ。 


 この番組には、多重債務に悩む相談者がブローカーの事務所を訪れるシーンがあるのだが、この“ブローカー役”の人物が「番組はやらせだった」として、自分はブローカーでなく本当は飲食店の従業員だと告白した。また文春編集部は、番組で「事務所」とされたビルの一室も、長らく使われていない空き部屋であったと確認した。それでも、NHKサイドは直後の定例会見で「やらせがあったとは考えていない」と疑惑を真っ向から否定している。 


 NHKに関しては、実は筆者もこの1月、広報に取材を申し込み、苦い経験をした。NHKを批判する要素はまるでない取材だ。私はこのひと月、週刊朝日で菅原文太氏にまつわる短期連載を執筆したのだが、その中で文太氏が関わった東北現代史のドキュメンタリーについて、担当者の解説を求めただけだった。にもかかわらず、広報の対応は「放送済みの番組については、取材を受けていない」という一点張り。つまり広報は、これから放送する番組のPRしかするつもりはない、というのである。 


 私は以前にも、NHKの番組を取材したことがあるのだが、その時はもちろん、何の問題もなく「放送済みの番組」を説明してくれた。個人的につてのあるNHK職員に聞いても、「そんなルールは初耳だ」と首を傾げていた。広報の真意は、とにかくこのドキュメンタリーに触れてくれるな、ということだった。 


 取材拒否の理由はだいたい想像がつく。菅原文太氏はその晩年、公然と安倍政権批判を繰り返し、この番組にも「反原発」に言及する場面がある。政権の不興を買いたくないということか、籾井会長へのゴマすりか、とにかく広報は私の記事を抑えようとしたのである(もちろん、そんな嫌がらせは無駄な試みで、こちらは予定通り、記事の中で番組に触れた)。 


 籾井体制による“政権すり寄り”は、噂には聞いていたが、まさかここまでとは、思いもしなかった。NHKの知人も呆れ返っていた。昨年は朝日新聞が“炎上騒ぎ”を起こしたが、こんな調子だとNHKは違った意味で、大波乱の淵に追い詰められる気がする。 


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町:フクシマ曝心地の「心の声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。