今週の週刊朝日は創刊100周年記念号。とくに目を引くのは、山口百恵や夏目雅子、宮崎美子などのスターをモデルにした懐かしい表紙の数々だ。昭和から平成にかけ、写真家・篠山紀信氏の名声を一気に引き上げた週朝の表紙。その強烈な印象が今なお鮮明に残るのは、氏の優れた写真技術だけでなく、記事内容においても週朝が当時、黄金期にあったためだろう。三島由紀夫や小野田寛郎、サダム・フセインなど、時折織り交ざる「時の人」をあしらった表紙もインパクトに満ちていた。


 特集では、篠山氏や夏目房之介氏、鴻上尚史氏、西原理恵子氏など、名物企画を担当した歴代の担当者が往時の思い出を回想し、四半世紀続いた『街道をゆく』の執筆者・司馬遼太郎氏にまつわる記事、過去100年の雑誌ネタを駆け足で辿てゆく記事などもある。だが、こうやって改めて過去の誌面のクオリティーを想起すると、それと比較した週朝の現状に、どうしてもため息が出てしまう。スタッフの数も予算も、もしかしたら往時の半分以下になったかもしれない。


 足を使って人に会う。そんな「取材モノ」がとんと見当たらなくなってしまったのだ。さすがにお祝いの号なので、寄稿者は「さらなる発展を」とことほぐが、到底本音には思えない。談話を寄せたひとり、堀江貴文氏(『ホリエモンの「獄中記」』などを連載)は「長年培ったブランド力を生かしもっとウェブ展開を」と提案しているが、確かにこのままでは「次の100年」はおろか「次の10年」も危ういように思える。


 先の衆院選での「敗北」以後、立憲民主党の右往左往ぶりが痛々しい。実際のところ、共産党との共闘が裏目に出たという解釈は、連合新会長の芳野友子氏らを例外として、そのほとんどが保守系の「敵陣営」が強調する話でしかない。前回2017年の総選挙と比較して、立憲候補が勝利した小選挙区は18から57に増加。比例区では国民民主・社民からの合流組の票をすっぽり取りこぼし、このことが議席減につながったが、投票用紙に「立憲」と書いた有権者の総数は17年選挙よりほんの少しだが増加しているのだ。


 にもかかわらず、立憲は選挙以後、周囲の言に惑わされグラグラになっている。そして、これを機に野党第1党に取って代わろうと猛烈な立憲批判を続けるのが維新である。今週のサンデー毎日はこうした状況を受け、政治学者の白井聡氏による『「価値」を入れ替える政治に転換せよ 「維新的なもの勝利」の時代に野党に求められるもの』という論考を載せている。白井氏は「野党共闘は失敗」というネガティブキャンペーンをはじめ、「文書通信交通滞在費の改正に立憲は非協力的」「元党代表の橋下徹氏に、国際的にご法度のヒトラーになぞらえた批判をした菅直人元首相は謝罪せよ」等々のウソ情報を混ぜた維新のプロパガンダが功を奏しつつあると指摘。思想家・佐伯啓思氏の言を引く形で、民主主義の本質は真実や事実でなくイメージ操作にこそある、と主張する。そしてリベラル勢力は、維新が得意とするこのイメージ操作=主観的価値観の部分で、対抗する機軸を打ち出さねば、劣勢を覆せないと説いている。


 そんななか、今週ネットではタレントの「水道橋博士」と大阪の「松井一郎市長」の名がツイッターのトレンドトップ(エンターテインメント部門)にほぼ毎日、表示される現象が続いている。高校への裏口入学疑惑など松井市長の経歴の「闇」を探るユーチューブ動画の存在に、博士がツイッターで言及したところ、松井市長はこれに怒り「法的措置を取る」と非難。しかし博士は、怯むどころか逆に闘争心を燃え上がらせ、大阪の右翼的番組制作会社と維新とのつながりなど、独自調査した醜聞を次々ツイートして攻勢に出ているのだ。維新のプロパガンダ戦略が世を覆わんとするなかで、これに立ち向かう博士の孤軍奮闘に世間の注目が集まっている。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。