先頃のRISFAXに、衆議院予算委員会の公聴会で「医療費にマクロ経済スライドの導入を提案」という記事が載っていた。記事によれば、公聴会に公述人として出席した法政大学経済学部の小黒一正教授が、医療費にも「年金と同じようなマクロ経済スライドを導入できないか」と提案した、というのである。小黒教授は「医療費は診療報酬という公定価格に、使った量をかけたもの」と説明し、公定価格の部分を「調整(抑えることが)できれば、国内総生産(GDP)比で医療費をコントロールできる」というものらしい。


 これには正直、驚いた。いや、記事ではなく、小黒教授が医療費を抑える方法として、「マクロ経済スライド」を導入することを提案したことだ。まぁ、経済学者にはときに奇をてらうような理論を唱える人が飛び出してくる。その顕著な例がニューヨーク州立大学のステファニー・ケルトン教授の唱えたMMT(現代貨幣理論)という説だ。


 ご記憶の方も多いだろうが、ケルトン教授が唱えたMMT理論とは、自国通貨を持つ国は国債を大量に発行して国家が巨額の借金をしても破綻はしない。政府が新たに通貨を発行すれば事足りる、というものだ。その格好の例として1000兆円を超える財政赤字を抱える日本を挙げたのには驚く。ケルトン教授の理論に従えば、「巨額の財政赤字なぞ、クソくらえ」ということになる。


 もちろん、伝統的な経済学者からはとんでもない理論だ、ということになる。が、その理論に共鳴したのか、わが政府は国債を出し続け、その国債を日銀が買い入れ、今や国債発行残高は1200兆円に上る。そのうち、外国人の保有比率は13.4%を占める。国債の発行し過ぎで、ある日突然、国債相場が暴落し、金利が急騰することはないのだろうか。政府・自民党は国民の金融資産は1500兆円に上るから問題はない、と説明している。


 だが、かつて国債発行残高が1000兆円近くになり、外国人保有比率が5%に達したとき、ある外国の投資会社のトレーダーに聞いたことがある。すると、彼は「国債の5%を持つと、やろうと思えば暴落を操作できる」と言う。最初にある程度の国債を売ると、相場が動揺し国債相場が崩れる。続けて残りの国債を売り出すと、国内の銀行や証券会社が慌てて狼狽売りに走るだろうというのだ。国債相場が暴落すれば、当然金利が急上昇する。やろうと思えば、「5%もあれば国債相場の暴落を起こせますよ」と言っていた。


 ケルトン教授の理論は伝統的な経済学の立場からは異論なのだが、昨今は極端な理論を言い出すと、注目されるし、話題になる。上手くいけばノーベル経済学賞がもらえる可能性もあるらしい。


 話がだいぶ脇道に反れたが、要は、医療費抑制のために「マクロ経済スライド」という理論の導入を振りかざした、ということにある。有名な経済学者のなかにも、こういう異論を持ち出す人がいるのには驚く。


 そもそも「マクロ経済スライド」とは、小泉純一郎内閣で総務相を務めた竹中平蔵氏が、年金を抑制するために言い出した言葉だ。むろん経済用語としても聞いたことがない。


 ともかく、中身は物価が上がっても、それに合わせて年金を上げないことで年金支給額を減らそう、というものだ。年金はどこの国でも物価が上昇したら、その上昇率に合わせて年金支給額を上げるという仕組みになっている。その仕組みを変えるというのである。


 例えば、物価が4%上がったら、年金支給額は通常なら物価上昇率と同じ4%引き上げることになるのだが、竹中氏が唱えた「マクロ経済スライド」では年金引き上げは半分の2%に抑える、という手法だ。こうすれば年金の増大をかなり抑えられることになる、と主張した。


 逆に物価が下がったら年金も下落率に応じて下げる、という発想になるのだが、竹中氏はそれを言わなかった。さすがに竹中氏も物価が下がった場合にはそれ相応に年金を下げるということを口にしなかった。もし物価が下がった場合に年金を下げるということを加えれば、経済学者やエコノミスト、社会保障を研究する人たちから総スカンを喰ってしまいかねない。


 いや、それ以上に物価下落の場合を説明すると、小泉内閣はデフレを目指しているのか、政府の目標は不景気にすることなのか、ということになってしまう。竹中氏は経済学者としての立場からも言えなかったようだ。それでも「マクロ経済スライド」という標語が気にいったのか、それとも小泉内閣への賛成なのか、政治記者たちは大はしゃぎで取り上げ、政策に取り入れられた。


 もっとも、小泉内閣ではこの「マクロ経済スライド」は適用されなかった。いや、正確には適用するチャンスがなかったのだ。小泉内閣、さらにその後の内閣でも物価上昇がなかった。むしろ、デフレが続き、物価は下落するばかりだったから適用したくとも、適用するチャンスがなかったのである。


 しかし、この「マクロ経済スライド」と名付けた発想は正しいのだろうか。あるエコノミストによると、欧米では竹中氏が編み出した「マクロ経済スライド」などというものはない、という。物価が急上昇したら、年金生活者だけでなく、一般国民も生活が苦しくなるのだから賃金上昇が行われ、年金も物価上昇率と同様に支給額を上げるのが当たり前だという。もし、物価上昇でも年金は上がらない、いや、下がるというような政策を打ち出せば、国民から「私が年金をもらうようになったとき、受け取る年金が少なくなるではないか」と未だ年金受給者ではない人たちからも批判が巻き起こり、政権が危機に陥る、というのである。


 では、物価が下がる場合はどうか、と聞くと、「そんな例はない」という。というのも、「経済発展させて生活をよくする」という政治家はいても、「デフレにして国民の生活を苦しくします」という政策を掲げる政治家はいない。もしデフレ経済にするという公約を掲げたら、それだけで落選してしまう。ふつうは「景気回復します」と宣言したものの、デフレになってしまったというだけで政治家失格。内閣は潰れてしまうのだそうだ。


 バブル後、もう30年間もデフレが続いている日本経済がおかしい、いや不健全。デフレを止められない政治が続いていることのほうが奇妙なのだ。当然、物価が下落したとき、年金は減らすのかどうかなどという議論は起こり得ないのだそうだ。竹中氏が物価下落のときは年金をどうすべきか言わなかったのも、こうした理由である。


 ところが、安倍内閣で「マクロ経済スライド」が生き返った。それどころか、物価が下がったデフレ経済で年金を下げることにした。財務官僚と取り巻きの学者が編み出したのかもしれないが、物価下落率と現役世代の賃金の動向に応じて年金を減らす、という複雑な制度を「マクロ経済スライド」に組み合わせたのである。


 仕組みは、例えば、昨年の物価上昇率が0.2%下落し、一方、賃金上昇率は0.4%減とすると、この場合、年金の下落率は物価上昇率に応じてではなく、物価下落率より大きい数字である賃銀下落率の0.4%減を採用し、年金支給率を0.4%引き下げるという内容だ。


 実際、4月からの新年度では年金支給額がそれに相当している。今年はガソリンを筆頭に食料品など、ほぼあらゆる商品で値上がりしているが、昨年は逆に物価下落が続き、物価下落率は0.2%。年金支給額の引き下げのチャンスになった。しかも、2018年から2020年度の平均賃金は0.4%の下落という。この結果、年金支給額は物価下落率より低い賃金下落を採用して0.4%引き下げることになる。世界では通用しないような世にも不思議なこと現実になった。


 余談だが、年金と生活保護とは裏腹の関係にある。年金を減らせば、国民年金だけという年金の少ない世帯に影響を与え、生活保護世帯が増える。現に、新型コロナによる生活困窮から生活保護受給者を除き、生活保護世帯に高齢者が多くなっている。


 筆者の週刊誌時代には、暴力団員が生活保護を受けているとか、働かずにパチンコばかりしている生活保護世帯がいる、といった記事を書いてきたが、一般的には、生活保護世帯を減らすには年金を改革し、年金で暮らせるようにしないと解決しないのである。


 今また年金を減らすことに官僚たちは頭を使っているが、発想が逆だ。高齢者が生活保護世帯になると、生活保護費は受給者が亡くなるまで支給し続けることになる。生活保護に税金を多く使うか、それとも年金支給額を減らさずにすべきか、の問題なのである。


 今、診療報酬に「マクロ経済スライド」を導入すべきだ、という提案は、年金と同様、医療費をいかに減らすか、という方法である。だが、2035年まで高齢者は増え続けるそうだから、それまで医療費は増大せざるを得ない。医薬品も新しいものが生まれるたびに値上がりするのもやむを得ないだろう。それを見据えれば医療費が増大するのはある程度やむを得ない。とすれば、その費用をどうすべきかを考えるべきではなかろうか。


 ともかく、こういう発想の経済学者が在野にいても構わないが、行政部門で推奨されるべきものではない。(常)