円鑿方枘(えんさくほうぜい)とは丸い穴に四角い突起を入れることから転じて、物事を噛み合わない様子を表すという。政府の規制改革会議(議長・岡素之住友商事株式会社相談役)が問題提起した医薬分業の見直し論議も、その一つのように感じる。
今回の議論に際して、規制改革会議は「医療機関と薬局を分ける規制が患者の利便性を失わせている」と指摘。これに反対する日本薬剤師会との調整を経て、2016年度に見直しを進めることで一応の決着を見た。
しかし、医薬分業の目的や薬局、薬剤師の存在意義について突っ込んだ検討がなされず、議論が噛み合っていたとは思えない。丸い穴に四角い突起を入れるような議論が続く背景には、医薬分業の目的が明確になっておらず、薬剤師や薬局の役割が国民に認識されていないためではないだろうか。
◇ 痛み分けの決着
今回、規制改革会議が問題視したのは、保険薬局及び保険薬剤師療養担当規則(以下、療養担当規則)の第2条の3である。ここでは保険薬局に禁じる事項の一つとして、「保険医療機関と一体的な構造とし、又は保険医療機関と一体的な経営を行うこと」を挙げている。この規定が医療機関と薬局の間に公道や障害物を挟まなければならない現状に繋がっているとして、規制改革会議は「医療機関と薬局が離れることを義務付けており、利便性に問題がある」と指摘。さらに、「院内処方に比べて、院外処方は約1000円(患者負担の場合は約300円)高いため、コストに見合ったメリットを感じられにくい」と問題提起した。
これに対し、日本薬剤師会は「医師と薬剤師が処方を二重に確認することを通じて、薬物療法における安全性の確保と質の向上を図る。患者の利便性よりも安全性を重視するため、薬局が医療機関から完全に独立するべきだ」と主張した。
結局、先月に閣議決定された「規制改革実施計画」では、「患者の薬局選択の自由を確保しつつ、患者の利便性に配慮する観点から、薬局と医療機関の間で、患者が公道を介して行き来することを求め、フェンスが設置されるような現行の構造上の規制を改める」と定める一方、「薬局と医療機関の間の経営上の独立性を確保するための実効ある方策を講じる」とし、これらの結論を2015年度中に出した後、2016年度に措置すると明記した。
つまり、規制改革会議は「見直しの確約」という成果を得た一方、見直しの詳細を今後の議論に委ねたことで、言わば痛み分けと言える。しかし、「医薬分業の目的は何か」という議論が欠落していた感は否めない。医薬分業を巡る歴史を紐解きつつ、その意味を根本から問い直したい。
◇ 医薬分業を巡る攻防の歴史
医薬分業を巡る攻防は医療制度の歴史と軌を一にしている。ドイツの制度を模倣する形で、明治維新から7年目の1874年に公布された「医制」では「医師たる者は自ら薬をひさぐことを禁ず。医師は処方書を病家に附与し、相当の診療料を受くべし」と規定することで、医薬分業が原則とした。
しかし、自ら診察した患者については自宅で薬剤を調合・販売・投与できるという例外規定も盛り込んだ。原則と例外が併存する状態は薬剤師の役割を定めた1889年の「薬律」、1925年の薬剤師法、1948年の薬事法でも踏襲された。
こうした中途半端な状態が続いたのは医師と薬剤師の対立が影響している。江戸期まで医師は「薬師」(くすし)と呼ばれ、医療の治療と投薬は一体と理解されていた上、薬代が医師の収入となっていた。このため、医薬分業を進めると医師の収入減に繋がる恐れがあり、医師サイドの意向に考慮する形で、現状が追認されたのである。
この議論は戦後に持ち越された。GHQの勧告に沿って、分離を徹底する法律(いわゆる「医薬分業法」)が1951年に成立したが、GHQの占領が終わりを告げる中、日本医師会に近い議員の巻き返しがあり、「患者が医師から薬剤をもらいたいと申し出た場合、医師が調剤できる」という例外規定が追加され、骨抜きにされる形で1956年4月に医薬分業法が施行された。
その後、1970年代から医療費の増加が課題となり、医療費適正化の一環として、医薬分業が注目されるようになった。医療機関は医薬品メーカーから薬を購入する際、国の定める薬価よりも安い価格で仕入れており、薬価と実際の仕入値段の差で生まれる「薬価差益」が医療機関の収入となっていた。さらに、薬を過剰投与する医療機関も散見されるようになり、医薬分業による薬価差益の圧縮を通じて医療費適正化を目指そうとした。
この結果、医薬分業の比率は年々上昇し、2013年度までに67.0%に達した。これにより、明治期以来の懸案は一定の結論を見たかのように見えたが、規制改革会議の指摘で医薬分業の意義が再びクローズアップされた格好と言える。
◇ 薬剤師、薬局の存在意義を示せ
今回の議論で注目すべきは両者が「患者の利益」を掲げていることである。規制改革会議が「患者の利便性」「患者の負担軽減」を理由に挙げたのに対し、日本薬剤師会も「患者の安全」をタテに必要性を主張した。
しかし、医薬分業のメリットについて、国民や患者はどこまで意義を認識しているだろうか。現在はどこの薬局に行ってもほとんど同じであり、患者の関心や興味を引く差別化に向けた努力の形跡は見られない。医療機関にぶら下がるように、医療機関の門前に店を連ねている現状の下、国民が医薬分業のメリットを感じられないのは当然の帰結である。
さらに言えば、患者や国民は調剤薬局や薬剤師の役割をどこまで理解しているだろうか。誤解を恐れずに言えば、多くの人は「調剤薬局とは医療機関で処方された薬を受け取る場所」「薬剤師とは医師の処方箋に沿って薬を棚から卸す人」と受け止めていないだろうか。残薬や重複服薬の指導などを通じて存在意義を発揮しなければ、いくら医薬分業の必要性を言い募っても意味があるとは思えない。
規制改革会議のスタンスも疑問が残る。調剤薬局を選択する際、患者は医療機関からのアクセスを考慮しているに過ぎない。もし規制改革実施計画に出ている通り、患者による「薬局選択の自由」を確保するのであれば、その決定を下支えするため、患者の満足度や待ち時間などの情報開示が不可欠である。このことが調剤薬局の差別化に繋がり、多様な選択を可能にすることが期待される。フェンスなど極めて些細な規制に着目している姿は「木を見て森を見ず」の批判を免れない。
こうした中、厚生労働省は薬の飲み残し防止などサービス向上に取り組む「かかりつけ薬局」の機能を強化しようとしている。だが、分業見直しの代償として、調剤薬局の保護を目的とした制度になるのであれば何の意味もない。これまで医師・薬剤師の綱引きや医療費適正化の観点で語られがちだった医薬分業だが、これまでの延長線では円鑿方枘の議論が続くだけである。「国民や患者にとって、薬剤師や薬局がどんな役割を果たすべきなのか。その中で医薬分業はどうあるべきか」という骨太な議論が求められる。
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丘山 源(おかやま げん)
大手メディアで政策形成プロセスを長く取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。