「ありがとう」や「はい・いいえ」、そんな片手に収まる語彙しかないロシア語能力だが、記憶の奥隅に引っかかる「ダモイ」という言葉が映像から聞き取れた。ウクライナの住民がロシア兵を取り囲み対峙する場面。確かこの単語は終戦後、シベリアに抑留された旧日本兵たちが待ち焦がれた「帰還」を意味するキーワードで、引揚者の回想記によく出てくる。かたやテレビの映像には「帰れ」と字幕が付き、ここでは罵倒語だと理解できる。ロシア軍のウクライナ侵攻から1週間余り。そんなニュース映像の細部にまで、私は日々釘付けになっている。


 一連のウクライナ報道には、本当にさまざまな思いが湧く。何よりも怖いのは、迫りくる無差別攻撃の幕開けだ。本格的な都市殲滅戦が始まれば、緒戦とは桁違いの地獄絵図になってしまう。「援軍なき籠城戦」「展望なき持久戦」に現地の人々は、果たしてどれだけ持ちこたえられるのか。


 その一方、大国ロシアを追い込む道筋も、ぼんやりとだが見えつつある。SWIFT排除をはじめとする経済制裁の徹底が、思いのほか強烈な打撃になる感触があるからだ。グローバル化した世界での徹底した「村八分」は、大国にも致命的な痛手になる。もちろん、目の前のウクライナ救出には間に合わないだろうが、1~2年というスパンで考えれば、ロシアにも暗黒の未来が待ち受ける。国際世論は今回、それほどに明確な意思表示をした。石油や小麦の高騰など、おびただしい「返り血」が不可避とされ、結束の維持は容易ではなさそうだが、少なくともこの我慢比べでは、ロシアの側が相当に分が悪い。


 わずか数日で劇的に結束した国際世論には、ウクライナの巧みなSNS戦略が奏功した。ロシア本国の「物言えぬ環境」においてさえ、反戦の声が上がっている。善玉がウクライナで、悪玉はロシア。そんな国際的評価が完全に定着した。その昔、ベトナム戦争は前例のない大規模な現地報道で国際的反戦運動を生み、アメリカの敗北につながった。今回は報道のプロでなく一般の現地住民の手で次々とリアルな映像が発信され「SNS戦争」とでも呼ぶべき様相になっている。


 経済制裁で徹底的に締め上げれば、プーチンの天下は早晩国民から見放される。問題はそこに至るスピードと、目の前の紛争解決に、相当な時間差が見込まれることだ。どれほど愚昧なリーダーでも、その手には大量の核兵器がある。世界は武力対決でなく兵糧攻めで彼を倒す以外にない。気の毒なのは、そのために「捨て駒」になりかねないウクライナの命運だ。世界はこの短期スパンの手立てとして何ができるのか。それでもまた、ロシアの絶望的孤立を見て、台湾侵攻を目論む中国の戦略にも黄信号が灯っている。世界は今、それほど重大な歴史の曲がり角に立っている。


 文春や新潮にも関連報道は見られるが、ニューズウィーク日本版以外に現地の声を伝えるのは、わずかにアエラに出た『5分ごとに爆音がする』という記事くらいだ。しかもよく読めば、何らかの伝手のある現地在住者に日本から連絡を取り「ルポ風」にまとめただけに見える。さすがにニューズウィークには論評や解説だけでなく、『レジスタンスはもう始まっている』という重量感のあるルポが出ているが、その昔、ベトナム戦争を活写したような週刊誌報道はもはや過去のものらしい。現地からの「SNS報道」がこれだけ豊富にある以上、部外者の短期観察による「表層的ルポ」などもういらないのかもしれない。戦地報道の歴史もまた、大きな変わり目に来た気がする。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。