●インフォデミック(情報災害)から身を守る
前回からの続きになるが、2年前にコロナ禍が本格化し始めたとき、メディアが西浦博教授(北大→京大)の発表する感染拡大シミュレーションを大本営発表扱いしたことを、多くの人は記憶しているはずだ。
このシミュレーションは、結局、予測としては大きく外れた。筆者も、このシミュレーションが、国民の間に不毛な分断や差別を生んだ最大の原因だと思うひとりだ。シミュレーションそれ自体は一学者の「研究発表」レベルである。問われるべきは、それを金科玉条化したメディアだと考えるが、メディアは、かつての報道ぶりへの反省も検証も誰も行っていない。
これについて、怒りをもって活字にしているのが、医療経済学者の久繁哲徳氏。昨年12月に刊行した『図解・医療の世界史』のなかで、「新型コロナウイルスのパンデミック――事実と根拠に基づく意思決定へ」を35ページにわたる付論を加え、見解を語っている。
2020年10月現在の評価だとされているが、通底しているのは、まさしくデータに基づいた客観的で冷静な対応を求める姿勢である。世界の死亡者数101万人(筆者注:22年2月半ば時点では500万人超)は、中世の黒死病に比べれば恐怖に煽られる状態ではないとして、毎年60万人は死亡するインフルエンザでは騒がないことと比して、必要以上に騒ぎ煽りたてる風潮に厳しい批判を投げ込んでいる。
●差別が正しい戦略になってしまう
とくに久繁氏がこのパンデミックで最も警戒し、厳しく批判するのはまさに「煽り」に対してで、数理モデルSIRを基本とした単純な感染予測を「荒唐無稽」と切り捨てている。20年3月、西浦氏を軸にした研究者のシミュレーションがメディアに大々的に報じられ、政治判断にも影響を与えたことを彼は難じる。
「現在の時点(20年10月)で、手元にあるのは検疫・隔離という、中世で開発された対策のみである。その基本は、感染の発生レベルとその動向を正確に把握する、記述的な疫学であるにもかかわらず、それが蔑ろにされ、近年のインフォメーション科学による数理シミュレーションが妄信された。その感染流行の予測は、感染者数も死亡者数も一桁や二桁近く過大に評価し、現実のデータと比較検証することなく、繰り返し恐怖を煽り、混乱を招いた。そのため、〈抑圧戦略〉で、強力なロックダウンなどを採用する国が多かったが、〈緩和戦略〉のロックダウンをしない国との違いはみられなかった」
「実際の出発点となる事実を確認せず、数理シミュレーションに煽られて、マスコミと専門家が虚偽報道し、国民は恐怖に駆られ、それらに対し、政府が冷静に、根拠に基づく対応をとれなかったことが、大きな問題であった。こうした事態をWHOは〈インフォデミック〉(情報災害)と呼んだが、その組織自身がその役割を演じてしまった。その意味では、とくに専門家と政府には、説明責任と結果責任が問われており、きちんと第三者評価を受ける必要がある。これらの点については、科学倫理と情報倫理の観点からも十分な検討が求められる」
こうした批判とインフォデミックへの危機を強調しながら、久繁氏は、インフォデミックによる日本における風評は穢れ(ケガレ)の差別を生み出している点について、国際的な調査報告があったことを明らかにしている。
例えば、コロナに対する恐怖を感じる人の割合は、死亡率が欧米の100分の1である日本では80%近くに達するのに対して、欧州は40%、米国やブラジルでは60%にとどまっているというのだ。「この元凶は『感染者』に大騒ぎするマスコミであり、例えば一人でも陽性者が出ると、マスコミが大騒ぎして営業停止になり、感染者はケガレとして差別されることを意味する」と述べ、そのうえで「こうなると、コロナ差別が危機管理として正しい戦略になり、悪循環をもたらす」と切り捨てる。
●同調圧力で複雑に生み出されるケガレの存在
確かに、コロナがパニックを引き起こしたとき、同氏が指摘されるような事例は枚挙にいとまがなかった印象がある。例えば、当局の要請を無視する形で営業を継続したパチンコ店について、メディアの一部は店名も所在地も隠さず、その店とそこに現れる客の映像を延々と流したりした。パチンコ店も客も「ケガレ」として扱われていた。
また、自粛要請に応じないで営業を続ける居酒屋はごく少数ではあったが、店内にずかずかとテレビカメラが侵入した例もあったといわれる(放映されたかどうかはわからない)。
地域の違うナンバープレートをつけた車への罵詈雑言ビラは、筆者も実際に見た記憶がある。かく云う筆者も、今でも一家総出でスーパーに現れ、はしゃぎまわる家族の存在には反射的に眉をひそめてしまう。
インフォデミックに侵されると、加害・被害の関係は複雑化する。日本における同調圧力は、ある種の国民的本能に近いものがあり、同調しない人は「ケガレ」扱いして心が痛まないが、気が付くと自らが「ケガレ」の対象になってしまうという恐ろしさも、このパンデミックは筆者にも教えたのである。
「いずれにしても、新型コロナに対する事実の未確認や、根拠に基づかない政策は、社会全体に有害な影響を与え、コロナ不況ともいうべき状態が、以前のリーマン・ショックを超える形で生じるが、それと異なるのは、今回の不況はほとんど各国政府の作り出した人為的なものだということになる。おそらく、インフォデミックの世紀のスキャンダルとして、歴史に記録されることになるだろう」と久繁氏は予測する。将来の歴史的評価は、「根拠に基づいたか」という意味で、スキャンダルという汚点になるかもしれない。
国民に恐怖を与え、一部の人々をケガレ扱いしたインフォデミックは、裏側ではPCR検査の絞り込みと医療アクセスの制限という非対称的な政策判断との矛盾も露呈した。
PCR検査自体については前回にも触れたように、ようやく市中の無症状者を対象にしたPCR無料検査が今年1月にスタートしたところだ。しかし、このことは、国民がメディアに扇動されるようにインフォデミックの渦中にあったものの、政府が冷静に対処したというべきレベルではない。おそらく、久繁氏が言うように、将来の歴史的評価では「愚策」だったとしか言葉はないのではないだろうか。検査を求めてきた専門家の人々は、多くが「根拠に基づく」戦略の「根拠」を求めていたのであろう。
前回紹介した東京理科大学の山登一郎名誉教授は、「彼ら(政府機関)も報道も、行政・保険適用検査陽性者数だけが全感染者数を表すとの建前」を延々と続け、市中無症状者の滞留を認めないように見えると批判している。つまり、感染者数に根拠がないのだ。日本では公表された新規感染者数しか感染者はいないと、(表に出てくる)専門家も報道も考えているらしく、市中無症状感染者はいないものとみなされているという。
報道は、厚労省の定めた検査制度が無謬であると信じているのか、思考停止に陥っているのではないかと厳しく追及している。その点では、久繁氏の批判と山登氏の批判は矛盾してはいない。情報の偏差があることを指摘し、その偏差にかなりの科学者が抗議し、この1~2年間切歯扼腕してきたことを、活字の中から私たちは読み取ることができる。
●戦略判断環境が変わった?
インフォデミックだとも指摘されるこの2年間の新型コロナは、2月末時点でオミクロン株が猛威をふるい、未だに出口がみえない状況だ。感染力は強いが重篤化リスクは少ないといわれたオミクロン株だが、高齢者の感染リスク、とくに他の疾患を持つ高齢者の死亡率を引き上げている。そのため、高齢者施設のクラスター化の「一般化」が進行し、医療提供体制への影響は、かつてより大きくなっている。
一方で、沈み込む経済への不安から、感染防衛体制の緩和を求める空気と圧力は昨年の比ではなくなっている。英国はじめ、欧州では一切の国内規制を撤廃した国も出始めている。国内でも、「鎖国」と批判されてきた入国規制が徐々に緩和され始めている。現在は1日5000人だが、日ならずしてその緩和規模は拡大されそうだ。
具体的な対策についてもニュアンスに変化がみられる。むろん、ワクチン接種の浸透などが、緩和策拡大のトリガーにはなっているが、政権の交代が大きな要素になっていることも言われ始めた。前鳥取県知事で早大教授の片山善博氏は、いわゆる三密対策、不織布マスク着用から、エアロゾル対策に力点が動きつつあることを指摘し、かつこうした対応の変化について、「岸田政権になってからそろりと変わってきたとの印象を持っている。一昨年から新型コロナ対策に従事し、したがってこだわりを持つ閣僚や官邸幹部がいなくなったことで、変える環境が整ったということだろう。遅すぎる変化ではあるが、とりあえずは政権交代の果実だと捉えている」(世界3月号)と述べている。
政権交代がこれほどの変化をもたらしているという分析は、少しエビデンスを欠くようにも思うが、こうした言説が暗に「コロナ後」を視野にして出始めたという点で、筆者は着目した。次回から視点を変えて、ぽつぽつと出始めてきた「コロナ後」に関する活字を追っかけてみよう。(幸)