ウクライナの現地情報をほとんど取材できずにいる雑誌ジャーナリズムの衰退を寂しく思いながら、その一方、SNSで拡散する現地発の動画をテレビやネットで過剰に視聴して、精神的にかなり参ってきてしまっている。それでも「侵略戦争のリアル」を同時進行で万人が目撃する前例のない状況は、ある意味世界大戦を経験するのに近い心理的影響を現代人に与えている気がする。
庶民派の宰相・田中角栄はかつて「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢になった時はとても危ない」と、体験に基づく感覚への信頼を語っていた。だが、考えてみれば日本では戦中派世代でも、民間人の直接体験は空襲被害に集中し、外地や沖縄で地上戦の惨劇に身を置いた人はさほど多くない。だからこそ、世代交代を重ねると、あの大陸侵略を美化・正当化する人が現れてしまうわけなのだが、今回のウクライナに関しては、現地から膨大な映像が溢れ出し、日本でも欧米でも侵略者側の勝手な言い分に納得する人はごく少ない。
とは言っても、ロシア国内の事情はかなり違う。情報統制の影響ももちろん大きいが、国民の間に自国政府を信じたがる「確証バイアス」が存在し、プーチンの言を真に受ける世論がまだ根強いのだ。今週のニューズウィーク日本版『戦争を熱烈支持する心理』という記事で、ロシア・ウクライナ両国に妻の親族をもつ米国人コラムニストがそう嘆いている。ウクライナの親族が住居を失って避難民になったのに、ロシア側の親族はロシアの侵攻を支持して譲らない。大学の学部長などの社会的地位を持つロシアの友人にも、筆者の苦悩を斟酌せず、声高に「ロシアの正義」を主張する人が複数いて、彼自身は少なくとも過半数のロシア国民は戦争を支持していると推測する。
個人的な感覚では、今回のウクライナ攻防の結末、そして自由主義陣営の対ロシア「経済戦争」の行く末は、これからの世界秩序の明暗を極端に分けるように思う。ウクライナが軍事的にロシアの手に落ちても、強力な経済制裁でロシアを破綻させ、プーチンの政権を倒せれば、核戦争以外の道筋で専制的核大国の横暴を打ち砕く成功例になる。だが、それが失敗に終わるなら、国際秩序における西側の価値観、人権思想や国際法などは今以上に有名無実化し、圧倒的暴力への無力感に世界は覆われる。ロシア以上に強大な専制主義国家・中国は、この成り行き次第で国際世論からの孤立を恐れるか、現状のまま唯我独尊で覇権主義に突き進むか、大きく変わってくるように思えるのだ。
たまたま見た報道番組で解説者の国際政治学者が指摘していたのだが、今回のウクライナ侵攻への対応で、ドイツは戦後自らに課してきた制約を踏み越えてウクライナに武器を提供し、永世中立国だったスイスやスウェーデンまでウクライナ支援を打ち出して見せたのは、この戦争の帰趨に民主主義という西欧的価値観の命運がかかっている、という共通の危機感を抱くためだという。
振り返って我が日本を見ると、核武装論や改憲論などここにきて防衛力強化の主張が百家争鳴だが、「西側の価値観をかけた戦い」という認識を欧米と共有するのかしないのか、その根本が正直疑わしい。それはとくに議論を主導する人たちに、先の日本の戦争を「自衛戦争だった」などと未だに強弁する右派論者が目立つためで、今回のケースに当てはめれば、国際秩序の建前より自国の栄光を優先するプーチンのスタンスに、むしろ親和的な人々に見えてしまうのだ。
この戦争を機に、かつての大日本帝国は今回のロシアの立場にあり、旧満州・中国がウクライナ的な状況にあったと自省すべきだろう。その行為を「自虐」呼ばわりし、過去・現在の立場をごまかし続けるなら、欧米のロシア包囲網に今回なぜ日本が加わるか、その大義が見えなくなってしまう。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。