ロシアのウクライナ侵攻のせいだろうが、昨今、国内で「敵基地攻撃能力」が必要だ、さらに「核兵器の共同保有論」が持ち上がっている。言い出しっぺは、安倍晋三元首相だそうで、保守層が、さらに元自衛隊幹部がこうした論を主張している。保守系と目されるテレビ局の討論でもこうした敵基地攻撃能力の保有、核の共同保有論が展開されている。


 バックになっているのは、ロシアのウクライナ侵攻を我が国に置き換えてみての論である。「ウクライナは東部のドンバス地域での親ロシア派との内戦で武器が劣化している」「ウクライナはかつて核兵器の製造拠点だったが、独立後、核を放棄したためロシアの侵攻を受けた」、さらに「NATOはロシアが核兵器大国であるため、ウクライナ支援の軍を出せない」「バイデン政権は軍備の支援だけで軍を出さない」という現状から「日米同盟があっても、尖閣列島で有事になったとき、アメリカは核兵器を持つ中国軍とは戦ってくれないだろう」。


 その結果、「日本はアメリカに頼らず、自身で国を守らなければならない」という結論に発展する。そして、国を守るためには自身で敵を撃破する武器を持たねばならない、核兵器を共同保有することで侵略されないようにしなくてはいけない、という理由に辿りつくようだ。


 こうした論調は正しいのだろうか。聞いている分には、なるほど、そうだろうな、と思える。だが、本当に正しいのか。週刊誌出身の人間は相手の話を聞いた後、記事を書くときには必ず距離を置いてモノを見る習慣がある。取材記者のデータ原稿を一旦、机の上に置いて時間がたってから原稿を書くのである。こうすることで感情的にならず、冷静に物事を見ることができる。それにならって一歩距離を置いてみると、この保守層の論にはどうも賛成できない。無理がある。


 まず、「敵基地攻撃能力」とは、現在保有している地対空、地対艦ミサイル、空対艦ミサイルだけでなく、敵基地を攻撃できる長距離ミサイルか中距離ミサイルの保有、あるいは戦闘爆撃機の保有をいうものだろう。


 言い分はよくわかる。しかし、古来、「防衛のための兵器を持つ」と言う国はあっても、「相手を攻撃するために兵器を持つ」と言った国があっただろうか。19世紀以降を見ても「相手を攻撃する兵器」と言った国はないだろう。必ず、攻撃可能な兵器であっても「防衛する兵器」というものである。アメリカも旧ソ連、今のロシアも中国でさえ、いや北朝鮮でさえ、自国の「防衛のため」のミサイルだ、自国を「防衛するため」の核兵器保有だ、と言っている。誰ひとり「敵基地攻撃用兵器だ」と言うバカはいない。


 敵基地攻撃兵器について質問された岸田文雄首相が「言葉を変えて考える」と語ったが、これが正しい言葉使いだ。どこの国でも「国を守るために飛距離200キロのミサイルを開発する」「国土防衛のために戦闘爆撃機の保有を検討する」というのがふつうである。敵基地攻撃能力うんぬんは国会での質疑の話である。最初から「敵基地攻撃能力の武器が必要だ」などというのは、政治音痴、口先だけの人間の言うことだろう。


 さらに「核の共同保有」論もずいぶん乱暴な意見だ。安倍元首相が「敵基地攻撃能力」とともに主張しているのはわかる。安倍元首相の父親の安倍晋太郎氏は自民党で有力な政治家だった。お爺さんは安倍伊平さんという代議士だったが、晋太郎氏が幼いときに離婚している。秘書仲間や某財界人によると、離婚になった理由を語る人もいるが、それはカット。晋太郎氏は幼いときにそんな経験をしたせいか、思いやりのある政治家だったという。


 竹下登氏(故人)とは同期の国会議員ということもあって仲がよかったし、岳父の岸信介元首相が利権に関係していることを噂されたときには止めるように忠告したこともあったという。竹下首相後の首相候補だったが、急死し多くの人が惜しい人を亡くしたと語ったほどだ。その息子が安倍晋三元首相だ。安倍元首相はお爺さんの岸信介元首相に可愛がられ、周囲の人たちから「お爺ちゃん子」といわれた人である。


 その岸信介氏は戦時中、東条英樹内閣の重要閣僚である商工相だった人物だ。戦時中の昭和19年に、戦争を止めさせたい昭和天皇のお気持ちを汲んだ元老たち4人が東条内閣を倒すため、軍人出身ではない岸商工相に辞任するように説得したが、岸商工相は拒否し、東条内閣を支えた。今の憲法では大臣が辞任すると、クビをすげ替えるが、当時の明治憲法下では閣内不一致が許されない。1人でも大臣が辞任すると内閣は総辞職しなければならない。結果、昭和20年8月に昭和天皇がポツダム宣言受諾する英断を下すことになる。


 終戦後、岸信介氏は連合国軍からA級戦犯容疑者に指名されるが、朝鮮戦争の勃発で、アメリカ国内の対日政策が代わり、釈放される。釈放後、岸信介氏は周囲に「あの(太平洋)戦争は侵略戦争ではない。当時、大国同士の植民地政策の衝突で、やむを得ない戦争だった」と語っている。戦後、首相になったとき、日米安保条約改定に力を入れ、米軍の安定駐留と日米地位協定を締結したが、心の中では太平洋戦争の正当化を主張していた人物だ。それだけに心の中ではアメリカの核の傘の下にいるよりも日本独自の軍備を心掛けたかっただろう。


 安倍元首相はお爺ちゃんの気持ちを是として受け継いでいるだろうことは想像に難くない。安倍元首相が敵基地攻撃できる武器を持つことや核の共同保有を主張するのも当然なのだ。


 では、核兵器の共同保有ということは現実的なのだろうか、いいことなのだろうか。


 まず、日本は唯一の被爆国だ。核を持つべきではない。完全に守られているかどうかはともかく、非核三原則を守ることを日本人の心情とすべきだし、むしろ、世界から核兵器をなくすことに尽力すべきだろう。


 第2には、アメリカが共同保有を承知しないだろう。核の傘は日米同盟の基本である。万一、共同保有を認めた後、日本がアメリカと別の道を歩みたいと言ったら、日本が勝手に核を使うようになったら困る。とてもじゃないが、アメリカが認めることはない。日本が核を保有するということは、日本のアメリカ離れを意味することになる。太平洋戦争を仕方なかったと語る岸信介元首相ならともかく、平和主義に生きる戦後の日本が主張すべきことではない。


 西側であるイギリス、フランスでさえ、第2次大戦後、独自開発し太平洋で実験を続けたものだ。アメリカ離れを主張し、独自の核を持とうとするのと同様、アメリカは拒否する。第一、日本の自衛隊はアメリカの指揮下にあるわけではない。韓国の軍隊はアメリカの指揮下にある。それは朝鮮戦争がもたらしたものだが、日本人は自衛隊の指揮権をアメリカ軍に譲ることを可とするだろうか。もしそうなら、独立国と言えないし、防衛大臣はいらなくなりそうだ。


 第3に、核兵器というものは、開発はもちろん、維持するだけでも巨額の費用がかかる。


 核兵器は持ったら、あとは保管すればいいというものではない。核は年月とともに劣化する。セシウムの半減期は120年だし、東電の福島原発事故でタンクに入れている処理水に含まれるトリチウムの半減期は12年だ。核兵器を持つということは常に劣化に備えておかなければならない。核兵器を保有するイギリスでもフランスでも核のマークを付けたトラックが国内を走り回っている。


 原子力発電大国のフランスでは原発がセーヌ河沿いにあるため、核のマークを付けた車が始終走っているからよく目につくが、その中には核兵器の維持のためのトラックも含まれている。わかりにくいだけだし、写真を報道しないだけである。中国だって同様だ。マークを付けた車の写真でも撮影したら、即、スパイとして拘束されてしまうだろう。どこの国も核兵器は極秘にしているだけである。


 この共同保有する核兵器の維持をどうするのだろう。共同保有になってもアメリカが負担してくれるという保証はない。それどころか、日本に多額の維持費を払えと言ってくるのは、火を見るよりも明らかだ。日本はその費用をどうするのだろう。またまた赤字国債を増発し、維持費を払うことにするのだろうか。それとも年金を廃止するか、あるいは、医療保険を止めて自由診療にし、医療費を核兵器の維持費に充当するのだろうか。


 敵基地攻撃兵器、核兵器の共同保有などいう主張は日本には合わない。2世、3世の政治家や汗水流して働いたことがない政治家だからこそ言える言葉でしかない。


 発言から距離を置いて考えると、どう見てもまともな主張とは言えない。(常)