ウクライナ危機をめぐる報道で、私がいま一番読んでみたいのは、ウクライナ東部やクリミアに住むロシア系住民の奥深い内面だ。ロシア軍の完全な制圧地域では、情報が完全にコントロールされているのか、それとも何らかの形で戦場でのロシア軍の非道さが漏れ伝わり、ロシア支持の住民感情が複雑に揺れ動いているのか。もちろん、西側のメディアには銃弾飛び交う最前線以上に、こうした地域での取材が困難を極めるであろうことは想像に難くないのだが、そんな内情に迫る記事を期待したいのだ。
最も悲惨な戦場として連日ニュースに登場するマリウポリにしても、東部の一都市としてロシア系住民がその多くを占め、取材に対応する市民のコメントは大半がロシア語だと言われている。だとすれば、瓦礫の中にいる彼らこそ、ロシア侵攻で「従前のロシア観」を最も無残に突き崩された人たちに思える。「ナチの攻撃からロシア系住民を保護・救出する」などという侵攻の「大義名分」は、皮肉以外の何物でもないだろう。そんな落胆は、親戚や友人知人のつながりで、ドンバス地方やクリミアのロシア系住民に伝わってはいかないのだろうか。そんなことを思い描くのだ。
そして、もうひとつ知りたいのは、マリウポリ市民が数多くロシア国内に強制連行された、というニュースの続報だ。今週の週刊新潮にある『敗滅のプーチン』という特集の惹句に『「1万5000人」収容所に強制連行で骨の髄まで「KGB」2000万人大粛清「スターリン」のDNA』とあるのを見て期待を抱いたが、残念ながらウクライナ政府発表の第1報を超える内容はない。マリウポリでなく、南部ヘルソン州でロシア軍による拉致監禁を体験した地方議員による仏ル・モンド紙への証言が紹介されているだけだ。長時間の尋問を受けたものの、この人物は1日で「釈放」されている。
ロシアに連れ去られたマリウポリ市民の一部は、シベリアやサハリンに送られるという観測も流れている。前述したウクライナのロシア制圧区以上に、ロシア国内で連行された人の情報を得ることは至難の業だろうが、たとえ長期間の作業になるにしても、こうした人々の「その後の足取り」は、いずれどうにかして明るみに出してほしい。
サンデー毎日では4週前の号からウクライナ危機に関連する保阪正康氏の「特別寄稿」が掲載され、読み応えがある。氏はプーチンがその思想・行動に「旧ソ連の残滓をひきずっている」と見て、現代史の文脈から今回の危機を読み解いてゆくのだが、『非人間的暴挙への妄執 プーチンの自意識はソ連帝国の救世主だ』と題した今週号の論考では、マリウポリ市民連行の報道に関連して、20世紀のロシア・ソ連では、戦争で制圧した地域の住民をシベリアなどに連行し「ロシア国民化」した例がいくつもあったことを説明する。シベリアには複数の戦争で連行されたドイツ系住民が住む町があると言われたり、スターリンの政策で強制移住させられたロシア国民が数多くいたりするほかに、バルカン人など5民族をカザフスタンに強制移住させた例があったことなどにも触れている。
そう考えると、旧日本兵のシベリア抑留は間違いなく歴史的な惨劇だが、数年後に生存者のほとんどが帰国できたというだけでも、まだましな部類だったと言えるのかもしれない。戦場での虐殺や暴行・略奪などの非道はみな許しがたい行為だが、シベリアに強制連行するような話は、当事者を戦争終結後も奴隷的な境遇に縛りつける点で、通常の戦争被害とはまた別の「非人間的行為」の犠牲者に思える。そんな惨劇からいつの日か当事者を救出するためにも、世界はこの連行被害者の追跡に努めるべきだろう。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。