もちろん、どんな職業にもさまざまな性格の人がいるはずで、勝手な決めつけはよくないが、限られた経験をもとに言えば、政治家やジャーナリストになる人には、公共の利益を追う役割とは裏腹に、むしろ「我欲」を追求するタイプが多いように思える。政治家はとくに権力欲や支配欲、名誉欲が、必要不可欠な資質とも言える。そこへの執着がない人は、そもそも権力闘争を勝ち抜けない。なかには、私心なく万人の幸福のため献身するタイプもいるかもしれないが、強烈な上昇志向の持ち主がひしめく集団では、そんな姿勢では埋没してしまう。
ジャーナリストとして脚光を浴びる人たちにも、残念だが結構な割合で強欲な人はいる。彼らのこだわりはカネや権力より、自己顕示にある。本来なら捜査一筋の古参刑事のように、コツコツとデータ集めをする地道さが求められる仕事なのに、現実にはそこで多少手を抜いても、派手な立ち回りで目立とうとする人が一定数存在する。「いんちき」が発覚して一夜にして信頼を失うケースもまま見られる。不動の評価を生涯キープする職人肌のトップランナーは実はひと握り。要は、うさん臭いタイプも少なくない世界なのである。
今週は週刊文春、週刊新潮の双方に、朝日新聞のとある編集委員の醜聞が出た。文春のタイトルは『“安倍晋三の顧問”朝日記者に浮上した大誤報疑惑』、新潮のほうは『「安倍元総理」名代で週刊誌に圧力「朝日編集委員」の明るい前途』。矢面に立ったのは、元中国特派員で外交・防衛問題を得意とする峯村健司・編集委員である。最近は日中関係のコメンテーターなどとして、テレビでも活躍する。問題になったのは、安倍氏が週刊ダイヤモンドの取材を受けたあと記事の内容が不安になり、知り合いの峯村氏が安倍氏の「顧問」という立場を告げ、編集部にゲラ確認を要求した、という話。もちろん、ダイヤモンド側はこの不当な介入に憤慨し朝日新聞に抗議、実は峯村氏は4月20日付で退社・独立する予定だったのだが、会社側はそれに先立って停職1ヵ月の懲戒処分を氏に下した。
この話で興味深いのは、政界の右派リーダー・安倍氏にとって「天敵」のはずの朝日新聞に、「顧問」を自称するような40代の記者がいたことだ。このため、通常の朝日の不祥事なら袋叩きにするはずの保守論者たちが、この件に限っては、示し合わせたかのように峯村氏を擁護、懲戒処分をした会社側に批判を浴びせている。峯村氏本人も処分を不当としてネット上に弁明を発表した。ダイヤモンド社に安倍氏の「顧問」を名乗ったこと、他社媒体にゲラ確認を要求したことなど、事実関係は認めたうえ、「誤報を防ぐために正しい行動をした」と開き直ってみせるのだが、なぜ部外者の自分が、という説明にはなっていない。権力と報道の「あるべき距離感」ということの本質には、何ら問題意識がない感じだった。
安倍氏との急速な親密化は彼自身、相当な名誉に感じていたようで、峯村氏は自身のツイッターでそれを誇示してきた。今回の件はそういった「はしゃぎっぷり」の末の出来事だったらしい。ともあれ、退社そのものは従前からの既定路線。その後はニューフェイスの「右派文化人」として、『Hanada』や『Will』などでの活躍が確実視されている。新潮が言う「明るい前途」とはそのことを指していて、記事全体のトーンは文春同様に不思議な構図を皮肉る感じだが、右派の新潮にしてみれば、今後のお付き合いも考えてのことだろう。峯村氏が4月から出身校・青山学院大の客員教授になることに引っ掛けて《大学では教え子たちに、古巣・朝日の「病理」と「不当性」を懇切、指導してあげるのも一案ではないか》と、なぜか彼の肩を持つような「捻じれた一文」で記事を締めくくっている。
ちなみに、エッセイストの能町みね子氏は、文春連載のコラム『言葉尻とらえ隊』でこの一件を取り上げて、峯村氏が従前からツイッターで自身の報道を「峯村砲」と呼んでみたり、「朝日新聞の良心」を自称したりする増長ぶりについて《驚き》を示したあと、ただひとこと《怖い》と感想を綴っている。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。