サンデー毎日に昨夏、「月一くらい?」というペース配分を予告して始まったタレント・水道橋博士の『藝人余禄』という不定期連載がある。お笑いの師匠・ビートたけしのほかもうひとり、昭和の無頼派ルポライター・竹中労への心酔を公言する彼は、かつて週刊文春の連載でも、生前の竹中を彷彿とさせるマニアックな探究心、忖度なき突撃精神で芸能界やマスコミの裏話を赤裸々に深掘りした。私は自分自身、破れかぶれの竹中を偏愛することもあり、サン毎でもスリリングな「博士節」を期待したのだが、今回のシリーズはポツリポツリと3本の記事が出ただけで、その後パッタリと続編が出ないまま。これはもう自然消滅か、と諦めかけていたところで今週、本当に久しぶりに連載第4話を誌面で発見した。
ただし、今回のテーマは『園子温監督に捧げる清志郎の「歌」 映画界の性暴力問題を考える』。園監督の才能を高く評価して、個人的な交流もあった博士が、一部の女優たちの告発で発覚した彼のスキャンダルに困惑し、思いのたけを綴った文章だが、正直、私が今、博士の連載で一番読みたかった内容は、このテーマとは違っていた。
周知のとおりこの件は、週刊文春が今年3月から榊英雄監督や俳優の木下ほうか氏など、映画業界の有力者たちによる女優へのセクハラ、性暴力を暴く告発キャンペーンで発覚したもので、米国で5年前、「#Me Too運動」を生み出した大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏の問題の日本版とでも言うべき話だが、正直なところ榊氏や園氏の作品に知識や思い入れを持たない身としては、「映画界では未だにそんなことが……」と思う程度の関心しか持たずにいた。もちろん非難されるべき話だし、勇気ある告発者が増えてきた状況は、今日的な新しい展開と感じるが、昭和世代にしてみれば「あの世界には一定の割合でそういうことがあるのだろう」というイメージもどこかにあり、告発内容そのものにさほど驚きやショックは受けなかった。
それよりも水道橋博士をめぐる目下最大のトピックは、日本維新の会代表・松井一郎大阪市長とのバトルであり、この18日に発表されたれいわ新選組からの参院選出馬表明であろう。博士はもともと親維新のスタンスが露骨な関西テレビ各局の「闇」について、沖縄ヘイトが問題化した『ニュース女子』をはじめ右寄りの情報番組を作り続けている「ボーイズ」という制作会社の影響力を指摘、その構造に批判的な発信をしてきたが、今年2月、松井代表の過去の醜聞に言及したユーチューブ動画の存在にツイッターで触れたところ、松井氏から「法的措置」を通告される事態が勃発した(松井氏は後日名誉棄損で彼を提訴)。しかし、博士はこの動きに怯むどころか口封じのための「スラップ訴訟」と見て猛反発、過去数年、克明に収集してきた維新関連のスキャンダルをこれでもか、と連日発信し、ツイッターの「エンタメ」ランキングで数日間、トップの座を占める異例の反撃を見せたのだ。
反維新を掲げるれいわからの出馬要請に応えたのも、当然この「維新との喧嘩」の延長線上にある闘いと見るべきだろう。個人的にれいわという政党には、原発問題やMMT(現代貨幣理論)などで「陰謀論に傾きがちな体質」に危うさを感じるが、一方で維新に対しても対野党ネガキャンにばかり熱中する「第二与党的体質」に違和感があり、水道橋博士vs.松井代表の個人バトルでは、博士の言い分にかなり共感する。
さすがに国政選挙への立候補を表明してしまうと、政治的なトピックは書きにくくなるのかもしれないが、持ち前の「歯に衣着せぬ戦闘的ルポ」をこの件でもぜひ、長文で読みたいと思っていただけに、久々の発表記事が別テーマだったことを残念に思った次第である。とはいっても「令和の竹中労」を目指す博士のこと、選挙が終了した暁には、スリリングな「対維新戦記」をきっとどこかに書いてくれるものと期待したい。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。