「史上最低の日銀総裁」というしかない。現日本銀行の黒田東彦総裁だ。一部の新聞では「最長の10年の任期を務めた名総栽」と持ち上げているが、日銀総裁の評価は任期の長さで測るものではない。どういう金融政策を行い、どのような成果を上げたかで評価すべきである。おそらく、日銀担当記者の見方なのだろうが、記者クラブにべったりの立場だと任期の長さや、親しさで判断するから困る。


 元財務時間だった黒田氏は2013年、首相に帰りづいた安倍晋三氏から第31代日銀総裁に任命された。任命されるや、「物価上昇率2%」を実現させるという目標を掲げ、「異次元の金融緩和」を行うと言い、低金利政策、いや、ゼロ金利、さらにマイナス金利政策を推進してきたことは周知の通りである。安倍元首相が掲げた「3本の矢」の1本目の矢である「低金利政策」を就任以来、支えてきた。その超低金利政策の成果が現在の物価上昇だ。連日、値上がりする商品が報道され、日本の物価上昇はもはや手がつけられない状態だ。


 もちろん、欧米でも物価上昇が日本以上に激しいが、欧米では物価上昇に対して中央銀行が政策金利を段階的に引き上げて上昇率を抑え込もうとしている。ところが、日本ではそれをしない、いや、それができない。むしろ、逆に黒田総裁は長期金利が上がらないように国債に売り物があると、そっくり日銀が買い取る「指し値オペ」を実施したのである。黒田総裁は何が何でもマイナス金利を維持する方針だ。


 当然、年初に1ドル=113円台になっていた為替相場は円安がさらに進み、昨今は128円から130円になっている。アメリカではFRBは7月にも0.5%の金利上昇をさせるだろうという観測が流れているから、もしそうなったら1ドル=150円以上になってしまいそうで、田中角栄内閣時代に逆戻りしてしまいかねない。当然、日本国内の物価は上がらざるを得ない。


 もちろん、超低金利による円安が物価上昇のすべてとは言わない。ウクライナ戦争による原油価格の上昇、新型コロナによる物流が滞っていることもある。が、超低金利はそれに加えての物価上昇要因である。それどころか、黒田総裁の下で日銀の政策委員会のメンバーは金融緩和を主張するリフレ派に置き換わった。彼らは昨今の物価上昇を「低金利のせいではない。新型コロナ対策や賃金の上昇を図らなかった(政府の)政策によるものだ」と主張していたことが、議事録で明らかになっている。外部に向かって言わなかったのは、物価上昇は政府の無能さに原因がある、と政府を批判してしまうことになるからだろう。


 なぜ日銀は物価上昇を抑えるために、欧米と同じように金利引き上げを行わないのだろうか。黒田総裁は就任時に物価上昇2%を目標に掲げたのではなかったか。今、物価上昇率が2%を超えたのに世界の金利政策に逆行する超低利政策を維持するのか。日銀が政策金利を引き上げると、健全な経済成長の指標として示した物価上昇率2%実現は低金利が生み出した成果ではなかった、黒田総裁の超低金利政策は何の役にも立たなかった、ということが明らかになってしまう。


 もちろん、低金利政策がすべて悪いわけではない。景気が悪化している中での低金利政策は景気回復の即効薬になる。問題は低金利を続ける期間にある。金融の世界ではコールと呼ぶ期間がある。コールとは「呼べば答える」という意味で一晩の期間である。このように金融界では1年未満を短期、1年を超える期間を長期と呼ぶが、低金利を長期にわたって行うべきではない。1年を超えて成果が現れないなら、それは政府の政策が間違っている、ということで、政策の変更が必要なのだ。ところが、黒田総裁の超低金利政策は8年を超えている。まるで住宅ローン並みなのだから驚くというか、あきれる。


 それに加えて、もうひとつの大きな問題は、日銀が金利引き上げに走ると、1000兆円を超える国債を発行している政府が国債の金利を支払えなくなってしまうからだ。予算で借り換え債と金利支払額である国債費は35兆円にも上る。第1次安倍内閣のときの国債費は20数兆円強だったから、黒田総裁の時代に大幅に増えてしまっている。もはや、日銀は長期金利を上げられなくなってしまっているのだ。自縄自縛状態とでも言うしかない。


 低金利は国内経済に活気を取り戻すが、決して長期に続けるべきではない。低金利は円安である。為替相場というのは、その国の経済力の指標である。経済力が強くなれば自然に円高になり、経済力が衰えれば、円安になる。思惑で起こる急激な円安、円高は経済の混乱をもたらすから中央銀行が介入するのは正しい。だが、政府に追従して長期にわたり超低金利にすべきではないはずだ。単に円安になれば輸出が伸びて景気がよくなるという説は昭和の時代の発想だ。途上国の経済なのだ。


 先進国では自然な円高こそ望ましい。なぜなら、円高になると輸入が増え、輸入品が多い先進国ではモノを安く買えることから消費が盛り上がる。当然、GDPが増大する。一方、輸出企業は厳しくなる。だが、これはさほど大きな問題ではない。なぜなら輸出が難しくなると、メーカーは輸出を維持するため、増やすために技術革新をせざるを得なくなるのだ。結果、最先端の技術商品、高級商品をつくり出し、世界で「値段が高くても、ここのメーカーの商品が欲しい」ということで輸出額が増える。ドイツのベンツやBMW、あるいは医療機器が世界で売れるのはこうした発想なのだ。加えて、円高を利用して海外進出も活発になる。


 一方、国内では企業は円高から増える輸入品に対抗するために技術開発と設備更新を進めざるを得なくなり、高品質の商品を開発するようになり、経済が活発になる。政府が音頭をとって「ブランドを育てよう、税金で支援する」などとしなくても、各企業は努力するようになる。それができない企業は、資本主義の鉄則に従って消えるしかない。先進国にとっては緩やかな円高こそ、当たり前のことであり歓迎すべきなのである。


 それに比べ、8年にわたって超低金利を続けた結果、日本の経済力を衰退させたと言うべきだろう。輸出企業は円安のおかげで儲かり、技術革新を忘れる、儲かったお金は内部留保に回すことになってしまった。海外での企業買収や投資は、いつなんどき、為替相場が円高に振れるかもしれないため、海外投資はできない。といって国内では輸入品が溢れ、消費が盛り上がらないから設備投資をするわけにもいかない。輸出で儲かった金は内部留保するしかないのだ。内部留保はけしからんと言うのはお角違いである。円高になれば海外投資、国内設備投資に回るはずのカネなのである。


 黒田総裁の超低金利は国民生活を守ることよりも、総栽にしてくれた安倍元首相の3本の矢を助けるための政策だ。結果、超低金利政策は日本の国力を衰えさせたというべきで、黒田総裁は「最低の日銀総裁」と言ってもおかしくない。


 過去に「最低の日銀総裁」と言われたのは22代総裁の佐々木直氏である。東大経済学部を首席で卒業し、日銀に入行。日銀内でも頭の切れる人物と評価され、若いうちから「将来の日銀総裁」と目された「日銀のプリンス」だった。太平洋戦争中も当時の日銀幹部から「満州や朝鮮に赴任させて、万一のことがあったら戦後の日本再建に支障を来す」と、国内に温存させたと言われるほどの人物である。戦後、とんとん拍子に出世し、副総裁になり、自他ともに山際正道総裁の次は佐々木直総栽の誕生と思われた。


 ところが、佐藤栄作首相は日銀総裁に三菱銀行頭取だった宇佐美洵氏を指名したのだ。佐々木直氏の日銀総裁の目はさらに5年後に先延ばしされた。彼にとっては人生で初めて味わった挫折だった。日銀から見れば、民間銀行は下位の存在である。日銀内で誰ひとり逆らえない「天皇」とも呼ばれた佐々木氏が、下位の民間銀行出身の総裁に仕えることになったのだから、さぞ屈辱だっただろう。5年後、佐々木氏は1964年12月に22代日銀総裁に就任したが、5年間待たされたことで、政治家に対して極端なほど弱腰になったと言われている。


 しかも、日銀総裁として腕を振るうべきときに首相に就任したのは田中角栄氏だった。田中首相は就任早々、列島改造論を実行に移し、日銀に金利引き下げを求めた。政治家に弱くなった佐々木氏は田中首相の言いなりになり、金利引き下げを行った。後は言うまでもなく、列島改造ブームになり、そしてオイルショックが起こり、世の中は狂乱物価に陥った。金融界では、この列島改造ブームの責任はひとり田中角栄だけにあるわけではなく、佐々木直日銀総裁にも半分の責任があるとされている。


 余談だが、佐々木氏は日銀総裁を退任後、経済同友会の代表幹事に迎えられたが、佐々木同友会は政策提言より、勉強会に変貌。財界人の間から同友会とは「いったい、どうゆう会」なんていう皮肉が飛び出した。


 翻って、今の黒田日銀はどうか。財務事務次官出身の黒田東彦氏を日銀総裁に任命したのは安倍元首相で、2013年に就任し2期10年間を務めることになるが、この10年間は政府べったりだったと言える。


 当時、安倍首相は「アベノミクス」と呼ぶ「3本の矢」を政策としたのは周知の通りである。1本目の矢は低金利、2本目の矢は財政出動、3本目の矢は規制改革である。米レーガン大統領の「レーガノミクス」に倣ったものだろうが、アベノミクスの3本の矢のうち、3本目の矢である規制改革は一般薬のネット販売のほかには、「規制の岩盤に穴をあけた」と表現した加計学園の獣医学部設立くらいしかない。2本目の矢である財政出動には限界がある。税収が伴わないため、国債発行に頼ったもので、結末は効果のないバラマキで終わっている。唯一、実行されているのが1本目の矢である低金利だ。言うまでもなく、この低金利を実行してきたのが黒田総裁だ。


 佐々木氏は唯々諾々と政府の方針に従ったが、黒田総裁は積極的に首相の方針を支援してきた。戦後、日銀はタバコ屋のおばあさんの生活を見守る金融政策を行う、庶民の生活を第一にし、時には政府の財政政策にも異を唱える、ということが必要とされているが、黒田総裁にとっては、そんな考えは皆無。タバコ屋のおばあさんの生活の代わりに政府、安倍首相の政策を支えることこそ、日銀の方針といわんばかりだ。


 黒田総裁の任期はあと1年。彼にとっては素晴らしい人生だろうが、国家、国民にとっては、最悪の日銀総裁としか見えない。(常)