テレビドラマの脚本家としては『あまちゃん』や『いだてん』の宮藤官九郎氏が個人的な「イチ押し」だが、目下の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていると、三谷幸喜氏の才能も世評通り、度はずれたものだと改めて感嘆する。もともと日本人に人気のある「歴史モノ」は、戦国時代か幕末と相場は決まっている。10年前の大河『平清盛』が不評だったように(私は結構好きだったが)、鎌倉時代の大河は誰がどう作ろうとも苦戦は必至だと思い込んでいた。


 ところが、視聴率は今ひとつらしいのだが、ファンの間ではここに来てドラマの展開に興奮する声が高まっている。何しろ通年放送の折り返し点にも至っていないのに、佐藤浩市演じる上総広常や菅田将暉の義経、新垣結衣の八重といった重要な配役が週替わりでバタバタ死んでゆく「ヤマ場の連続」なのである。「三谷幸喜の“鬼脚本”がさく裂している」。今週の週刊文春はリードにそんな惹句を入れ、グラビアを含め計11ページもの大特集を組んでいる。


 特集そのものは、タイトルを『鎌倉殿の「13の㊙」』とするように、小栗旬や大泉洋、小池栄子など主要キャストの芸能記事。この大河で一躍注目を集めている「鎌倉時代の面白さ」に関しては、正直物足りない。ただそれでも、清水克行・明治大教授の解説などは興味深く、たとえば頼朝が平家打倒に決起する直前からスタートしたこの大河で「内ゲバなどで消え去った鎌倉側関係者」は先週までに計31人。クライマックスになるであろう後半戦、承久の乱(1221年)の段階では、北条家のメンバーのほか、大江広元(栗原英雄)と三浦義村(山本耕史)の2人の御家人しか生き残っていないらしい。「こんなに(次々配役が殺し合う)暗い展開の大河はめったにないのでは」と同教授はコメントする。


 三谷氏は以前の大河でも、凄惨な粛清が相次いだ新選組の物語をドラマチックに仕上げたが、今回も巧みなストーリー展開で、陰惨さを上回る人間ドラマの面白さで、視聴者をぐいぐい引き込んでいる。私自身は正直、鎌倉や隣接市を故郷とする地元民でありながら、この鎌倉という時代にずっと無知・無関心だった。そのことを悔やむ思いを抱かせてくれるほど、今回の大河は鎌倉への関心を掘り起こしている。


 そして、これも大河の盛り上がりを意識した記事であろう。故・司馬遼太郎氏の元編集者が司馬氏の足跡にまつわる連載を延々続けている週刊朝日では、今週この連載を中断して、1996年に司馬氏が行った講演『義経と静御前』を6ページにわたって載せている。これを読むと、司馬氏ならではの平易な説明で、戦国よりマイナー感のある鎌倉時代が理解しやすくなる。今回の大河の基本的な枠組みは、一族としての恨みで平家を打倒した頼朝と、これを担ぐ坂東武者たちとの共存・緊張関係だが、物語の序盤、基礎知識のない私には、坂東武者たちがなぜ頼朝を担ぎ上げたのか、そもそもの動機がわかりにくかった。


 司馬氏の講演では、坂東武者について「武士ではなく西部劇の開墾農場主を考えると、イメージしやすくなる」とアドバイスする。そのうえで「自分たちの(土地)所有権を安定させるために、律令が及ばない地として関東を独立させ、新しい政権をつくろうとした。これが鎌倉幕府でした」と説明する。そしてこの政権を実質的に担ったのは、関東御家人の利害を代表する北条政子であり、頼朝はただの“お飾り”に過ぎなかったのだと。「だから政子は頼朝の子を重んじなかった。(略)そこで、いろいろな悲劇が起こるのです」。血で血を洗う鎌倉の権力闘争は、そんなプロセスでの必然だったらしい。


 プーチンや習近平のような「20世紀型独裁者」が再び跋扈する今日この頃、権力を渇望する人間の業の深さ、その哀しみを理解するうえでもってこいのドラマのように思う。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。