あちこちの国に現地調査で入るためにはビザが必要なことは先にも書いたが、このビザの種類や有効期間については各国まちまちで、その都度、状況に合わせて申請して取得する。カザフスタンの調査のために取得したビザは、申請時に入国と出国のルートや交通手段を明記して、その証拠書類と一緒に申請書を出すタイプで、パスポートに貼られてきたビザの有効期間は、出入国の日付ぴったりのものだった。


 旅の途中で異変が起きなければ、ぴったりの日付で何も問題はないのであるが、時として、とんでもない事態に遭遇して予定通りに移動できない場合がある。特に、我々が薬用植物を追って現地調査に出かけるような地域は鉄道やバスなどの公共交通インフラがほぼないことが多く、移動は運転手ごと現地で探すレンタカーである場合が多い。さらに、道路が舗装されていれば、「ラッキー!」という状況で、国内移動には十分な余裕を持って計画を立てて行動するが、それでも、大雨で川を渡る橋が流されていて何十キロも迂回したり、地図には描かれている道が、実はもう廃止されていて行き先を変更する、なんていうのはしばしばあることで、結果的に移動予定が大幅に崩れてヒヤヒヤすることがある。そんな地域であっても、国際空港を発着する国際線の飛行機は、それぞれ国の威信もあるのか、突然変更されたり、キャンセルされたりすることはほとんど経験していなかった。が、これがまったく覆ったのが、カザフスタンだった。



 それは2000年の夏ごろで、1ヶ月超の調査を終えて帰国しようと、5人ほどでアルマトイの国際空港で飛行機を待っていた。アルマトイから韓国のインチョン(仁川)までの国際線で、カザフスタン航空便。確か、23時57分発とかいう便で、見送りに来てくれる現地研究者に申し訳ないなあと思っていた。


 夕食後、割と早めに空港に入ったものの、待てど暮らせど、チェックインカウンターが開かない。一緒に待ってくれていた現地研究者と筆者とで、航空会社のカウンターなどで情報収集しようと、いろいろ質問したりしたが、係員は、わからない、待て、としか言わず、オープンカフェ状態の待合所はだんだん人で溢れてくる。こういう膠着状態では、もう待つしかないな、と長い列の中でじっと待つこと数時間。現地研究者には、申し訳ないのでさよならを言って帰宅してもらい、夜が更けてお腹も空いてきたころ、なにやら場内アナウンスが入った。ロシア語、カザフ語の後に聞き取りにくい英語で繰り返された内容をようやく聞き取って、我々は耳を疑った。

 「フライトは、キャンセルされました、理由は、ケロシン(飛行機の燃料)が無いためです。」


 それだけ。代わりのフライトがあるのか、同じ機材が明日以降に飛ぶのか、今日、搭乗予定だった我々はどうしたらいいのか、何も情報なし。


 集まっていた旅客のうち、カザフスタン人と思われる連中はぶつくさ言いながらもさっさと車で引き上げていく。場内の人数がだんだん少なくなっていく中で、そもそも、飛行機燃料が無い、不足している状況が、フライト直前までわからないなんて、国際線を飛ばしている責任ある会社のすることじゃないだろう、と日本人皆で怒っていたのだが、筆者はそこで、ふと気がついた。そのアナウンスが入った時刻は予定されていたフライト時刻の直前で、23時を過ぎており、我々のビザが切れる直前の状態。このままでは、ビザが切れて、不法滞在になる!


 これは航空会社の失態で起きた出国不能状態なので、航空会社がビザについてなんとかする手段を講じる筈だ、とっさにそう思った。人影がまばらになって少し見通せるようになった場内をぐるりと見回すと、全部閉まっていた窓口が、一箇所だけ少し開いて光が漏れている。看板も何もかかっていないが、窓口で人々が何やら差し出して、また受け取っているのが見えた。遠くてそれがなんだかはよくわからなかったものの、紙類であることだけはなんとなくわかった。そこで、ピンと来た。ビザの延長手続きだ!


 班員全員分のチケットとパスポートを大急ぎで集め、それを持って走って行ってカウンターに差し出した。セーフ! アナウンスも掲示も係員の呼びかけも何もなくて、そこが唯一のビザの延長手続きカウンターだった。しかも、筆者が日本人5人分のスタンプを航空券に押してもらってカウンターを後にし、皆がいる場所へ戻ってから振り返ると、もう、そのカウンターはシャッターが降ろされて閉ざされていた。間一髪であった。


 さて、どうするか。真夜中である。現地研究者への連絡手段もないし、交通手段も無い。国際空港と言っても非常に簡素でベンチも数えるほどしかなく、それらには既に寝ている人がいる。コンクリートの床に新聞紙を敷いて横になって朝を待とうと皆で腹を括った頃に、なんと、テレビのニュースで国際線フライトがすべてキャンセルになったことを知った現地研究者が、空港に戻って来てくれた。聞けば、西の方の地域で戦闘が勃発し、急遽そちらに軍を派遣するのに飛行機燃料が必要になり、アルマトイの空港のすべての燃料を軍用に供出したので、旅客機用のものが枯渇した、それがフライトキャンセルの理由だ、ということだった。


 フライトキャンセルの理由にもびっくりしたが、もっと驚いたというか、呆れたのは、航空会社の対応である。カザフスタン航空の対応は、ズバリ、何もしない、であった。代替フライトのアナウンスや手配はおろか、その夜の宿泊の世話やアナウンスすらしない。現地研究者はそれを知っていて、待っていても何もないから、街へ戻って宿を探そう、と車に乗って空港を出た。びっくりすることは、まだこの後にも起きた。


 走り始めて程なく、警察が検問を敷いていた。外国人が乗っている車を片っ端から止めて、パスポートとチケットを確認している。何人もの外国人が、咎められている様子で、現金を支払っている様子も見えた。我々の車も止められて、やはりパスポートとチケットを見せろと言われたが、見るなり、「チッ」と舌打ちして、顎をしゃくって「行け」と解放された。これは、キャンセルされたフライトの乗客のうち、外国人はその夜中でビザが切れることを知っている警察が、わざと取り締まりをして、ビザが切れているのに、延長スタンプをもらっていない者をチェックし、袖の下(現金)を要求していたのである。前述の通り、我々はチケットに空港で延長スタンプをもらっていたので無罪放免、警察のほうは小遣い稼ぎができなかった、ということである。


 丁寧に案内があったなら、この取り締まりは仕方ないと思えるのかもしれないが、あの、アナウンスもなく、一瞬しか開いていなかったスタンプカウンターの様子に、すぐに始まった警察の検問と、真夜中なのにそこに出張ってきている警察官の数の多さを見ると、これは連携プレーだ、と思わざるを得なかった。


 さらにさらに、まだ驚く事態は続いた。


 検問を無事通過して街へ戻り、宿を探した。確か、もう夜中の2時を廻っていて、ホテルに今から入っても、滞在時間は数時間だよなあと、思いつつ、である。それでも、横になって休めるだけでもありがたいから、ということで、同じ事情の空港からの客でどこも満室状態の中、ようやく空室のあるホテルにたどり着いた。そして告げられた1泊の素泊まり料金が、その旅行中の平均的な宿泊費用の2.5倍超の値段であった。完全に足元を見られた価格であった。しかも、客が多いので朝食は出せない、部屋は普段使っていない部屋なので、水は出ない、など、超悪条件。明くる日のフライトの時間については何も情報がなく、何時に空港に行けばいいか、全くわからないので、結果的に朝から空港で待とうということになっており、ホテルに滞在する時間は、長くても4時間程度と計算できた。でも、背に腹は替えられない。高い料金を払って、数時間眠った。


 明くる日、申し訳ないとは思うものの、ほかに方法は無いので、現地研究者にまた迎えに来てもらい、空港に行く。フライト時刻など何も情報が無いので、朝から空港にいた。あまりに対応が悪いので、筆者は現地研究者と一緒に航空会社の事務所まで行って苦情を言い、ホテル代だけでも支払うべしと詰め寄った。しかし、航空会社の係員は、「聞いておくが、対応はできない」というばかり。そして待つこと丸1日。前日と同じ夜中の時間に、ようやくカザフスタン航空の飛行機は離陸した。もう、皆クタクタであったことはご想像の通りである。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。