家族、友人、人間関係、お金、住まい……、“幸せな老後”を送るための条件はいくつもあるが、誰にも共通するのが心身の「健康」だ。


『最高の老後』は、〈死ぬまで元気〉を実現するために不可欠な5つのM(からだ、こころ、くすり、よぼう、いきがい)の観点から解説した1冊である。


「フレイル」(加齢に伴う心身の虚弱)は、一般にも知られる言葉となったが、〈「年齢」の数字以上に、その後に起こる身体機能の悪化や死亡率をより正確に予測させることが知られて〉いるという。


 では、高齢者がフレイルになるのを遅らせ、健康を維持するために何をすべきか? 本書では、全体を通してオーソドックスな記述がなされている。〈筋肉を使っていないと1日当たり0.3%から最大4%ほどまで筋力が低下していく〉といったように、記述は極めて具体的。エビデンスに基づいて書かれているだけに、説得力がある。


 ちなみに、運動については、〈「0より1」〉〈1万歩ぐらいまでは歩数が増えれば増えるほど死亡率の低下と相関している〉という。楽しんで続けられるものを選ぶところがポイントになりそうだ。

ただし、何事も“やり過ぎ”は禁物。


〈過剰な運動は、心房細動と呼ばれる不整脈や心筋細胞などのリスクを高める可能性も指摘されて〉いるという。そういえば、マラソンにはまって、練習過多で膝や足首を故障した知人がいた。食事と同様に運動も“ほどほど”に。


 一方、しなくてもいいものもある。高齢者が大好きな、〈サプリメントはほぼ不要だ〉と一刀両断。以前も書いたことがあるが、本書でも触れられている、サプリ自体の副作用や薬との相互作用のリスクはもっと広く認知されてもよいだろう。


「○○は体にいいと」と話題になってスーパーの棚から食品が消えることがあるが(普段から食べている人には迷惑な話である)、〈「健康になる食品」には十分な科学的根拠がない〉ことが多い。好きでもないのに無理して食べる必要はないだろう。


 薬に関しては、かねてポリファーマシーや飲み残しが問題になっているが、その背景や実態、解決策について解説している。


 ポリファーマシーに関連して、これまで意識していなかったのが、「処方カスケード」の問題だ。処方カスケードとは〈処方薬が原因の症状を治療するために新たな薬が追加される〉こと。


「○○の薬は胃に悪いから、胃薬も出しておきましょう」と新たな薬を処方されることをイメージすればわかりやすいだろうか。「薬の薬」だが、多くの薬を飲んでいる高齢者では、ネズミ算式に薬が増えることになりかねない。


■健診では“エビデンスなし”の検査も


 同様にあまり気にしていなかったのが、健康診断で行われる「検査のエビデンス」だ。


 実は、〈日本の健康診断は、歴史的な背景が色濃く残っており、必ずしも最新のエビデンスを根拠にしているわけではありません。また、個人の年齢によって内容が大きく変わることもありません〉という。


 例えば、〈肺がんのスクリーニングとしての胸部X線についてはこれまで少なくとも6つの大規模ランダム化比較試験でその有用性が否定〉〈心電図検査についても、臨床試験において無症状のリスクの低い健常者に行うことには有用性が確認できず、米国や欧州諸国で「推奨できない」〉とされているとか。


 検査は被爆などの体への影響や金銭的負担のほか、〈検査で「異常」と判定されることにより生じる心理的負担〉もある。


 日本人の特質なのだろうか、いったん制度として決まったものは“惰性で実施”“やりっぱなし”となっていることがある。著者が指摘するように〈エビデンスが確立した検査を推奨する、確立していない検査については新しいエビデンスを構築する〉〈ライフステージによって必要な検査や治療が変わってくる〉方向に舵を切るべきだろう。

 

「社会課題」と感じたのは、ホスピスの整備。


〈米国では、5000を超えるホスピスがあり、毎年150万人を超える人がホスピスを新たに利用〉するのに対し、日本は〈全国で500未満しかなく、利用者数は年間5万人から6万人程度、またがん患者さんのみの利用に限られており、がん患者さんの中でも12.5%の利用〉にとどまるという。


 どんなに元気だった人でも、死の間際では周囲に大きな負担をかけざるを得ないケースも多い。「家で死にたい」という希望を否定するものではないが、「家族に負担をかけたくない」という高齢者のニーズや、介護する家族の負担軽減の要望に応えるためにも、選択肢としてのホスピスを用意しておく必要があるだろう。最後が介護殺人や子の介護離職では“最高の老後”とはならない。(鎌)


<書籍データ>

最高の老後

山田悠史著(講談社1980円)