中央アジアの気候や風土はバラエティーに富んでおり、山あり谷ありで森林もあって日本の軽井沢のような景観の地域があれば、乾燥が激しくてほとんど砂漠のような地域、また、1年が短い雨期と長い乾期で構成されていて樹木は生育できず、広い草原となっている地域など、海に囲まれた島国日本に住む者にはまったく想像のできない様相の地域がたくさんある。


 生薬の調査は、それを使うヒトが居るところに出向くので、ヒトが住んでいる地域が調査対象となるのだが、あちこちに出向いた筆者が、いろいろ体験した中で、これは特筆すべしと思った地域が2か所ある。それは、カザフスタンの砂漠の中と、今は地図から消えてしまったアラル海の沿岸の街である。本稿はその砂漠の中の話である。


砂漠エリアの手前、見渡す限りの草原



 砂漠というと、日本人は、鳥取砂丘のような細かい砂ばかりでできた、なめらかな景観の土地を想像される方が多いようだが、そういう砂漠は地球の上では多くないようである。我々が2001年に2泊3日で滞在した砂漠も、周辺地域は岩山や疎林のような様相で、中の方に進むにつれて、なんにもない砂礫だけの景色の中に、昼間は熱さで軟化するアスファルトの細い道と、その脇に砂漠ならではの植物が少し、そして細い電線を引く電柱の列だけがある、そんなところだった。


遠くに電柱の列を望む


この時の調査の対象薬用植物のひとつ、甘草の地下部(走茎)



 1日目は朝早めに街を出発し、砂漠エリアに入ってほぼ丸一日、同じ眺めの中を進んだ。目指すはその砂漠の中に建てられた研究所。カザフスタンの共同研究者の解説では、その研究所は旧ソ連時代に作られ、砂漠の生物や気象等を観察するため研究者が常駐していた施設だったそうで、ソ連崩壊後は研究者は滞在していないが、施設の維持のため、施設守りの夫婦が雇用されて住んでいるという。地図を見てもなにもない。こんなになんにもないところに施設があって、ヒトが住んでいるものだろうかと半信半疑で出かけた。


 さてここで、丸一日同じ眺めということは、つまり、何もないということである。物陰が無い、のである。1日のうちには、ヒトは何度かトイレの時間が必要であるが、そのための物陰も無い、のである。大地は広く、見渡す限りほぼ平らで、砂礫の地が続いている。その時の調査グループはドライバー含め6名、筆者のみが女性で他は男性である。さて、この場合、皆さんならどのようにトイレの時間を過ごされるだろうか?


 我々が出した答えは、紳士協定的、性善説的方法。乗っている車を中心に、全員が異なる方向に、正確には、筆者(女性)が車の左側なら男性は全員右側に、であるが、せーので一斉に各自がじゅうぶんと思う距離だけ走って、そこで後ろを振り返らずに用をたす。終了後は少しの間、深呼吸でもして間をとって、それからおもむろに車に戻る、というものである。


 グループ行動の現地調査では、調査期間中メンバーは24時間、行動を共にする場合が多い。それぞれのちょっとした癖や食べ物の好き嫌い、さらにはトイレに使う時間の長短まで、みんな共有事項となってしまう。少し遠くに見えるトイレ中の後ろ姿くらい、なんでもないよなあ、というほか、しようがないのである。


 さて、細い電線だけがつかず離れずついて来て、いや、その電線に導かれて、という方が正しかったのかもしれないが、砂漠の中をひたすら進んで、もうすぐとっぷり日が暮れるぞ、と思った頃。石造りの研究施設は、砂漠の中に突然現れた。四角い。少し離れて施設守りの住む簡素な家屋が建っていた。


トイレ休憩時の前方風景



 わ、ホンマにあった、と車から出た瞬間、家屋から出てきた施設守りのおじさんが、何やら手を上下に振りながら、叫んでいる。ロシア語かカザフ語か、いずれにせよ、分からない。「?」と思っているうちに、車の中に戻れ、と共同研究者の声。なんだかわけがわかんない、と思いながら、でもみんな現地スタッフは必死の形相で大変そうだったので、ともかく素直に従った。


 次の瞬間、ボコンポコンバンとすごい音がし始めた。え!と思って車のフロントガラスを見ると、真っ白に曇ってよく見えない。それでもボンボンと車のボディーを叩くような音は続いている。何分くらいだったろうか、そんなに長い時間ではなかったはずだが、状況から、なんか尋常では無いことが起きた、ことだけはわかった。


 音が止んでから、おそるおそる車外に出ると、地面のあちこちに氷の塊らしきものがたくさん散らばっている。「冗談でしょ?」と思いながら聞くと、雹(ヒョウ)が降ったらしい。日没時ではあったが気温はかなり高く、氷の塊はみるみるうちに小さくなっていったが、それでもテニスボール大のものがあちこちに転がっていた。砂漠に雹が降るというのも驚きながら、その氷粒の大きさにさらに驚いた。急いで車に入れと言われたのは、その巨大な氷が頭を直撃したら、怪我どころか致命傷になることもあるから、であった。施設守りのおじさんも、こんなに大粒の雹は珍しい、と言って、天が珍客をもてなしてくれたんだろう、と皆で笑った。


走行中の車窓より。遠くにオアシスの緑が見える



 研究施設の方は、電気水道ガスのライフラインはとうに使えなくなっていて、石造りだから構造物としては残っている、というものだった。そこで1泊して、次の日は砂漠の反対側にある村に調査に行き、帰りにもう1泊するという予定だった。とりあえずは、そこで皆で雑魚寝である。新聞紙を敷いて寝ることにしたのだが、その建物の部屋にはなんと、先住者がいた。空が暗くなってから懐中電灯を手に中に入ると、バサバサという羽ばたきのような音と共に、何かが飛び回っていた。コウモリである。床には彼らの糞があちこちに転がっていて、それなりにたくさんいたようである。が、我々は汗と埃にまみれてくたくたで、驚いて飛び回るコウモリをかまう元気もなく、「どうか、顔の上に糞を落とさないでね」と祈りつつ、みんなすぐに寝てしまった。


 次の日、予定通り遠方の村に調査に出かけ、そしてまたくだんの研究所に戻ってきた。調査対象の薬用植物は地下部が薬用部位だったので、あちこちでかなり深く掘って採集を繰り返し、足元から頭のてっぺんまで土埃と汗とでどろどろ。しかし、水は街から購入して持って行った飲料水だけで、これは貴重なので手足を洗ったりすることには使えない。今日もどろどろのまま寝るのかあと思っていたら、施設守りのおじさんの家屋の方で、「You can clean up your body!」だという。水は飲料水しかないのに、どうするのかと思ったら、サウナに入るぞ、というのである。砂漠でサウナ?!


 これまた半信半疑でタオル片手に行ってみると、果たしてサウナだった。でも、日本でよくみるサウナではない。煉瓦や石を積み上げた部屋の内側を、麻袋や布で壁紙よろしくしっかりガードした小部屋の一角に、昼間野外でしっかり太陽光で温めた(というより、殺人的に熱くなった)石を置き、入浴する人はコップ一杯の水を持って入室。扉をきっちり閉めたら、コップの水半分を熱々の石の上に垂らす。するとたちまち水はもうもうと水蒸気になって部屋いっぱいに広がり、極上のスチームサウナが出来上がる。すぐに汗が出てくるので、その自分の汗で身体を洗うのである。ひとしきり水蒸気が消えたら、コップの残りの半分の水を石の上に垂らし、もう一度汗をかいて、仕上げ洗いをする。


 自分の汗で自分を洗うという発想に感服。汗は出てきてすぐは無菌状態のはずなので、放牧された家畜のし尿がしみ出す山川の水よりもよほどキレイであると言うこともできる。こんな方法を昔の人はよく考えたなあ、と強く印象付けられた体験だった。その晩は、前夜よりさらに短時間で眠りに落ちた、はずである。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。