安倍晋三・元首相の殺害事件から約2週間。発生から間もない時点では「要人警護の失敗」や「容疑者による銃の自作」など“枝葉の報道”が目立ったが、最近では当初容疑者の妄想のように報じられていた動機部分、つまり「旧統一教会と自民党の関係」に論点が移っている。教団を知り尽くした弁護士連絡会による詳細な情報提供で、この組織の犯罪的なカルト性、そして自民党とくに清和会(安倍派)との歴史的なつながりが、それなりに裏付けのある事実だとわかってきたのである。
しかしその一方、報道各社のスタンスは極端に分かれている。熱心に深層を掘り下げようとするメディアと、独自取材をほとんど放棄したメディアである。前者の代表は意外にも読売テレビのワイドショー『情報ライブ ミヤネ屋』や、BS番組および『報道特集』で踏み込んだ特集を見せるTBS。逆に及び腰なのはNHKと全国紙だ。テレ朝の『モーニングショー』は、カルト問題の専門家・有田芳生氏が「『政治の力』により教団捜査の方針が消えた」という警察幹部証言を紹介した翌日から、なぜかプッツリとこの問題を扱わなくなった。
こうしたなか、直近のネットで波紋を広げるのは『元首相銃撃 いま問われるもの』と銘打った朝日新聞による社会学者・宮台真司氏のインタビュー記事だ(19日付)。宮台氏はこの記事で「自民党と統一教会についてのズブズブ」などの論点が削除されたことを直後にツイッターで暴露。統一教会をカルト指定したフランス・ドイツとの比較、70年代末以降、各大学で孤独な新入生が狙われた教団拡大期の説明、そしてオウム事件以後、一時期薄まった自民党と統一教会の関係が民主党政権下で再接近、「自民党の下野から政権奪還に至る過程で、確実な集票を期待できる宗教団体やネット右翼との関係が深まった」などと解説した計3ヵ所がごっそり削除されたとして「削除前の元原稿」をツイッターで公開したのである。
朝日の担当者は「社会部の取材で確かめてからでないと」と、宮台氏の抗議を押し切ったということだが、宮台氏自身は「『右派』の攻撃や自民党関係者らの抗議を恐れた」ことなどが“本当の理由”ではないかと推察する。それにしても、なぜこの程度のコメントで朝日はかくもオタついてしまったのか、と不可解に感じられた。
すると、この顛末の直後、昨年朝日を退社したというひとりのOBのツイッターが拡散した。「朝日新聞は死んだ。保身のために生きる人が編集局幹部を占め、統一協会と自民党の癒着に迫ろうなどという胆力など1ミリグラムもない」。たぶん、彼の嘆く通りなのだろう。私にしてみれば、もう四半世紀も前に縁の切れた会社であり、このOBもとくに面識のある人ではなかったが、彼の言う「寂しさ」はよくわかる。
1985年4月、新卒の私が臨んだ朝日入社式は、霊感商法報道に怒り狂う統一教会から何千、何万もの抗議電話が会社に殺到し、代表電話が数日間マヒ状態になる異常事態下で行われた。「ペンを折るより社をたたむ決断をすることもある。そういう会社に君たちは就職した」。当時の社長はそんな趣旨の挨拶をした。実際、あのころの朝日ジャーナルや社会部には、身の危険も顧みず、このカルト教団と戦った「勇者たち」がいた。しかし、そんな栄光も今は昔、現在の朝日は恐る恐る報道の最後尾からついてゆこうとする「ヘタレぶり」があまりにも露骨だ。
それに比べると週刊誌媒体は、それなりにみなこの問題を扱っている。ただし統一教会のカルト性、犯罪性についてはある程度掘り下げるが、自民党との関わりに関しては、週刊文春が『統一教会と自民党「本当の関係」』と題し、下村博文・元文科大臣や高村正彦・元副総裁と教団の癒着について書いているものの、たとえば週刊新潮にこの切り口はない。「執筆者の覚悟」にも各誌ばらつきが見られるのだ。ともあれ、現在のような「メディア総崩れの時代」でも、いくつかはまだ点在する「戦う記者・媒体」の踏ん張りに期待するしかない。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。