受験生や親の医学部人気は衰える様子はない。そんな医学部を志望する受験生やその親などを念頭に、医師の生態を描いた1冊が『ほんとうの医療現場の話をしよう』である。


 昨今は、「勉強ができるから医学部に」という受験生は多い。そうした進学指導をしている高校も少なからずある(その是非は別にして……)。


 激務の仕事に、勤務医の異常な残業時間は相変わらず、そして医師はモテる(ただし忙しい学生時代の恋愛はなかなか難しいようだ)……と、本書には医療現場の実態や、患者、病気、仕事、年収、生活といった医師に関係するさまざまな論点が網羅されていて、これから医学部を目指そうという人には参考になる。


 現役医師ならではのリアルな内容も充実している。


 例えば、医師から見た〈圧倒的に凄い外科医〉の資質。がん治療をはじめ、エビデンスがそろっている「標準治療が一番」はよく言われるが、手術の巧拙はありそうだし、名医と呼ばれる人も存在している。


 実際のところはどうか? 著者によれば、不器用すぎるのは難しいにしても、問題になるほど手先が不器用な人はほとんどいないとか。


 一方で、名人はやはり存在する。著者は、3つのポイントを挙げている。


 1つは、具体的なビジョンを持つこと、1つは完璧主義。そこまでは想像がつく。意外なことに、もう1つは「短気」だという。なぜか?


 優れた外科医は〈とにかく適当さや曖昧さを嫌います。彼らが想定している既定路線を外れた時の怒りが実に強烈で、ほんの少しでもおかしい事をみつけたら、まるで瞬間湯沸かし器の如く怒りミスを指摘し軌道修正を図ります〉という。


 パワハラやらコンプライアンスの観点から、一般の会社ではめっきり減ってしまった“ガンコ職人”タイプだ。しかし、大切な体にメスを入れられる患者の身になれば、少々厳しいくらいのほうが信頼できるのではないだろうか。結果を出すからこそ周りもついてくる。


 スポーツとは無縁で勉強ばかりしているイメージがある医学部生だが、実は勉強に次いでといえるほど重要な要素となっているのが、〈部活(だいたい運動系)〉。


〈受験勉強という個での活動に専念してきた高校生が、運動系の部活に参加し、上下関係や集団としての規律を課外活動を通じて学ぶ〉のだという。


 医療はさまざまな関連職種や上下関係の中で成り立っている。チームプレーは不可欠だ。〈部活は賛否両論あるが、役に立つ事が多いのは事実〉というのは、現場を知る医師のホンネだろう。


■生活圏に居ない人達に衝撃を受ける医学生


 本書を読んで前々から疑問に思っていたことがひとつ解決した。育ちのいい医師の卵たちが、ありとあらゆる社会階層の患者に対応できるのか?という疑問である。


 医師は、好き嫌いや共感の有無にかかわらず患者を診なければならない。極端な例だが、36人の死亡者を出した京都アニメーション放火事件の被疑者を治療するようなケースすらある。


 生活保護を受けている人、刑務所からやってくる受刑者、アルコール依存症の患者……、〈患者さんの多くは医学部受験生の生活圏には居なかった人達〉であることに衝撃を受けるようだ。


 それでも、〈医学部に入学した若者は、ひとたび医師になったら実に真摯に、そして勤勉に働きます〉という。著者は、〈医学部入試ならびに医大での教育が、それなりに上手に作用している〉と見るが、若いからこそ順応できる部分もあるのだろう。


 著者の医療や医学部に関する視点は、医師を目指さない者にとっても参考になる。


 例えば現代医療。食糧難や細菌・ウイルスへの対策が進んだことで、先進国では〈現代はむしろ身体が故障し尽くすまで、人が死なない状態〉〈寿命=己の生物としての耐用年数をいかにして擦り減らさないかという領域に突入〉しているという。


〈病気を治すというよりも支えるという状況に近い〉のだ。医療やIT技術などの進歩で状況が変わる可能性もあるが、今後の医療システムを検討するうえで踏まえておきたい考え方である。


 さて、本書では、数年前に大いに話題になった、医学部受験における女性差別問題についても触れられている。


 当時、医師の側(女医も含む)からは容認する意見が多かった印象があるが、差別は是正されたのだろう。2021年度の試験では、女性の合格率が初めて男性を上回ったことがニュースになっていた。


 論点は本書を参照してほしいが、現実の問題として〈医大入試は実質的にはほぼ採用試験〉の側面もあるというのが、通常の受験とは異なるところ。


 入試の平等を実現した以上、過酷な労働環境、激務診療科、医師の偏在や無給医といった、医師をめぐる各種課題を放置したままでは、近い将来、現在の医療システムは大きなリスクを抱えることになるのかもしれない。(鎌)


<書籍データ>

ほんとうの医療現場の話をしよう

高須賀とき著(晶文社1760円)