半世紀近く前、受験参考書(いわゆる赤本)で目にした東大入試の日本史の過去問に、古墳時代、豪族や天皇の墳墓は何の目的で造られたか、という設問があった。あまりに素朴な問いかけに意表を突かれたが、答えは手持ちの教科書にも小さく載っていた。他界した支配者を盛大に弔ってみせることで、後継の為政者が自身の権威・正統性をアピールした――。概ねそんなニュアンスで書かれていた。久しく忘れていたそんな記憶がこうしてふと浮かんだのは、世論を目下二分する国葬問題を見てのことだ。凶弾に倒れた元首相を盛大に追悼することで、現在の首相はその「威光」を利用できる。遺跡の建造と比べると、スケールの小さな話だが、結局のところ為政者の弔いを決定づけるのは古来、故人への思慕よりも「残された者の思惑」なのである。


 だが今回、現首相の目論見は果たしてどう出るか。そんな懸念も浮かぶほど、世論には動揺が広がっている。夥しい数の政治家と癒着したカルト宗教の存在、そんなおどろおどろしい権力の内幕が、一気に明るみに出たためだ。NHKと全国紙は事件から約ひと月、最小限の報道しかしていないが、さすがにそんな「沈黙」も世論の突き上げで許されない状況になりつつある。一方で当初から報道を牽引した一部民放局、そして週刊誌の追及は日に日にヒートアップする状況だ。


 週刊文春は『統一教会徹底解剖 安倍派と統一教会癒着の核心』と銘打って14ページもの大特集を組んでいる。櫻井よしこ氏、高山正之氏という元首相礼賛者の看板コラムをもつ週刊新潮さえ、『「統一教会」と「政治家」を監視 「警視庁公安部」封印された「捜査ファイル」』といったトップ記事を載せた(もっとも、両人のコラムは依然として教団問題を無視している)。なかでも興味深く読んだのは、文春特集にある2本の記事、『山上の兄も包丁を持って幹部の家に向かった 最も親しい信者の告白7時間』と『山上が手紙を送ったジャーナリストは何者か』だ。


 ここで言う「山上」はもちろん、安倍氏を銃撃した山上徹也容疑者のこと。彼には難病を患い自殺した兄がいることはすでに知られた事実だが、文春が取材した「山上家と最も親しい信者=地元教会の幹部」によれば、この兄は生前、数少ない理解者の伯父やこの幹部と無理心中をしようとして警察沙汰を起こしたという。容疑者本人のみならず、その兄まで究極の極限状態に追い込まれていたという証言に、改めてこの一家が直面した絶望を思い知らされる。また、淡々と経緯を打ち明けるこの証言者が、現役信者でありながら山上家に寄り添い、教団からの寄付金返還を助けたこと、あるいは誠実そうな語り口、そういった要素から決して狂信的カルト信者に思えない「常識人」に映るのが意外だった。


 もう1本の記事は、山上容疑者が犯行直前に手紙を送っていた宗教ジャーナリスト・米本和弘氏のことだ。この人物の名はその昔、雑誌記事や著作から私も認識していたが、何よりもその独自性が際立つのは、多くの専門家と異なり、信者を救おうとする家族がプロテスタントの牧師らとともに、事実上の「拉致・監禁」を厭わず「脱洗脳」を試みるその態度を「強制改宗」と呼び、教団側のみならず「反統一教会の人々」にも批判の目を向けることだ。この問題はなかなか複雑で、次回以降、本コラムで再度触れるつもりだが、山上容疑者はこういった米本氏の「断罪一辺倒でないスタンス」を信頼したように思える。教団と「政治との関わり」は明確に解消すべき問題だが、「信者や2世の救済」に関しては、シンプルに解決策を示せないデリケートさがある。この記事には問題のそんな複雑さが示されていて、腰の引けた新聞報道より何歩も先を行くクオリティーがある。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。