新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大が始まってから、3回目の夏が終わろうとしています。
感染症は、ウイルスや細菌などの病原体が引き起こす病気です。その病原体に感染したヒトや動物が、体内に保有している病原体を別の生き物にうつすことで病気が広がっていきます。
電子顕微鏡の登場により、現代を生きる私たちは、ウイルスや細菌がどのような姿形をしているかを知ることができるようになりました。COVID-19の病原体である新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は、その形状が太陽のコロナに見えることから「コロナウイルス」と命名されています。
いまでこそ、感染症はウイルスや細菌の仕業によるものだということは、誰もが知っています。それでも、どんなに目を凝らしても、その姿を肉眼で見つけることはできません。昔の人にとっての感染症は、ある日、突然、見えない何が病や死をもたらす不気味で、恐ろしい現象だったのでしょう。
古来、こうした伝染病は疫病と呼ばれ、目に見えない疫病神が人に取りついたり、家に入り込んできたりして、次々と人々を病気にするものだと考えられていたようです。世界各地で疫病退散の祭礼が行われており、私が暮らしている茨城県石岡市にも、「代田の大人形(だいだのおおにんぎょう)」という風習が残っています。
代田の大人形の俗称は「ダイダラボッチ」といい、疫病などの災厄の侵入を防ぐために、村の境目に藁と杉の葉で作られた大きな人形を置く風習です。毎年、8月16日に新しい大人形が作られ、1年間同じ場所に据え置かれます。そして、1年たって役目を果たしたあとは燃やされて、また新たなダイダラボッチが作られます。
代田のダイダラボッチ。恐ろしい顔つきのなかにユニークさも感じる
始まったのは江戸時代中期。1782年(天明2年)~1788年(天明8年)に起きた「天明の大飢饉」のあとに始まったと伝えられています。
お盆明けの8月某日。「これは、ぜひ拝見して、疫病退散を願いたい」と、ダイダラボッチに詳しいご近所の方に案内してもらって、現地まで行ってきました。
ダイダラボッチが作られているのは、石岡市の南東部の霞ヶ浦に接している地域で、旧関川村のあったところです。旧関川村は、昭和29年に石岡市に編入されましたが、江戸時代は水戸藩の領地として管理されていたため、石岡とは異なる独特の風習が残っているようです。
もともとは、代田、梶和崎、古酒、長者峰、八木、御前山という6つの集落で、それぞれ特徴のあるダイダラボッチが作られていたそうです。でも、材料の藁が手に入りにくくなったり、後継者が育たなくなったりしたことで、残念ながら4つの集落では人形づくりをやめています。現在も続いているのは、代田と長者峰の2つのみです。
前述のように、ダイダラボッチのおもな材料は、藁と杉の葉でつくられています。芯となる丸太に藁を巻き付けて、人形の胴体をつくり、藁で作った手や足、胸、臍、男根、鉢巻きなどの部品を取り付けます。胸や臍は、丸い桟俵(お米を入れる俵の両端にあてる円形の藁蓋)の中心に、ナスを取り付けて表現されています。
その胴体に、高さ50センチメートルほどの円柱形の竹籠を乗せて頭をつくり、恐ろしい形相の顔を書いた紙が貼りつけられます。そして、藁の体に杉の小枝が差し込んで全体を覆い、右手には竹やりを持たせ、左の腰には杉の若木で作った大小の刀を差したら、ダイダラボッチの完成です。
全長は2~3メートルで、その姿は、山伏のようにも、猛獣の化身のようにも見えます。ただし、地域の人にとっては、ダイダラボッチがあることが当たり前の日常で、信仰の対象でもなければ、恐れるものでもないそうです。
でも、事前情報を何も持たずに、この大人形をはじめて見た私は、ギョッとして、恐ろしいと感じました。
現在、つくられている2体のダイダラボッチのなかでも、とくに畏怖の念を抱いたのが長者峰の集落ものです。代田のものよりも一回り大きくて、全長は約3メートル。顔つきは、歌舞伎の隈取のようで、とても恐ろしい形相です。私が見に行ったのは、昼間の明るい時間帯でしたが、もしも夜だったり、1人で行ったりしたら、とてもその前を通ることはできなかったと思います。
長者峰のダイダラボッチは全長3メートルで、歌舞伎の隈取のような恐ろしい形相
ダイダラボッチが置かれているのは、いずれの集落でも村境で、そこを通らなければ集落に入ることができ場所です。ウイルスは、人と人が接触し、そのウイルスを持った人が動き回ることで、感染を拡げていきます。それまで安全だった村に、疫病をもたらすのは、いつでも「よそ者」です。
長者峰の集落の入り口の小道に置かれている
村を疫病や不審なものから守るためには、そもそも疫病を持っている可能性のあるよそ者を村に入れないようにする水際対策が必要です。村境に、ダイダラボッチを置くことは、たんなる御呪いにとどまらず、恐ろしい形相の大人形を見たよそ者に、村に入ることを諦めさせ、人流を抑える効果があったのかもしれません。
目に見えない恐ろしいものと、人はどのように付き合っていくべきなのか。 ダイダラボッチは、令和の世に暮らす私たちにも、そのことを教えてくれているような気がします。
ダイダラボッチの見学を終え、長者峰の集落をあとにしようとした時、サーッと涼しい風が吹き抜けました。その瞬間、近くの民家に生えていた百日紅が散って、鮮やかなピンク色の花びらが、私の手の平に飛び込んできたのです。
それは、たんに夏の終わりの一コマなのかもしれません。でも、私には「そろそろコロナ騒ぎもおさまるよ」というダイダラボッチからの優しいメッセージのように思えました。
いまだCOVID-19の感染拡大は続いていますが、ダイダラボッチにあやかり、世界に一日も早い安寧が訪れることを願っています。