安倍晋三元首相の国葬発表以来、賛否が喧しい。賛成が50%強、反対が45%ほどで、通常、この手の世論調査では誤差を5%程度見込まなければならないから、賛成、反対は拮抗していることになる。銃撃され亡くなったのは気の毒の一語に尽きるが、銃撃された原因が思想的なものではなかったのだから驚く。それも旧統一教会への憎しみだったというのだから、多くの人が呆気にとられたのではなかろうか。


 しかも、その後、統一教会の問題が報道され、自民党議員との「おつき合い」ぶりが次々に明らかになり、安倍元首相がその中心だったというのだから、国葬に反対する人たちが増えるのも当然と言えば当然だ。最近の世論調査では、国葬反対の人のほうが賛成を上回っている。早々と国葬を発表した岸田文雄首相も心の中では困惑していることだろう。それでも武道館で国葬を執り行うこと、費用として2億5000万円を計上することを閣議決定した。自民党内の派閥の力関係、言い出して取り消すとさらに総理の力量を疑われるからなのか、今さら引っ込みがつかないのだろう。なんだか情けない首相だ。


 それにしても国葬とはずいぶん思い切ったものだ。55年前の吉田茂元首相以来だが、ほとんどの人は国葬などというのは忘れていたのではなかろうか。岸田首相の発言で思い出したという人が多いだろう。


 その国葬の理由が、長いこと首相を務めて国に貢献したこと、海外からも多くの弔辞をいただいたことだという。くわえて、官房長官は弔意を表す外国要人の警備のうえからも国葬が必要とさえ言う。なんだかわかったようでわからない理由だ。在任期間が長かったことは事実だ。以前、「故佐藤栄作元首相の在任期間を超えた」と報道されたことで気付いたが、長かったかどうかという話は新聞やテレビがよく使うニュースだが、庶民にはあんまり関心はない。東京・上野動物園のアジア象やパンダの生存期間の話ではないのだろうか。


 当然、在任期間が長かったのだから外国のトップとも知り合ったことだろう。G7では最も長期だった。しかも、8年9ヵ月の首相在任期間に訪問した国の数は優に100ヵ国を超えるという。かつてアフリカのどこそこの国を訪問するとき、テレビが150回目の外国訪問だ、と伝えていたのを思い出す。


 僻みかもしれないけれど、外国旅行したくて始終、外国訪問していたのではなかろうか、と思ったことさえある。かつて私が学生だったころ、世界的にヒッピーが流行になり、世界を「放浪」する若者が多かった。当時、年配の人たちは「乞喰旅行だ」と酷評していたが、彼らは「百何ヵ国に行った」と語っていたが、なんかそれに似ている。


 官房長官や安倍元首相を信奉する人たちが「外国からの弔意が多く、国葬にしないと、整理がつかない」といった説明もあった。だが、これは逆だ。吉田茂元首相以後、亡くなった元首相の葬儀は政府・自民党葬がふつうだった。葬儀では野党の党首が弔辞を読んでいたが、今度は野党党首には読ませない方針という。


 そもそも誰でもそうだが、昔ながらの葬儀を行えば、知人だけでなく、義理や人情で列席する。列席せざるを得ない人もいるはずだ。大体、葬儀というものは故人のために行うのではなく、残された遺族のために行うのだ。作家や音楽家が亡くなると、有名人やタレントが大挙して弔意を述べに来る。葬儀を取材するテレビに向かって作家や作詞家、音楽家の先生にいかにお世話になったか、可愛がられたか、を述べ、自身の売り込みを図る。


 もし、遺族が質素な葬儀を行うと、世間から「あんなにお父さんの世話になったのに、立派な人だったのに、ずいぶんケチな葬式だ」なんて陰で言われてしまう。不祝儀は半返しでいい、といっても、礼状に、お返しに、と気を使うし、遺族にとっては大変だ。そんなことから昨今は家族だけの密葬が多くなった。遺族から家族だけで行います、密葬にします、と言われれば、たとえ売り込もうという人もその意思を尊重する。いや尊重せざるを得ない。最近は「家族だけで執り行いました」という人のほうが多くなった。賢明な方法だろう。


 その伝で言えば、国葬にしたら外国は葬儀に出席する人を派遣しなければならなくなる。政府・自民党葬なら東京に赴任している大使が出席するだけで足りるが、国葬となればそれ相応の人を派遣せざるを得ない。制裁中のロシアは早々と派遣しないと発表したが、アメリカはハリス副大統領を派遣すると伝えられている。ハリス氏にとっても本当は迷惑だろう。11月に中間選挙を控えているのに……と心の中で思っているはずだ。中国も党内序列の高位人物を派遣するという。


 G7の国々も内心は迷惑しているだろう。ロシアのウクライナ侵攻でシベリア上空を飛行機が飛べない。ヨーロッパ諸国にとってはアジアは遠い国になっているのだ。ODAを多くもらっている国は大使というわけにもいかないから、さらにODAを増やして貰えるように外相を派遣するかもしれない。外国から弔意を述べる人が多いから、ではなく、国葬にしたらもっと多くの国から弔問客が来ることになるのだ。むしろ、外国の弔問客を増やすために国葬にしたいのではないか、という気がする。


 警備が大変だからではない。国葬にしたら、もっと警備が大変だ。外国の要人はその国が警備するから、という人もいるが、アフリカ諸国や中南米、あるいは中東の国もみんなSPを連れてくるので、安倍元首相を守れなかった日本のSPは手が回らないだろう。国葬で弔問の外国人が多くなったらもっと大変だろう。やはり、遺族が、岸田文雄首相が自分の名前を大宣伝するための国葬としか見えない。


 国葬にするもうひとつの理由である「在任期間が長かったから」というのは、さらに腑に落ちない。長ければいいのだろうか。前述したヒッピーなどはわずか2~3年で百数十の国を訪問している。最近は聞かないが、地方自治体の長が長く続くと、「多選の弊害」などと言われたものだ。国会議員だからいいのだろうが、在任期間の長さではなく、在任中の功績を謳うべきではないのだろうか。


 で、安倍首相の功績とは何だろうか。第1次安倍内閣は「美しい日本」と謳ったが、1年で投げ出してしまったから目立つ施策はない。安倍内閣の功績と言えば、第2次からだ。第2次安倍内閣の政策といえば、なんと言ってもアベノミクスだ。言うまでもなく、3本の矢という経済政策である。1本目の矢は低金利、2本目の矢は財政出動、3本目の矢は規制改革である。安倍首相退陣後の菅義偉内閣、さらに現在の岸田文雄内閣でもアベノミクスを続けているというのだから、さぞ経済効果があったはずである。


 だが、その成果と言うべきなのは昨今の物価上昇だ。もちろん、ロシアのウクライナ侵攻とそれに対する経済封鎖による、原油、ガス価格の高騰、新型コロナの感染拡大も大きく影響している。だが、為替相場が1ドル=100円台から130円台に下落している。年初から3割の下落である。為替相場の下落は輸入が多い日本ではもろに響く。ガソリンやガス代、食糧油、小麦粉は言うに及ばず、自給率が低いだけにほとんどの食料品が値上がりしてしまう。


 政府やエコノミストは日本の物価上昇は欧米と比べて低いと言うが、この物価指数は生鮮食品を除くもので、欧米の場合は石油、ガスに依存する光熱費を直に価格に反映させていることにある。一方、日本の場合は統計に反映させない日々の生活に必要な食品の値上がりが大きな問題なのだ。


 そもそも3本の矢にうち、3本目の矢である規制改革はほとんどない。安倍首相の友人のために「岩盤に穴をあけた」という加計学園の獣医学部を新設させたことしかない。2本目の矢である財政出動でも目立つものがない。北陸新幹線の金沢延伸は前々から計画されていたものだし、民主党政権で建設中止した八ッ場ダムの建設再開は建設費を東京都、埼玉県、千葉県が負担するもので、この6月ごろから3都県の水道代を値上げしている。JR東海のリニアはオリンピックまでに完成するようにせっついたが、JR東海から無理だと拒否された。財政出動で目立つのは東京オリンピック会場の国立競技場建設くらいしか見当たらない……。


 結果、1本目の矢である金融緩和だけが実行されている。しかし、8年も9年も続けてきたが、景気はよくならず、ついに物価だけが値上がりしたという「功績」を残した。一時、「GDP(国内総生産)を600兆円にする」と豪語したが、実際は以前の500兆円を切るところまで後退している。鳴り物入りのアベノミクスは何の効果もないどころか、景気後退を招いた、国力を衰えさせたとしか言いようがない。


 TPP(環太平洋経済連携協定)を挙げる人もいるだろう。だが、TPP参加を最初に表明したのは民主党の菅直人内閣だった。すでに交渉が始まっていたTPPへの参加をするといったもので、それを進めたものに過ぎない。安倍首相の功績と言えるものはTPPに反対していた農協を納得させたことだろう。


 その代わりなのだろうが、「ブランド化」を盛んに提唱した。おかげで各地が「オラが村のブランド」を言い出し、消費者から見たらブランドの価値が薄れた。ブランド化も結構だろうが、特別な地域発であり、材料に優れ、縫製などの製法がしっかりしていて、使いやすいなどが積み重なっているからこそブランドに価値があるのであって、みんながブランド品だ、ブランド品だ、と言ったらブランド品の価値がなくなる。


 医療関係ではどうなのだろう。なんと言っても安倍首相の功績は、2年に1回の薬価改定を毎年改定にして医薬品の価格を引き下げ、さらに診療報酬では重要な医師会を敵に回さないように診療費は最低限の引き上げを許してその代わりに薬価引き下げに精を出し、医療費削減を実現したことだろう。診療費引き上げの代わりに遠隔医療を実現させてプラス幅を少なくする方法も編み出したように見える。


 くわえて、うまいと思ったのは医師会と薬剤師会の扱いの違いだ。医師会を敵に回さないように、ほんの少しプラスを与える。代わりに薬剤師会には冷たくすることだ。都々逸に「踏まれても、蹴られても、着いて行きます下駄の雪」とあるように、自民党が野党のときにも自民党につき従った薬剤師会は下駄の雪と同じで、冷たく扱っても構わない、という方法に徹したことだ。


 さらに新薬創出加算をなし崩しにして医療費削減を図ったことが功績として挙げられるだろう。新薬メーカーが不満を伝えているが、蚊ほども感じていないようだ。外国の製薬会社が日本で新薬を提供しなくなる、と言っているが、おそらく「ドラッグロス」になるのだろう。希少疾患患者はどうなるのだろう。そのとき、医療者はどうするのだろう。


 実は安倍元首相の功績のひとつに、社会保障費の削減がある。12年、当時の与党だった民主党の野田首相と、当時野党だった自民党の安倍首相との間で、消費税を引き上げその税収を医療費や介護費などの社会保障に充てる、その代わりに総選挙を行う、という合意があった。安倍氏はそれを約束して総選挙で自民党が政権を奪取、与党になった。安倍首相は約束通り、消費税を引き上げたが、その税収は一部を医療費に充て、残りは一般財源として土木事業などに使ってしまった。消費増税分を社会保障費にしなかったことで、薬価の毎年改定などが必要になったということだろう。


 少々話が変わるが、イギリスでは国民に自粛をさせている最中にジョンソン首相がパーティを開いていたことが祟り、首相の座を追われた。誰が語った言葉か忘れたが、イギリスでは「首相にとって怖いのは議会で前に座って攻撃する野党ではない。怖いのは首相の後ろに座っている与党議員である。与党の彼らはいつも首相の失策に乗じて首相の座を奪おうと狙っているからだ」といった言葉がある。実際、9月初めに決まる与党、保守党の党首選で争っている2人はともにジョンソン首相を引きずり下ろした人物だ。


 政治の世界では敵に回る者には優遇してエサを与えなければならないが、不遇のときもついてくる下駄の雪にはエサなど必要ないのである。そのいい例が薬剤師会である。


 少なくとも、弱者を多少なりとも犠牲にして医療費削減に尽力したことは安倍首相の功績に挙げられるだろう。


 多くの政治評論家や政治記者は安倍首相の功績は国内政治ではなく、外交だという。確かにインド太平洋経済枠組み(IPEF)を提唱したことは挙げられる。だが、それは経済力、軍事力を蓄えた習近平中国が盛んに均衡を崩そうとしたからだと言える。しかし、その前には習国家主席を国賓として招こうとしていたのではなかったのか。新型コロナの蔓延で中止になったが、もし実現していたらどう評価すべきだろう。


 アメリカのトランプ大統領とは親しかった。イージスアショアも1機200億円を超える戦闘機も大量に買った。ロシアのプーチン大統領とは27回も会い、お互いに「ウラジミール」「シンゾウ」とファーストネームで呼び合う仲だと自慢した。北方四島の返還交渉では、この親しさを武器に交渉、するのかと思ったら違った。親しさとは裏腹に歯舞、色丹の2島返還の話に後退していた。本当に親しいのか。


 政治記者は「2島先行返還だ」と言うが、したたかなロシアが2島を先に返還し、あとの2島は5年後、などと言うだろうか。先行返還などというのはバカの骨頂だ。この2島返還交渉が上手くゆきそうもないとなると、北朝鮮による拉致被害者の帰国に力を入れる、と言い出した。が、北朝鮮との接触ルートがない、いや、持とうともしなかったのだから掛け声だけだった。


 そもそもプーチン大統領と友人関係だったら、ウクライナ侵攻のとき、ロシアを訪問し、侵攻を止めるべきだと忠告しなかったのだろう。親友であればこそ、耳に嫌がる忠告もするはずだ。政治学者や政治記者が功績を挙げることはほとんど無意味なことばかりである。先日、フジテレビの番組に登場していた元大使や知識人が政治記者を「永田町のことしか知らない永田町新聞の人」と言っていたが、まぁそうなのだろう。


 こうしていろいろ考えると、安倍首相の功績とは何なのだろう。現職の首相が殺されたのならともかく、新型コロナ感染症が蔓延しそうな時期に職務を投げ出した元首相に国葬が果たして相応しいのだろうか。最近は統一教会との結びつきが次々に表面化し、国葬反対の声のほうが大きくなっているが、国葬すべきかどうかは国民の民度を試されているようにさえ見える。亡くなったから悪く言うべきではない、という声もあろう。だが、政治家は政治上の功績を判断すべきで、感情論を言うべきではない。感情論から一歩成長すべきではなかろうか。(常)