われわれの現地調査は薬用植物を研究するためのものなので、行く先々には水源となる川や池がある場合が多い。その河川や湖沼を見て、帯同した学生らがほぼ必ず口 にするのが、「あ、濁ってる」である。大雨の後や、上流で土木工事が行われていたりしない限り、日本の河川に黄土色の水が流れていることは、ほとんどない。しかし、日本の外、特に東南アジア地域では、池や川は日本のそれらとはかなり異なる様相で、川の水は常に黄土色など土色をしていることが多く、人々との暮らしとの関わりも、現代日本とは大きく異なっている。 


 振り返れば日本だって、昭和の高度経済成長期には環境汚染問題が深刻化し、大気や河川、湖沼の汚れがいわゆる公害病を起こすほどだった。しかし、その後の多様な 努力と技術開発等によって、徐々にそれらは浄化されてきた。今では川の水に生活排 水が大量に流れ込んで濁っていたり、泡立っていたり、あるいは、水源地の湖沼がず っと黄土色に濁っているというような事態は、日本ではほとんどないだろう。筆者の記憶の中の40年以上前の自宅近くの川と、現在の同じ川を比べても、今の川は圧倒的に綺麗である。そんな綺麗になった日本の河川しか知らない学生たちが、大雨の後 でもないのに完全不透明色の川の水を奇異に思うのも無理はないのかもしれない。 


 現地調査の川にまつわる記憶は、やはり圧倒的に熱帯アジア地域のものが多い。 


 例えば、桂皮の研究のためにベトナムの南から北まであちらこちら、そして中国南 部地域を訪問した調査では、桂皮の植林地がいずれも山岳地域だったこともあって、川にまつわる話がたくさんある。特にベトナムの桂皮産地には近年まで繰り返し訪問 しているので、時系列の比較もあって面白い。 


 ベトナムの桂皮産地は、嘗ては国内のあちらこちらにあったらしいが、現在までし っかりとした産地として続いているのは、中部地域ダナンに近い、チャーミー村を中 心とする地域と、ベトナムの地図上で北部の東西に広くなっているあたりの北西部と 表現すればイメージしていただけるだろうか、そこにある、イェンバイを中心とする 地域の 2 カ所である。桂皮の生産量は、イェンバイ地域の方がかなり多い。 


 ベトナムでは、樹齢8年くらい以上のカシアニッケイから樹皮、すなわち桂皮を収穫したあとは、切り株を根本から掘り上げ、新しい苗を植える。その新しい苗木が収穫できる大きさに育つまで、つまり約10 年から20年後まで、その場所は他の用途には使えない。こんなサイクルでの栽培と収穫なので、また、ベトナムのカシアニッケ イの生育にはそういう環境が適しているからか、桂皮の植林地は急斜面であることが多い。そして都会から遠く離れていて、車が入れるような道が無い。大抵の場合、ふもとまではバイクで出かけるのである。我々が行こうとする場合には、作業員のお兄ちゃんやおっちゃんのバイクに二人乗りさせてもらって行く。ベトナムではバイクタクシーは珍しくないし、そもそも作業員のおっちゃんたちは、桂皮の収穫の際には、山で剥いだ桂皮を 30-40キロの束にしたものを 個から 個、バイクに積載して遠く 離れた加工場まで運ぶのであるから、バイクタクシーに不慣れな我々が荷物の代わりに乗っても、それなりに上手く運んでくれるのである。


長い吊り橋。金属ワイヤーが使ってあって比較的安 全。 桂皮満載バイクが往来する


桂皮満載バイク。桂皮の束は1個が30kg から40kg ある。


浅い川は橋が無く、歩いて渡る。


浅い川でも、かなり華奢だが橋がある場合。 


桂皮の山の入り口にあった橋。 すべて自然素材でできていた(2015年)。


 このカシアニッケイの植林地に至る道すがらで、非常によく出くわすのが吊り橋である。バイクで通れる道にかかっている場合もあるし、 徒歩しか無理なところにそのへんにある植物の蔓や枝で作ってある場合もある。吊り橋の下は当たり前だが多くの場合、川が流れている。川の流れが緩やかで水深が浅い場合は橋は無く、吊り橋がかかっているのは、谷がすごく深いとか、川の水が多くて 流れが早いとか、そういう場合である。吊り橋は、吊ってあるので揺れるし、人里離れた山の中なので、使ってある材料はその周辺で手に入る植物素材である場合が多か った。足元の板は不揃いで隙間だらけ、割れて抜けている部分がある時もしばしば。 日本の観光吊り橋では四国の祖谷のかずら橋が有名だが、あんな堅牢さはベトナムの 桂皮産地の吊り橋には無い。高所が苦手な者には超え難い難関のひとつであったよう である。さらには、そういう吊り橋を恐る恐る渡っている最中に、剥ぎたての桂皮束を満載したバイクが、幅1メートルあるかないかのその横を通り過ぎていく事もあった。その時吊り橋がどれほど揺れて、たわんだか、また、揺れが収まるまで我々がどんなに硬くなってしっかり橋に捕まっていたか、それはご想像にお任せするが、なかなか体験できるものではないスリル満点の経験だった。 


 このスリル満点を味わった吊り橋のかかる川には、その後、コンクリート製の橋が少し離れた場所に作られて、前回 2019 年に同所を訪れた際には、自動車で通過させ ていただいた。しかし、別な場所では吊り橋はまだまだ健在だった。 



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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。