ノンフィクション作家の佐野眞一氏が26日、他界した。主要な週刊誌は来週号でそれぞれ追悼記事を載せると思われるが、全盛期は平成を代表するノンフィクション作家とまで評されていただけに、新聞やテレビで申し訳程度にしか訃報が出なかったことに、侘しさを禁じ得ない。


 立花隆や本田靖春、沢木耕太郎など錚々たる書き手が登場し、ノンフィクションが黄金期を迎えたのは1970年代から80年代半ば。それからあと、著者名で本が売れる「売れっ子のノンフィクション作家」と呼び得たのは、90年代に活躍した佐野氏と猪瀬直樹氏の2人くらいのものだろう。ネット時代になってからは出版業界全体が斜陽化し、満足に取材費を払える社がほとんどなくなってしまったため、いまやノンフィクションというジャンルそのものに職業的書き手が成り立たない危機的状況に陥っている。


『巨怪伝』『東電OL殺人事件』などヒット作を連発した佐野氏だが、2012年、当時大阪市長だった橋下徹氏の人物ルポ『ハシシタ・奴の本性』という連載を週刊朝日で始めた際、被差別部落という背景を人格批判に絡めて書いたことで批判を浴び、連載は打ち切りに。佐野氏は謝罪に追い込まれただけでなく、その他いくつもの著作に他者の作品から剽窃した記述があることも発覚して、以後、雑誌媒体での活躍はほとんど見なくなってしまった。


 個人的な印象では、これらの事件の有無にかかわらず、私は以前から彼の作風が正直苦手だった。その最大の特徴は「佐野節」と呼ばれるアクの強い「地の文」の書き方だ。ときに強引なまでに取材データを解釈するその筆に魅入られるファンが多かったが、私の感覚では、ノンフィクションはあくまでも掘り起こしたデータの重みこそが命であり、地の文では「こんな事実が判明した」と抑制的に語る、そういった作品にこそ説得力も美学も感じていた。


 ただし、書き手としての私は、自らの問題として真逆の弱点を持ち、過去何人もの編集者に「淡々とし過ぎている」という注意を受けてきた。データより文体の力で、ぐいぐいと作品世界に引き込んでゆく佐野氏を引き合いに「助言」を受け、悶々とした経験もある。


 ごく最近、朝日新聞時代の先輩に80年代の統一教会取材の経験を聞く機会があった。合同結婚式や霊感商法が社会問題化するさらに前、教団を2年間、朝日ジャーナルで追及したこの問題の草分け的取材者だが、彼曰く、「統一教会問題は、脱会信者の証言と教団の内部文書の2つで書く以外になく、核心に迫るのはなかなか困難だが、それでも記者たるもの、あくまでも事実でのみで記事は書くべきで、推論を交えると付け込まれてしまう」とのことだった。がんじがらめに手を縛る彼の立場も相当にストイックだが、「ブンヤ崩れ」はどうしても「ナントカ節」よりもこちらに憧れる。


「売れっ子ノンフィクション作家」の系譜がそれなりに今後もつながってゆくとすれば、その筆頭格は目下、毎日新聞出身の30代ライター・石戸諭氏であろう。今週はサンデー毎日に持つ人物ルポ連載でネットニュース局の若手プロデューサーを描き、ニューズウィーク日本版の安倍晋三・元首相の特集では、『対立という遺産を残して』という関連記事を書いている。


 だが、私は彼の文体にも少し抵抗がある。結局何を言いたいのか、という根幹の部分でしばしば彼は読者を煙に巻く。確かに筆は達者だが「筆先の人」に見えてしまうのだ。取材による事実の発掘よりポジション取りの意識が透ける場面もあり、それはどこか、評論家・三浦瑠麗氏のテレビでの物言いにも印象が被る。膨大なデータの蓄積を持ち、言葉が揺るがない鈴木エイト氏とはその点が異なる。まだ若い人だけに重量感のあるノンフィクション作品でぜひ、そんな印象を覆してほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。