川や池に関する話題をもうひとつ。


 川や池の上の空間にあるもの、としてすぐに思いつくのは橋、それも吊り橋だが、農村地帯ではそれは吊り橋だけではない。


 我々の薬用植物の調査では、一般の人たちに薬草のことをあれこれインタビューしながら、話中に登場した実物の植物を情報提供者と一緒に採集して廻る。実物と情報をセットで収集するのである。これは、ひとつのモノに対する呼称が民族や地域などによって異なっており、その名称の植物がどれだったか、をはっきりさせておかないと、それに付随する情報、例えば、植物の薬用部位や薬効、使い方など、すべてが有効活用できないからである。


 こういうスタイルの調査でいわゆる田舎に行った時のこと。食事をしようと食堂のようなものを探し始めたのだが、自給自足に近い生活スタイルの地域では、これはなかなか難しい。現地の共同研究者が聞いてまわって、ようやくあそこなら、と教えてもらった民家に辿り着くと、それは川から水を引いた大きなため池のそばにあった。


 食事場所では、食事をするだけでなく、トイレを使わせてもらうのも重要な作業項目のひとつで、料理が出来上がるのを待つ間に、メンバーは代わる代わる用足しに立つ。最初に行く者は、予備知識ゼロから情報収集しなければならないが、急を要する者から順番に、といったふうである。


 この時も、その要領でトップバッターとなった男性教授が民家食堂のお兄ちゃんの案内でトイレに立ち、しばらくしてからニヤニヤしながら戻ってきた。「行ってみぃ、面白いで。そこ出てな、真っ直ぐ池まで行ったらわかるわ。池に突き出た橋をずっと行ったら突き当たりにある。」聞いている我々はほとんど要領を得ないのであるが、ともかく、順番にそこに行くしかない。ひとりずつ、行っては、ニヤニヤしながら帰ってくる。何が面白いのかと尋ねても、経験者どうし顔を見合わせて目配せするだけで、「行ったらわかる」としか言ってくれない。


 最後に自分の順番になって、恐る恐る池に突き出た細い橋のような通路を進む。橋なら向こう岸に到着して終わるが、これは池の中ほどまでしかなく、その先端には箱がついていた。岸からはそれはよく見えなかったが、行ってみると、池に突き出た通路の果てには、下半分だけ囲われた小さな舞台のようなところが作ってあって、舞台の真ん中は床が無い。その床が無い部分から下には当然、池の水面が見えていて、覗き込むと、魚がたくさん泳いでいた。


 ニヤニヤの原因はこれであった。さっき、家主が勧めてくれた美味しい料理というのが、“採れたての魚の蒸したのに、野菜炒めを載せた料理” だったのだが、その魚はこの池から調達することはほぼ間違いない。"採れたて"なのであるから。それで、トイレとして使う場所の真下には、魚が群れ泳いでいるわけである。これがどういう状況を示しているかを考えると、ニヤニヤしてしまうということである。究極のリサイクルという表現もあるかもしれないが、そのサイクルの輪がいささか小さ過ぎる。



 幸か不幸か、いや、幸いにも、それは昼食だったということもあり、我々が発注した料理は皆同じ簡単な麺類で、この小さな食物連鎖の輪の中には入らなかった。こういう小さな食物連鎖は魚だけでみられる現象ではなく、豚などの家畜でも形成されている場合がある。どちらも人間が恣意的に作った食物連鎖で、衛生上は好ましいとは言えないが、ひと昔前までは、日本の農村でも普通にあった光景に違いない。


 この時はため池の食物連鎖に含まれる魚を食することはなかったが、別な場所では知らないままに小さな食物連鎖の豚や魚をいただいていたのだろうと思う。知ってしまうと食べにくくなる、調理材料のウラ話である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。元京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けば京都大学一筋。研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれた。途上国から先進国まで海外経験は豊富。教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多かった。現国立医薬品食品衛生研究所生薬部部長。