今年6月下旬、「中絶は憲法で認められた女性の権利」と定めた49年前の判決を、米国の連邦最高裁判所が破棄したというニュースが話題になった。


 今回の判決により、中絶を認めるかどうかは、州ごとの判断に委ねられることになるが、少なくない州が中絶の規制を厳格化する見通しだという。中絶したければ規制のない州でということになるのだろう。


 妊娠・出産に関しては、これまで取材や各種資料から知識を得てきたが、中絶に関してはほぼノータッチであった。と、感じていたところに登場したのが、『日本の中絶』である。


 本書は、日本における中絶を、背景、法制度、医療関連、歴史といった観点から、海外との比較を交えつつ論じている。中絶の考え方や是非に関しては、時代や文化、宗教、妊娠に至った経緯等、さまざまな要素が絡むため、本稿では扱わないが、他の部分でも、驚いた点はいくつもあった。


 まずは、法律のたて付け。〈堕胎罪は一八八〇(明治一三)年に日本で初めて制定された刑法(旧刑法)で定められた犯罪であり、そこから一四〇年以上もの間、日本では中絶が犯罪〉なのが基本だ。


 それが、〈一九四八年の優生保護法(九六年改定で母体保護法)制定とその改正を経て、他国に先駆けて事実上中絶を自由に行える国になった〉という。


 その結果、〈一九五三~六一年までの九年間は、届出があったものだけで毎年一〇〇万件以上、総計一〇〇〇万件もの中絶が行われ〉、諸外国から「中絶天国(堕胎天国)」と呼ばれるほどだった。


 一方、中絶と大いに関係がある「避妊」については、日本は例外的な国だという。避妊ピルが承認された後(海外での低用量ピルの承認から20年以上も遅れた)も、日本人の使用率は低い状況が続く。NHKがまとめたデータでは、〈日本で避妊のために主に男性用コンドームを用いているのは七五パーセントで四人に三人、女性が使う経口避妊薬はわずか六パーセント〉。一方、〈欧米では低用量ピルが三一パーセント、男性用コンドームは二五パーセント、女性が子宮内に装着する避妊具が一四パーセント〉となっているという。


 性教育の問題なのか、日本で避妊といえば、男性のコンドーム使用にかなり偏っている。というか、女性の側で対策をしている割合が極端に低い。〈日本の避妊ピルはそもそも海外に比べて高額で、すべて自己負担〉という点も影響しているのだろうか。〈海外では避妊に健康保険がきくことも多い〉という。


■薬は700円でも中絶に10万円かかる?


 多少のドラッグラグなどがあっても、最新の技術を比較的安価に提供されているというのが一般的な日本の医療のイメージだ。ところが、こと中絶となると事情はだいぶ異なる。


 まずは中絶の方法。日本の中絶では、掻把(そうは)法が主に用いられてきた。スプーン状の器具や鉗子で胎児と胎盤を掻き出すが、一定の熟練を要し、海外では1970年代には、吸引法に取って代わられた古い術式である。


 吸引法はWHO(世界保健機関)も推奨している安全性の高い方法で、医師の技量によって結果に差が出にくい方法である。しかし、なぜか日本ではあまり広まらず、現在でも過半数で掻把法が用いられているという。


 なお、現在では多くの国々では経口の中絶薬が使われるようになっている(コロナ禍では英、仏など、中絶薬のオンライン処方が可能になった国もある)。日本では2021年12月にようやく承認を申請した状況だ。


 じつは〈日本の中絶料金はずば抜けて高額〉である。多くの国では保険が使える一方で、日本は保険がきかない自由診療であることも影響しているのだろうが、同じように保険がきかないオーストリアと比較してもだいぶ高い。中絶に関しては「安い日本」ではないのだ。


 世界で販売されている中絶薬の卸価格は700円程度とみられているが、経口中絶薬が承認されても、従来どおり中絶を行えるのは指定医師、入院施設のあるところのみに限定し、従来同等の10万円程度の価格となる模様だ。規制や価格が維持されるなら、中絶を手掛けてきた医師はこれまでより楽に稼げるだろう。


 術式、価格、法律……と、独自の進化を遂げてきた日本の中絶。もちろん中絶のハードルをどこまで下げるかは議論があってよいが、本書にはそれを考えるうえでのさまざまな視点が含まれている。すっぽりと知識が抜け落ちていた分野だっただけに、勉強になることしきりの1冊だった。(鎌)


<書籍データ>

日本の中絶

塚原久美著(ちくま新書990円)