安倍晋三元首相の「国葬」は終わった。各社の世論調査を見ると。国葬にした理由は曖昧模糊としているようだ。国民に説明すると繰り返した岸田文雄首相が示した安倍元首相の功績とは、どうやら「長期に亘って首相の座にあった」ということらしい。100歳に達した老人に市町村長がお祝いの記念品を贈るのと同じようなものらしい。


 首相在任8年を超える安倍元首相の長期政権で疑問に思っていることがひとつある。北朝鮮による拉致事件に対するものだ。私自身、週刊誌時代に記事を書いた経験がある。コラム担当から特集のデスクに替わってからのことで、先輩たちが北朝鮮による拉致事件を記事にしているのを知っていたから、それまでに新聞、雑誌に書かれている拉致事件の記事を集めることから着手した。


 すると、新聞には拉致事件を書いたものは皆無だった、週刊誌でも私が勤務する週刊誌だけだった。これには少々驚いた。親しくしていた数名の新聞社の社会部記者に聞くと、関心を持っていた者もいたが、その記者自身、取材したこともなければ、記事にしたこともなかった。


 私が記事を書いてから数年後だったと思うが、同僚のデスクが「横須賀でスナックを経営している女性が北朝鮮による拉致に協力している」という記事を書いた。彼女はたびたび北朝鮮に渡り、向こうで結婚し子供がいるが、実は、彼女はヨーロッパで日本人女性に「良い仕事がある」と言って北朝鮮に連れて行った、という話である。


 公安も彼女が米軍基地の動きを知るために横須賀にスナックを開いたもので、北朝鮮のためにスパイ活動をしていた疑いがあるとマークしていたようだが、一切、表沙汰にはしなかった。


 記事掲載後、週刊誌は女性から名誉棄損で訴えられた。地裁、高裁で週刊誌側は敗訴したが、最高裁に上告。その公判中に、彼女は「日本人女性の拉致に協力した」と告白したのである。彼女は北朝鮮に2人の子供を残しているので、子供たちが人質になっているため言えなかったと涙ながらに語ったのである。以来、北朝鮮による日本人拉致事件が明らかになった。


 そして、拉致問題解決に大きく貢献したのは言うまでもなく、小泉純一郎元首相である。このとき、官房副長官として小泉元首相に随行して北朝鮮に渡ったのが若き日の安倍氏だ。


 だが、拉致被害者の帰国は途中でおかしくなり、止まってしまった。以来、北朝鮮との交渉は途絶え、日本側が調査を要求しても北朝鮮側は「終わった」という言葉を繰り返し、残る拉致被害者たちが帰国できない状態が続いているのは周知のとおりである。


 ところで、安倍氏が首相に就任すると、新聞・テレビは「安倍さんでなければ、拉致問題は解決できない」と報じた。政治部記者が言っていたのだろうが、私にはこれが正しいのだろうか、今もってわからない。これが私の疑問である。8年を超える安倍政権下で拉致問題は一向に解決しなかった。交渉しようとしなかったのではなかろうか、という気さえする。


 拉致被害者家族の人たちも「安倍さんでなければ……」と言っていたので、そうなのかなあ、と思いつつ、でもやはり違うのではないか、という気がするのである。新聞・テレビ、拉致被害者家族は「安倍さんでなければ……」と言っているが、すでに帰国できた拉致被害者はそういうことを言っていないからだ。拉致被害者自身は今までの国内の動きを知らないから口を噤んでいるのかもしれない。しかし、それでもどうも「安倍さんでなければ……」という説に乗れないのである。


「安倍さんでなければ……」という説が正しいのなら、安倍首相が銃撃され亡くなったことで拉致被害者問題の解決は遠のいたことになる。ところが、「安倍さんでなければ……」と言っていた新聞・テレビは「もはや拉致被害者の帰国は難しくなった、不可能に近い」と、なぜ言わないのだろう。拉致被害者家族を悲しませるような記事は書けないということなのだろうか。


「安倍さんでなければ……」という説の根拠は、小泉元首相の訪朝に安倍氏が官房副長官として同行したから、ということにあるようだ。だが、このときは正規の外交ルートとは別にもうひとつの秘密の交渉ルートをつくり、拉致問題を含めて交渉し、解決の兆しが見えたことから小泉元首相の訪朝が実現し、北朝鮮が拉致を認め、拉致被害者を帰す、ということに進んだはずだ。


 同様に首相に就任した安倍氏が極秘のルートをつくった、といった話は聞いたことがない。外務省の元高官も拉致被害者の帰国が途中でおかしくなって以来、一切、交渉ができなくなったと語っている。秘密のルートをつくるどころではなくなっているのだ。私には拉致問題の解決は「安倍さんでなければ……」ではなく、逆に「安倍さんでは不可能」だと思えるのである。


 理由は週刊誌時代の経験である。昭和58年(1983年)に「幻のクーデター事件」というのがあった。衆議院予算委員会で社会民主連合の楢崎弥之助議員が「自衛隊によるクーデター計画がある」と爆弾質問したのだ。楢崎議員は社会党時代にいくつもの爆弾質問をしたことから「爆弾男」という異名をとった国会議員で、社会党を離党、新たに社会民主連合を結成していたが、再び爆弾男の爆弾質問である。


 中身は、自衛隊が政治不信や日米安保体制への不安から一個師団を動員し、東京湾を封鎖、首都を制圧する、という計画があるというもので、二・二六事件顔負けの話だった。政府、防衛庁(現防衛省)のトップは真っ青になり、周章狼狽。「調べて回答する」という答弁を繰り返すばかりだった。


 むろん、新聞各社は大きく取り上げた。そのなかで東京新聞と週刊サンケイが「クーデター計画は実在した」という記事を載せたことで、両社は後に大恥を晒すことになったのだが、騒ぎはさらに大きくなった。


 だが、その直後、週刊新潮が名古屋に住む「杉山公一」なる人物が楢崎議員と数社の新聞社に持ち込んだガセネタだ、と掲載。その記事をもとに愛知県警が捜査に動き出し、結果、「杉山」なる人物は「自衛隊マニア」で自衛隊の制服を入手し、自衛官になりすまして楢崎議員にニセのクーデター事件を持ち込んだことが判明した。政府も防衛庁もホッと胸を撫で下ろした。一方、楢崎議員はこのガセネタ事件が影響し、次の総選挙で落選した。


 私が関わったのは、クーデター計画がガセネタだとわかってからのことである。ガセネタを持ち込み、楢崎議員に国会質問させた「杉山」とはどういう人物なのか、という2ページものの取材である。先輩デスクと名古屋に出張し、「杉山」の妻が経営しているという鉄工所に行くと、妻は妻でも別の人の妻で、「杉山公一」という人は元従業員で、かなり前に辞めていた。


 その後に働いていたという板金工場を訪れると、そこもとっくに辞めていたそうだが、当時の名前は「小川」で、結婚後、「平山」姓になったなどという話を聞いたが、その後、隣の市にある板金工場で働いていた等々で、「杉山公一」氏には会えなかった。いや、本当の名前もはっきりせずの状態だったという記憶がある。


 だが、この取材中に「杉山」なる人物と知り合いという青年がいると聞いた。その人物には先輩が取材に出掛けた。その晩、ホテルで取材状況を報告したとき、先輩は「杉山」の知人という青年は留守だったが、彼の父親が「息子が帰ってきたら、ホテルに電話させる」と約束した、という。


 本当に電話をしてきますか、と尋ねると、先輩は「彼の家は掘立小屋のような貧しい家だが、茶の間の正面に金日成の立派な額縁を飾っている。そういう家だったから必ず電話をしてくる」と言うのだ。本当に信じて大丈夫か半信半疑だったが、その晩、10時過ぎに電話が来た。電話の向こうで「父から電話するように言われた」と漏れ聞いた後、私は自室に戻った。青年から電話があったのだ。取材方法にはいろいろあるが、私はまたひとつ取材方法を学んだ気がした覚えがある。


 おそらく先輩の考えは、北朝鮮では儒教が生活に染み込んでいる。たとえ、貧しくとも金日成の額縁を誇らしげに飾っている家であるから儒教に基づく家長制度を堅く守っているはずで、そういう家庭なら家長である父親が約束した以上、必ず息子に電話させるはずだ、と判断したらしい。


 安倍元首相の話に戻る。官房副長官だった安倍氏は小泉元首相の北朝鮮訪問に同行した後、北朝鮮側から「拉致被害者5人を一時帰国させる」と伝えられ、拉致被害者5人とその家族が中立的な立場だったインドネシアで会うことになった。この拉致被害者5人が家族と再会後、安倍氏は小泉元首相に「このまま拉致被害者を北朝鮮に戻したら、二度と帰国できなくなる」と強く主張した結果、5人は日本側の飛行機で小泉元首相、安倍官房副長官と共に日本に帰国した。5人をインドネシアに連れてきた北朝鮮の人物4人はしょんぼり北朝鮮に戻った、と当時、伝えられた。この4人がその後どうなったかはわからない。たぶん、失態を犯したと処分されただろうことは想像できる。


 もちろん、拉致そのものは到底許されるものではない。だが、それまで口を閉ざしていた北朝鮮が拉致を認め、5人を「一時帰国させる」と約束し、インドネシアに連れてきて家族と会わせた。が、日本側はインドネシア滞在中に「再び北朝鮮に戻す」と約束しながら、それを反古にして日本に連れ帰った。


 確かに安倍氏が強く主張したように、再び北朝鮮に戻したら、二度と日本に帰国できなるかもしれない。しかし、一時帰国を了承して家族と再開後、北朝鮮に戻すという約束を違えて日本に帰国させたのは、北朝鮮側からみれば「約束違反だ」ということにもなる。それを実行させたのが安倍氏だ、ということになれば、北朝鮮は安倍氏は約束を守らないケシカラン輩だ、ということになる。


 新聞・テレビが伝えるように「安倍さんでなければ拉致は解決しない」ではなく、「安倍さんでは拉致は解決できない」ということになるのではなかろうか。実際、その後、北朝鮮は曽我さんのご主人と子供たち2人を帰した以外、一切、交渉が進まない。「残りの人たちは死亡した」、「遺骨だ」として日本側に渡したものは「DNAが違う」とかで、あやふやである。調査も一切できない状態だ。こういう場面に至っては、残りの拉致被害者の帰国をどうやって勝ち取るか、という交渉は難しい。


 インドネシアから5人の拉致被害者を帰国させた後、残りの被害者たちを帰国させる手立てがあるか、それとも5人は約束通り一時帰国として北朝鮮に戻すことで帰国できなくなるリスクをとったとしても、残りの被害者全員を帰国させる確約を取れるか、という見極めは難しい。まさに相手をどこまで見極められるか、外交の難しさがある。


 しかし、幻のクーデター計画取材の折、先輩の取材態度から学んだ経験から言えるのは、北朝鮮側が安倍氏の言動で日本側が約束を破った、と受け取ったことだけは確かだ。


 実際、その後、拉致問題は一向に進まない。没交渉が続いている。拉致被害者の親も次々に亡くなるという事態にもかかわらず、北朝鮮側は「解決済み」と言い続ける始末だ。しかも、拉致を認めた金正日が亡くなり、息子の金正恩総書記に代替わりした。日本は極秘の交渉ルートもつくれず、トランプ大統領(当時)、バイデン大統領に頼んでいるのが現状だ。


 確かに、アメリカは日本の味方になってくれる。トランプ大統領は金正恩総書記と会談した際、拉致問題を伝えてくれたという。だが、アメリカとしても「日本が拉致問題の早期解決を望んでいる」と伝えるのが精一杯だろう。日本政府が独自にルートをつくり、再度、拉致被害者の救済に努めなければならない。それには安倍氏ではハナからだめだったはずだ。


「安倍さんでなければ解決できない」と言い続けた新聞・テレビは一体、どういうつもりでいるのだろう。安倍元首相が亡くなられた以上、もはや、拉致問題は解決しない、ということなのだろうか。


 拉致問題に取り組み、一部解決したのは安倍氏ではなく、あくまでも小泉元首相であり、安倍氏はむしろ、拉致問題を「途中で断ち切った」人物だったのではなかろうか。それでも安倍元首相の「功績」と言えるのだろうか。誰か教えてほしい。(常)