コロナ禍が始まる前、沖縄にまつわる2冊の本を書くために、東京の自宅と取材先の沖縄とをほぼ半々で往来する二重生活を約4年間送った。その体験から言えば、沖縄の反基地世論を批判的にあげつらう本土在住者のネット書き込みは、そのほとんどが事実誤認やデマにまみれている。


 何のテーマでも同じだが、30~40冊くらい文献資料を読み込めば、物事の主要な論点はおおむね飲み込めるし、まともな論拠を示さず珍奇な説を吐くゴミのような文献は簡単に見分けられるようになる。だが、沖縄問題のように炎上しがちなテーマでは、「最低限の事実関係」さえ確かめない人々が好き勝手に意見を開陳し、やり取りはほぼ「デマの吹聴vs.その否定」という入口の攻防に終始する。「ファクトベースの本質的な論戦」には到達せず、そのはるか手前で延々戦うのだ。池上彰氏が週刊文春に持つコラムに『そこからですか⁉』というタイトルのページがあるのだが、まさにそんな気分、「そこまで初歩の初歩から説明しなければなりませんか?」というゲンナリ感に打ちのめされてしまう。


 ある程度モノを読み、調べてみる。そんな些細な努力さえ面倒に思うほど興味がないのなら、黙っていればいいものを、ネット空間には「知識なしに(あるいはwikipediaを眺めた程度の知識で)発言したがる人」が無尽蔵に湧き出てくる。その結果、あらゆるテーマで「議論の質」がどんどんレベルダウンする。ネット時代の深刻な病理である。


 沖縄の反基地運動の公約数的スタンスは、平成の前半までとは一変し、もはや安保条約の是非を問うものではない(地位協定など細部の議論はある)。県民もすでに大半は、安保体制そのものは認めている。だが、軍事上必ずしも沖縄に置く必要のない基地に関しては、他の都道府県に置いてほしい。民主党政権時、現地ではそんな共通認識が広がって、だからこそ自民党から共産党までが共闘する「オール沖縄」が誕生し、自民党県連幹事長だった翁長雄志・前知事が運動の旗頭になったのだ。軍事上、海兵隊基地を沖縄に置く必要がないという見解は、当時、公明党県本部の調査報告書にもまとめられている。


 だが、自公政権はこうした現地の声に耳をふさぎ、辺野古の埋め立てに着手した。国との法廷闘争で手続き論を争っても、県側は連戦連敗だ。つまり、現在の沖縄の政治的分裂は、いくら反対したところでどうせ無駄だという「あきらめ派」(自公支持層)と、それでも新基地建設は拒絶するという「徹底抗戦派」(オール沖縄支持層)の対立なのである。積極的に新基地を望む「推進派」など、ひと握りしかいない。


 そして、この構図の背景には、「各都道府県が応分の基地負担を」という切実な訴えを、本土に住む国民の多数派が黙殺する根本的な問題がある。こういった、いわば「迷惑施設の押し付け」という図式を少しでも理解する人なら、本土側が現地を揶揄・中傷する光景の異様さはわかるはずだ。米政府・米軍サイドの証言や公文書等々で幾重にも理論武装した沖縄側の主張を否定し得る水準の論者ならいざ知らず(政府自体、踏み込んだ論拠はほとんど示さない)、そうでないならば人として最低限、「負担を押し付けるうしろめたさ」は持つべきだろう。


 今週のサンデー毎日では、ジャーナリストの青木理氏が自身の連載コラム『抵抗の拠点から』で、あのひろゆき氏がツイッターに載せた「辺野古座り込み揶揄」への憤りを綴っている。「問題の本質には目を向けずに揶揄し、嘲笑し冷笑する愚か者と、それに薄っぺらな喝采を浴びせる群衆」に心底うんざりし、反吐が出る思いだと。まったく同感だ。


 私は22日から11月上旬にかけ、久しぶりに現地に行く。目的のひとつは、自公とオール沖縄が対決する那覇市長選の取材である。本土の基地押し付けによりまたしても対立する両派市民。その審判がどんな形になるにせよ、そもそもこの対立を現地に強いているナイチャー(本土人)のひとりとして、私には心苦しさが付きまとう。そして無知・無関心なナイチャーには、せめて口を閉じ黙っていてほしいと願うのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。