沖縄県議会の自民党から共産党までが民主党・鳩山政権に向け、米軍普天間飛行場の「国外・県外移設を求める意見書」を全会一致で採択して12年、保革の壁を超える「オール沖縄」がついに正念場に追い詰められている。その「盟主」だった故・翁長雄志知事の次男・雄治前県議が那覇市長選で自公推薦候補・知念覚氏(前那覇市副市長)に敗れ、県都那覇でオール沖縄がついに市長の座を失ったのである。


 7月の参議院選、9月の知事選ではオール沖縄候補がいずれも勝利したが、今年の県内市長選はオール沖縄の7連敗。基地問題の閉塞感やコロナ禍での経済危機のなか、「国政選・知事選はオール沖縄、市町村長選は自公」という「選択的投票」を現地有権者がするようになったのだが、ネット上では現地事情に無知な人々が、相変わらず好き勝手な解釈を撒き散らしている。


 オール沖縄は2013年、自民党沖縄県連が中央の「圧」により戦列を離れてから県連幹事長だった翁長雄志・那覇市長(その後知事)以下少数の自民離脱組と国政野党勢力の共闘で維持されてきた。しかし、翁長県政の中盤以後、国側の強硬姿勢で辺野古問題での「手詰まり感」が強まると保守系メンバーが減り始め、翁長氏の急死によりその流れは一気に加速した。左派中心にバランスが崩れると保守が離脱、保守の離脱がまたバランスを崩してゆく。そんな負のスパイラルになったのだ。


 今回の那覇市長選はまさにこうした状況下、「オール沖縄保守」の中核が二分される選挙となり、自民・公明はその一方、知念氏の陣営に相乗りした。選挙戦においては知念氏の後援会と自公両党がそれぞれ別個に事務所を持ち「2本立て」で戦った。知念氏は辺野古問題での立ち位置を「玉虫色」にしたが、あくまでもそれは「国政の問題と市政のテーマは別」という理屈であり、その結果、知事選ではオール沖縄を支持した有権者が数多く知念氏に流れたのだ。長期的に見れば「ピクリとも動かない基地問題への無力感、あきらめ感」が、知事選や国政選挙にも広がる前兆になったかもしれないが、現時点ではまだ有権者の多数は辺野古新基地を容認してはいない。


 オール沖縄という稀有な連帯は、結局のところ、その「顔」であった翁長氏と裏方で奮闘した社民党元県議、故・新里米吉氏という2人の「傑物」がいて初めて可能なものだったように思う。とくにその後者・新里氏は、まるで自民党議員のように四六時中、県議会自民党控室に入り浸り、保革連携への思いを各議員に説き続けた。那覇市長だった翁長氏を担ぎ出したのも彼の功績だ。翁長氏は翁長氏で「腹八分、腹六分」で小異を捨てる必要性を保革双方に訴えた。今日のような「分断と対立の時代」には、このように左右双方をつなごうとする政治家のなかからしか全体を束ねるリーダーは生まれ得ない。オール沖縄の誕生はそんな2人がいての政治的アクロバットであり、その維持は傑出した政治家の存在なくしては容易なことではない。


 今週の各誌で目を引いたのは、サンデー毎日『政治の混乱の「隙」突く国民年金「改悪」 岸田vs.河野の“バトル”拡大か』という政治ジャーナリスト鈴木哲夫氏の記事。それによれば政府は2019年の財政検証の際、年金制度の「課題」としてパートへの厚生年金拡大と保険料拠出期間の延長および受給開始時期の選択を年金財源の確保案として提示した。前者は今秋から実施され、後者も統一教会問題で国会が揺れるなか、ついに政府方針として示された。ある政治家の解説では、国民の反発が予期される社会保障の「改悪」は「政局の混乱時、その陰でスッと出すのが役所の手法」とのこと。このまま岸田政権が現行制度の弥縫策で進むなら、根本的制度見直しを唱える河野氏とぶつかり合う可能性がある、と筆者は言う。どさくさでの政府の動きには要注意だ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。