〈日本人の5人に1人は死んだら警察の世話になる〉というサブタイトルの数値に違和感を覚えながらも、「法医学の本かな?」と手に取ったのが『異状死』である。


 違和感はすぐに解消した。


 異状死には、〈犯罪に関係のない災害や事故だけでなく、風呂場で溺死したり、感染症にかかって突然死んでしまったり、健康を過信してかかりつけ医をもたずに過ごした末に亡くなったり、デイサービスやショートステイ先の施設での些細な事故が原因だったり〉と実に多くのケースが含まれるからだ。


 かかりつけの医者がいなくて病院以外で亡くなると、一見、普通の死に見えるものも含めて、結構な確率で異状死扱いになりそうだ。


 本書では東京で父、神奈川で母の異状死を経験した著者が、制度への疑問や不備、自治体間の相違などを明らかにしつつ、制度の改善を提言する。


 異状死では警察が介入してくる。それが遺族にとっての負担となる。


 警察の検視や事情聴取は、〈犯罪性があるかないかという捜査の一環として行われる〉。近しい親族がなくなって気持ちが落ち込んでいるときに、遺体の写真を撮られたり、預貯金や年金、保険金の加入の有無といったカネ周りの情報をヒアリングされたりするのは決して気持ちのいいものではないだろう(一定の配慮はあるようだが……)。


 異状死扱いになった場合の遺族負担は自治体ごと、事案ごとに異なる。


 都道府県ごとに監察医制度の有無が違っていたり、検案(医師が遺体を検査して、死因や死亡時刻を判定する)が自由診療扱いだったりするからだ(実のところ、本書を読むまで認識していなかった)。


 ちなみに、神奈川県の場合、葬儀社が搬送を請け負ったり、懸案に関連する費用を立て替えたりと、警察と連携する部分がある。


 著者が母親の死に関連して受けた請求額は、搬送費等で13万4600円。ほかに検案料4万5000円などもかかり、合計で15万円を超える支払いが発生したという。小さくない金額だ。突然の出費に支払いができない遺族もいる可能性がある。


 昨今の東京オリンピック・パラリンピックの騒動が象徴的だが、公的な機関を通じて利権が生まれるところには贈収賄のリスクがある。神奈川県でも、警察と葬儀業者の贈収賄事件に発展したケースもある。


■低い日本の解剖率


 死因の特定には解剖が優れているが、17万もの遺体が警察扱いになる日本では、解剖で徹底した死因の究明を行うケースは少数派だ。犯罪関連での司法解剖とその他の承諾解剖や行政解剖で合計1万8339体にすぎない。〈犯罪に関係がない異状死は、詳しい検査や解剖を行わずに死因を外見から判断しているだけのケースが多い〉という。


 一方、死因究明の先進国における異状死の解剖率は、スウェーデンが89.1%、フィンランドの首都ヘルシンキでは78.2%、オーストラリアで53.5%と高い水準である。これらの国では〈専門医の手で解剖され、組織や尿や血液などは標本として保存される〉という。


 日本の解剖数が少ない背景には、手掛ける医師などの不足や解剖に対する日本人の考え方、施設不足、制度不足等々さまざまな要因が考えられる。


 死因は死亡統計に反映されるというだけでなく、医療政策や公衆衛生を考えるうえでも重要な情報だ(日本では解剖率が低いために、虚血性心疾患が死因となっている割合が高いとか)。


 現実問題として、解剖を増やすことが難しいのであれば、本書で複数の専門家が提案しているように、異状死の検案にCT(コンピュータ断層撮影)やMRI(磁気共鳴画像診断)を使ったAI(Autopsy imaging、死後画像診断)を組み込むのも有効だろう。〈火葬すれば、永遠の謎〉なのだから。


 超高齢社会の後に確実に来るのが「多死社会」である。2040年前後とみられているが、冒頭に触れたように、我々が普通の死と考えるようなケースも異状死に分類される。異状死の数が激増するのは必至である。


 本人は自宅で「ピンピンコロリ」も、遺族は警察対応に追われ大混乱。多くの人が本当の死因がわからないまま火葬場へ、ともなりかねない。全国でバラバラ、複雑でわかりにくい制度の整備に残された時間はあまりない。


 高齢の親族を抱える家族にとって本書は、今、自宅で亡くなると何が起こるのかを知っておくうえで格好の教科書だ。一読しておいて損はない。(鎌) 


<書籍データ>

異状死

平野久美子著(小学館新書990円)