安倍元首相殺害という歴史的惨事を生み、政界への広範な「汚染」が明るみに出た旧統一教会問題だが、高額献金などで苦しむ信者家族や弁護士が「ほとんど(問題解決に)役立たない」と落胆する「被害者救済法」の成立で、早くも「終息感」が漂い始めている。そもそも教団と癒着した議員らを法案審議から外さなかったこと自体、信じがたく思えるし、八王子の教団信者から「家族同然」とまで言われた萩生田光一・自民党政調会長が、いつのまにか事実上「復権」したことにも開いた口が塞がらない。こうした状況を許す世相の寛大さに改めてため息が出る。
文春や新潮などの週刊誌報道も最近は、創価学会・公明党批判へと軸足を移しつつあるが、今週のニューズウィーク日本版は「宗教2世」をメイン特集に据え、ひとり「粘り腰」を見せている。評論家・荻上チキ氏が、自ら主宰する「社会調査支援機構チキラボ」で宗教2世計1131人に実態調査をし、結果を分析した記事だ。旧統一教会のほか創価学会やエホバの証人など宗教信者の子に生まれた人たちが、親の過度な献金で困窮してしまったり、社会規範と教義との乖離に苦しみ抜いたりした経験を赤裸々に語っている。
記事によれば、2世たちの社会への要望は、恐怖による行動の制限や強要を「心理的虐待」とすることや、児童の発達に必要な経済力の放棄を「経済ネグレクト」として扱うこと、こうした虐待への指導・誘導に刑事罰を与えること等々の項目に及んでいる。今回の「救済法」がカバーしなかったこれらの問題を放置すれば、第二、第三の山上徹也容疑者が必ずや現れてしまうだろう。
このほかにも最近は「モヤモヤする出来事」があれこれ多いのだが、週刊誌報道は正直、かなり物足りない。たとえば週刊新潮は『長野「児童公園」廃止で 「荻原健司市長」が評価を落とした“着地点” 渦中の「国立大名誉教授」夫妻の言い分180分』。子供たちの遊ぶ声がうるさいと市に苦情を入れ続け、このたった1軒の「近隣住民の声」により公園の廃止が決まった騒ぎの報道だ。だが、せっかく3時間もの時間をかけ、苦情の主を取材しているのに、記事はわずか2ページだけ。「ここに住んでみないと自分たちの苦しさはわからない」などと通り一遍の主張を読まされても、「モヤモヤ」は少しも晴れはしない。
厚木や嘉手納の米軍基地騒音で、行政が周辺家屋の防音工事をするように、そういった話し合い・落としどころもあるように思えるがどうなのか。クレーマー側に自らを省みる言葉を求めることも含め、この手の話では一問一答のやり取りをダラダラ記述するほうが、問題の所在が見えることが多い。短いコメントに要約してしまうと、先方の雰囲気・息遣いがよくわからず、読者のストレスはむしろ増えるのだ。
週刊ポストの記事『なぜこれだけ批判を受けても日ロ友好を訴え続けるのか? 鈴木宗男が激白120分 「ロシアのスパイ?プーチンのポチ? そんなの冗談ポリバケツですよ」』も似たようなストレスに満ちた記事だ。肝心のロシア擁護の言い分は「戦争には双方に言い分がある」「国益の観点で関係をつないでおく必要がある」という聞き飽きた建前の繰り返しで、聞き手はあっさり次のテーマに話題を転じている。ブチャ虐殺等々の非道を細かくネチネチ問い質し、鈴木氏からすればウンザリするような質疑を載せることで、その言葉の端々から本音や人間性は垣間見えるものだ。
来週はもしかしたら、執行猶予付き有罪判決が出たあの「マスク拒否おじさん」の記事がどこかに出るかもしれないが、この手の記事の「読みどころ」は相手に長々と語らせて、その端々の「細部」に宿るということを、取材・執筆者は忘れないでほしい。
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。