週刊文春で日本中世史の研究者・清水克行氏(明治大学教授)が連載する『室町ワンダーランド』というコラムに最近、よく目を通すようになった。ひろゆき氏やホリエモン氏のような「屁理屈王」が各方面に口を挟み、混ぜっ返すだけの「論」を日々ネットで見ていると、専門分野を持つ研究者の深みのある読み物のありがたさ、安心感が改めて身に染みる。


 過去ひと月ほどどんな記事があったかとパラパラ見返すと、さまざまな「売り」をもつ歴史博物館を紹介する回もあれば、「小野小町観」をめぐる平安末期から戦国時代への変化を辿る回、遺体の腐敗から白骨化へのプロセスを描写した「九相図」と呼ばれる仏教画で死生観の変化を論じる回もあり、内容は実に幅広い。


 一方で先週と今週は、筆者が勤務する明治大学での歴史教育をめぐるエピソードが書かれていて、こちらは令和の世における「知」の現場の雰囲気がよくわかり興味深かった。とくに先週は「歴史家になるための大学での学び」が取り上げられていて、素人の「歴史愛好家」とアカデミズムの「プロ」を峻別する差異が示唆に富んでいた。


 要はこういったことである。


「歴史が好きな人というのは、おおむね誰かが作り上げた歴史像に感動して、その世界に足を踏み入れるのであって、そのかぎりでは歴史像の“受け手”や“消費者”だと言える。(略)大学で歴史を研究するとなると、その歴史像が正しいものかどうかを検証して、それを更新する新しい歴史像を自分で作り出すことが求められる。つまり歴史の“消費者”ではなく、新たな“生産者”になることが求められるのだ」


 たとえば上杉謙信の「義の厚さ」など、どこかで読みかじったような話をベースにして、そこからイメージを広げようとするタイプは歴史家にまず向かない。冷徹にデータを突き詰めて、たとえ結論が通説よりずっと地味でつまらないものだったとしても、リアルにそれを追求する姿勢こそが問われる職業だというのである。


 思えば30年ほど前、歴史観だの国家観だの「歴史のイメージ」ばかり強調して独自の歴史教科書を作った人たちがいた。中心メンバーにプロの歴史家は見当たらず、アマチュアの歴史「愛好者」ばかりだった。そんな代物を結局、教科書に採用した学校もあったわけだから、学問としての歴史を軽視する意味で、この国は当時から相当にやばい状況に置かれている。


 一方で、プロの研究者たちは「1億総歴史愛好者」のような風潮の現代でも、ストイックに職業倫理にこだわっていて、私自身はそうしたプロの存在にこそ「知の消滅」を食い止める一縷の光を感じている。


 今週の記事では、筆者が属する明治大学商学部に、専門分野のゼミのほか日本史など一般教養分野のゼミもかけ持ちする「ダブル・コア」という制度があることが紹介され、そういった他ジャンルへのチャレンジもすることで、学生の「知性の幅・奥行き」が育まれる実例が紹介されている。


 私はつい先日、国立大学の教壇にも立っている国際報道記者の友人から、今の若者が新聞も読まなければノンフィクションの書籍にも触れず、それでいてネットに横行する「マスゴミ批判」を鵜呑みにする人が目立つと聞いたばかり。それでもこの友人によれば、懇切丁寧にジャーナリズムの基礎を説明していくと、それはそれで素直に受け入れられてゆく手応えも感じるとのことだった。


 若者が自発的な読書をしなくなって久しく、ネットの俗論や屁理屈に塗れて生きる時代だからこそ、今や大学は「知」のニュアンスに触れることができる「最後の砦」になっているのかもしれない。私はそんなふうに感じている。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)、『国権と島と涙』(朝日新聞出版)など。最新刊に、沖縄移民120年の歴史を追った『還流する魂: 世界のウチナーンチュ120年の物語』(岩波書店)がある。