昔はベテラン社員のことを「あそこが痛いだの、ここが痛いだのの話題ばかりだな」と言っていたが同年代が、似たようなことを訴える年齢になった。今の若手も我々世代を同じ目で見ているのだろう。遠くない将来、同じ現象が繰り返されるとは知らずに。
『とれない「痛み」はない』は、痛みのメカニズムから、治療までを広く扱った1冊である。前半の第1章、第2章は痛み全般を扱ったもの。中盤から後半の第3~5章は終末期医療や麻酔など麻酔科医ならではの視点で書かれている。第6章は誰もが気になる病院選び、という構成だ。
「たかが痛み」と侮るなかれ。本書には、痛みにまつわる危険な事象が書かれている。さまざまな病気との関連が知られる糖尿病だが、〈痛みを感じにくい病気〉の代表例。血流障害による足の壊疽はよく知られているが、〈その痛みも感じづらく、「おかしいな」と思って病院に行く頃には手遅れになって、足を切断せざるを得なくなること〉があるという。
以前『腰痛難民』を紹介したときにも触れたが、「腰痛」は深刻な病気が隠れていることもある。がんの骨転移のほか、〈腎臓、婦人科系、膵臓や大腸など広い範囲の病気の関連痛として起こってくること〉や〈膵炎や尿管結石によって腰痛になるパターンもあれば、腰痛で診察を受けたら膵臓がんや大腸がんが見つかったというケース〉もある。
強い痛み自体が、大動脈解離や心筋梗塞といった病気を引き起こすこともあるという。
■鎮痛薬の飲みすぎで頭痛も
具体的で参考になったのが、第2章冒頭の主な鎮痛薬の解説。NSAIDs(非ステロイド性抗炎症薬)やアセトアミノフェンなどメジャーな薬の効き方や副作用がわかりやすく説明されている。新型コロナワクチンの副反応を抑える薬として一時品薄になるなど、一躍知名度を上げた「カロナール」は副作用が少なく、もともと広く使われていたようだ。
もっとも、飲みすぎると、副作用が出るケースもある。鎮痛薬には、上限以上に飲んでも効かない〈天井効果〉がある薬も多い。飲みすぎには注意したい。
鎮痛薬の過剰摂取に関して「やはりあったか」と膝を打ったのが、〈薬物乱用性頭痛〉である。薬の使いすぎで起きる頭痛だが、〈ロキソニンやカロナールなどの鎮痛薬のほか、鼻炎薬や片頭痛の薬でも起きることがわかって〉いるという。
メカニズムは解明されていないが、頭痛で痛み止めを飲んでも効かずにさらに飲む、を繰り返している知人は、一向に改善する気配がない。効きに天井がある一方で、痛みを抑えるために飲んだ薬が頭痛を引き起こしているなら、笑えない。
一方で、終末期の緩和ケアなどで使われる医療用麻薬には天井効果がないという。投与するほど効果が出る。乱用で多くの死者が出た米国のオピオイド禍については、以前取り上げた『DOPESICK』に詳しいが、 可能性がゼロではないとは言え、日本が米国のような状況に陥ることは考えにくいだろう。
むしろ、日本の緩和ケアに関しては未成熟であるがゆえの課題が多い。日本で終末期の緩和ケアが始まって約30年になるが、施設間で質に格差があったり、緩和が十分に行われていないがん患者も一定数いる模様だ。
終末期の緩和ケアに関してはある程度、認知されるようになったものの、〈完治を目指す人にとっても、緩和ケアが重要な役割を担う場面があること〉については、まだまだ知られていない。早期緩和ケアを受けると、がんの治療でうつ症状などが少なくなったり、生存期間が伸びたという研究もあるという。
最近の傾向として、80歳を超えた人が手術を受けたという話を聞くことが増えた。昔は「もう、寿命だから手術はしない」という高齢者も多かったが、手術が増えている背景には、麻酔の安全性の向上が寄与している。「全身麻酔は危ない」は過去のものになった。
安全性の向上により、全身麻酔による手術を受けられる人が増えた一方で、麻酔科医のニーズが高まり、麻酔科医の不足は深刻な問題になっている。いわゆる“フリーランス医師”に関しても、麻酔科の医師の求人は多い。
本書に気になるデータがあった。〈フランスは8割、アメリカは7割〉という欧米に比べて、日本の無痛分娩率は1桁%で異様に低い。何らかのきっかけで普及のスピードが速まれば、さらに麻酔科医の不足が加速しそうだ。
麻酔科医は〈手術室で危機対応の責任を負うプロフェッショナル〉である。しかし、麻酔科医が介在しないことが多い医療の世界もある。獣医療と美容外科の世界だ。一般的な手術の安全性は高まったものの、こうした分野は一定のリスクを抱えている。気になる方は本書を参照してほしい。(鎌)
<基本データ>
柏木邦友著(幻冬舎新書1,304円)